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家庭が第一、のどこが問題なのか
多くの人にとっては共感できるであろう、「家庭が第一」「家庭が大切」
「家庭さえ安定していれば…」といった話。
最近、某カルトの話題で「家庭教育」という言葉もよく聞くので、今日は家庭教育を研究している大学院生の身としても、ちょっと考えてみようと思う。
冒頭で、多くの人にとっては~と書いたが、おそらく、「家庭が大事」ということは実感レベルで共感できることではないかと思う。そういう人にとっては、何の問題も違和感もないスローガンのように聞こえる。
しかしながら、そうではない家庭で生まれ育った人もいる。わかりやすいものだと、家庭内での暴力や、虐待、それから、貧困。今回のカルトだって、家庭を破壊している。ほかにもきっといろいろある。
そんなこと知ったことではない、と思うかもしれないが、まあそうかもしれない。他人の家庭がどうであろうと、よそはよそ、うちはうちという言葉もあるくらいだから。
だが、政治家といった権力者が、家庭の大切さを強調するのでは話が変わってくる、と思う。なぜならば、彼ら/彼女らは社会保障といったセーフティーネットの設定にかかわる人たちだ。家庭が大事だ、と掲げて、家庭内で起こるすべての問題を家庭内で解決してもらおうという方向に政策が動いてしまう可能性がある。
いろんな事情で、家庭がうまく回らなくなった人たちに向かっても、家庭が大事だと言い続けられるだろうか?そんな人たちも法律などで支えるのが、政治家の仕事なのではないだろうか。
家庭が第一、というのは非常に掲げやすい理想で、反論しにくい。
でも、家庭が第一じゃない人にとっても生きやすい社会の実現を目指してもらうために、第二の道も考えておいてもらいたい、と思う。
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