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「三十の反撃」を読んだら、なぜ生きてるか考えちゃった。

なんだかんだ、韓国の長編小説を読んだのは、この作品が初めてだ。
韓国文学と言えば、フェミニズムなイメージで、うん、それは、もう私の大好物ではあるんだけど、短編小説を集めたものだけしか読んだことがない。

もともとチョンセランの「保健室のアン・ウニョン先生」を買うつもりで近所の紀伊国屋に行った。この本を買おうと思ったのは、これを原作に制作されたNetflixオリジナルのドラマ「保健教師アン・ウニョン」を見て不完全燃焼だったから。っていうと誤解が生まれそうだけど、続編を楽しみにするくらい、あの世界観が好きで、でもうまく理解できなくて、理解したくて本を読もうと思ったから。、、、話を戻して、その本を探しに来たわけだけど、チョンセランの本は、たくさんあったのに、その本だけはなかった。メルカリで買うかなぁと思ったところ、ちょうど同じ段にあった、この「三十の反撃」が目に入り、妙に気になり手に取った。その本の帯に書かれた30歳の非正規社員という言葉と、表紙の女性のイラストで、私はとりあえず共感しまくるに違いないと謎の自信を持ってレジに向かった。普段は買うまでに本棚の前で10分くらい立ち読みして迷うけど、この日は1分もしなかったと思う。

この本の中で最も印象的だった内容は、人間はみんな情けないということ、取るに足らないちっぽけな存在と気づいて、悲しくなって、自分が何者かわからなくなって、考えて答えもなく死んでいくということ。

多分、印象に残るべきはそこじゃない気がするけど、きっと、大人になりなさいっていう言葉があるけれど、その大人になるについて一回考えて見ようぜという趣旨だとは思うけれど。

なぜ、ここが印象に残ったかというと、多分、最近、私はなんで私は生きているんだろうってふと考えることが多いからだと思う笑。なんかめちゃくちゃ頑張ってるとき、めちゃくちゃ落ち込んだとき、ふと、なんで私はこんなにエネルギー消費してるんだろうって、なんのために?って思う。みんなもない?病んでるんだろうか。いや病んではないと思う。普通に生きたい。死にたくない。だから、考えても意味がないから、「とりあえず生きるわ。」という哲学的には逃げの答えにたどり着くんだけど。でもやっぱり、とりあえず生きるには、この世の中は複雑すぎる、試練が多すぎるんじゃないかと思うことがよくあるよね。動物の世界は生きたことがないからわからないけど、アニマルプラネットを見る限り、とりあえず生き延びるために生存行動しているように見えるから、人間ももともとそうだったはず。でも、この時代を生きている人たちは、生き延びなきゃって思いながら生活してる?してないと思うな。私は。とりあえず人間はこう生きるだろうという指標に沿って、そしてたまにちょっと外れながらただ生きているように私は思う。

私が今生きているのは、ただこの世にやり残したことがたくさんあるから、それをやりきるためかな。なんてポジティブなんだろうか。

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