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客観視



{2021.02.27の記事}

[自分を客観的に観る]とはよく言いますが、人によってはとても難しいことですよね。

「相手の立場で考えよう。」 
とか、上司とかから言われたことあるけど、
『は?それってお前の"ワガママを察してちゃん"やん、だっるw』

と、なった経験が多いです。

あ、そんな返ししてませんよ!心の声ですよ!


私の経験上では、
「相手の立場で考えよう。」
と、いう注意の仕方をするタイプの上司はほぼ
「上司の言うことを黙って聞きなさい。」
という無言の圧力が強かったです。

本当に自分の立場を理解して欲しいと考えた上で話す人は、
「上司の状況はね、今こういう状況なんだよ…。」
と、まず状況説明をしてくれる人でした。

今だからその人たちの違いがわかるんですけど、もっと若かりし頃は、
「相手の立場で考えなさい。」
と叱責された時に、とても困ったんですよね。

何故なら、

[私なりに相手の立場で考えた上で]発言していたので。

『これ以上相手の立場で考えるって、無理なんだけど?』と。


そんな私はある時、話の通じない彼氏に出会いました。

その人と話していて、[相手の立場で考えられない]とはどういうことなのか

という部分が何となく分かった気がするので、その話を書きます。


相手の立場で考える

と、したときに、[相手が自分のことをどう思うか]という視点のまま会話をすると、話が拗れる様です。

『相手は自分に対してこう思うんだろうな?』と、いう視点は、相手の立場で物事を考えたことになりません。

相手の立場(視点)に立つ

とは、自分の存在を一旦差し引いて話すということだと、私は思った訳です。

[相手が自分のことをどう思うのか]を主軸に話してしまうと、結局自分のことしか見えなくなってしまいます。

ところが、自分の存在を一旦差し引いて話すことで、客観的に物事を捉えやすくなるのです。

この差は非常に重要な差です。

思い返してみても、確かに[相手が自分のことをどう思うか]という部分を基準にした上で、相手の立場で考えていた時、私は非常に自己中な、周りが見えてない話し方をしていたのだと思います。

自分を差し引く

例えば〖従業員の1人として〗とか、〖数多くいる女の内の1人として〗とか、

"自分と同じ立場の人間"の内の1人として

話をすることが出来るようになってからは、私の話を聞いてくれる上司が増えた様に感じます。

(一番初めに書いた通り、「上司の言うことは黙って聞け。」タイプは「上司の立場で考えてみろ。」と、押し付けが酷かったのは変わりませんが。)

相手が自分のことをどう思うか

という視点は、一見相手の立場で物事を考えているようで、結局の所[自分がどう見られるのか]が主軸になってしまいますよね。

そら、話が通じなくなりますわ。

職場で上司に直談判する時なんかは特に
[数多くいる社員の内の1人として]考えてた発言をすることで、本当に話を聞いてくれる上司が増えるのだから、大事な視点だと感じています。

平社員であれば平社員として、
パートであればパートとして、
店長であれば店長として、
自分のランクの人間(他人)が考えているような感覚で話す。

これが私が言いたい[自分を差し引くこと]です。

だから、

相手の立場で物事を考える=自分の立場を理解する

ことがとっても大事なんですよね。


私たち1人1人はオンリーワンの存在です。

しかし、国、会社、家族、クラスメイト…

何かしらに所属している存在です。

どこかに所属しているということは、ある程度のグループ分けが成される訳で、そのグループの内の1人として自分を捉えられると、視野はぐんと広くなるんですよね。

[自分が人からどう思われるか]という"評価"を軸にするのではなく

[自分が所属しているグループはどこなのか]という"位置付け"を軸に自分を捉えないといけない訳です。

(位置付けと言いましたが、ポジションと表現した方が伝わりますかね?)

自分のポジション、自分の役割、自分の担当粋…など、[自分の役職(立場)を把握すること]で、上手に客観視できるようなのです。

【私個人】ではなく、【私たちの立場】で物事を考え、話し、伝えることで[相手の立場で物事を考えられる]ようになる訳です。

"まずは自分の立場"なんですよ。


Googleマップを見ながら目的地に向かう感覚と似てます。

GPSで[自分の現在地]がわかるから、目的地との位置関係が把握できる。

本当、この感覚に近いな、と私は思います。

[自分を上から見つめる]って表現、聞いたことありますか?

あまりメジャーな表現ではないかもしれませんが、この[自分を上から見つめる]って、こういうことなんですよね。

自分個人ではなく、自分の立場で考える

これが客観視の本質なのでは無いでしょうか。


もし、この話を読んでくださった方の中で[他人が自分をどう思うか]という視点で、人と接してきた方がいるなら、是非1度[自分はどのポジションに属している人間なのか]という視点で自分を見返してみてください。

世界が一気に広がるような、面白くも不思議な感覚が体験出来ることと、思います。


余談ですが、このように【私個人】という当事者視点から離れて物事を捉える・考えることはアセンションの一種な気がするんですよ。

当事者視点から離れる=高次の自分の意識に近い

そんな風に、私は感じます。

うろ覚えですが、私個人が初めて【自分の立場】で物事を捉えてみたとき、観える世界が変わった感覚を味わったんですよね。

ただ、何故そのように
『視点を変えよう!』と考えたのか、真剣に忘れちゃったんですよ(;^∀^)

忘れた=対した内容じゃなかった…んじゃないかと思いますが、当事者意識が強固なまま生きるって、物凄く苦しかった筈なんです( ̄~ ̄;)

だから、視点が変わる体験する人が増えると、色々楽になる人が増えると思うので、書き表してみました。

当事者意識から離れる経験をすると、本当に冷静に物事を捉えやすくなるので、怒ることが減る側面もあるんじゃないですかね?
※個人差はあると思いますが。

とりあえず、あなたの何かの気付きのヒントとなれたら幸いです( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆


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