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神様はアーティスト


{2022.06.12の記事}

「完璧主義は止めた方が良い。」

とは言うけど、止められない。

そんな時の考え方です。


神様は、シンメトリーよりアシンメトリーが好きらしいです。

整った造形美より、不揃いな造形美が好みらしいです。


ガチャポンで例えた方が良いですかね。

神様はコレクターで、常に違うアイテムを引きたいらしいですよ。

私達だって、同じアイテム引いたら、
『ちょっと要らない…。』
『これじゃない…。』
ってなるときありますよね。

だから、自分が自分のことを
『不完全な人間だ。』とどれだけ感じようと、神様的にはその[不完全さ]が好みだそうです


私も、几帳面の完璧主義でずーっと苦しんできましたし、拘りとか捨てきれてない面もありますが、このガチャのイメージが浮かんだら、
『そーだよねー!』と、納得できました。

色んなアイテムがあるから嬉しいし、テンション上がるし、もっと色んなアイテム欲しくなりますよね。

現実世界でも、シリーズ2作目のガチャ見付けたら、それらも欲しくなるじゃないですか。

そうやって3作目、4作目…ってキリ無くなるじゃないですか。

それと同じように、神様も自分の作品(人間)は、常に違うアイテムが続々登場して欲しいみたいです。

あと、神様は、人間として不完全であればあるほど、レア感あって、好きらしいです。
『完璧になりたいのになれないー!』ってもがいてる姿も微笑ましいらしいですけどね。

最終的に
『ありのままの君が好きなんだよ!』ってなるみたいです。

私たちが赤ちゃんを見てる時と似た感覚だと思います。


完璧を目指すことは良く無いことなのか

これに関しては、
・一生懸命になれるならOK
・必死にならなきゃいけないならNG

ということです。

その差は

『どうしたら上手くいくかな?』って、創意工夫していることを楽しんで、ワクワクした状態ならOK

『上手くいかないと、ダメなんだ。』って、恐れや不安が根底にある状態がNG

一言で言うなら、波動が高い状態なのか、低い状態なのか、という話なのですが、波動って分かりづらいですよね。

『自分はきっと上手くいくんだ!』と、成功した未来のビジョンから引き出された上での、完璧を目指す行動なら良いんです。

『自分はこれを失敗したら、怒られる。』の、ようにネガティブなビジョンから引き出された、完璧を目指す行動は好まれないんです。


少し掘り下げると、[自分の選択は、未来から手繰り寄せる]のが、あるべき姿ってことですね。

『○○じゃなければ怒られる。』
『○○じゃなければ認められない。』
こういう考えって、元を辿れば、[過去に上手くできなかった経験に付随した意識]なので、広い意味で捉えたら[自分の選択を過去から手繰り寄せてる]ことになってしまいますよね。

インナーチャイルドとか、トラウマとか、色々ありますが、これらを克服した方が良いと言われる理由は[自分の選択を過去から手繰り寄せてしまいやすくなるから]ということなのかな、と私は思いました。

言い換えれば、[常に自分の選択を未来から手繰り寄せられる]のであれば、無理にインナーチャイルドやトラウマを癒し、克服することに躍起にならなくて良いということです。

あくまで私の仮説ではありますが、インナーチャイルドやトラウマを抱えたままだったとしても、
未来からビジョンを手繰り寄せられる人はちゃんと成功ルートに乗れる
ってことですね〃⌒∀⌒

(魂を癒す、という視点で見たら、インナーチャイルドやトラウマは癒して手放すことは大事だとは思いますが、魂を癒すことと、成功ルートに乗ることは、必ずしも繋がってないってことです。)


神様とか目に見えない世界の話を信じるのが難しい人は、ピカソの絵をイメージしてみても良いかもしれません!

「ピカソの絵」
と聞いてイメージされるのは、まるで写真のような絵ではなく、[一見何が描かれているのか悩んでしまうような絵]だと思います。

そういう、いかにもアーティスティックな作品の方が世に憚りやすい。

という感覚は湧きませんか?

写真のような絵を描けることは凄いですが、
「じゃあ写真で良いじゃん。」
ってなりませんか?

それよりは、オリジナリティあるタッチの絵が人気を泊すという感覚はありませんか?


完璧さは、時につまらない。
これは事実なのではないかと、私は思います。

私の考えですが、人間はみんな程度の差はあれど
『魂を磨きたい。』って信念が根底にあるのではないかと思います。

魂を磨きたいあまり、ついつい
『完璧にならないといけない!』と勘違いしてしまうのが、本当のところなのかな、と。

完璧な魂とは、完璧な(全能な)人間ではありません。

「[出来ることや出来ないことがそれぞれ違う、ユニークな人間]それで良い!」
自分の不完全さを認めた上で、精神性が磨かれた人が完璧な魂になれるのだと思います。

だから、不完全な自分を認めるのも、課題の1つなんじゃないでしょうか。


人によっては
『できない自分を認められない!』というプライドが大いに関係しているケースも多いんですけど、そんな表面的なことではなくて[魂としての自分]と、[人間としての自分]の"境界線"が難しいからモヤモヤしてしまう人もいると思います。

私は完全にそうだったので、今の私が見付けた解釈をできる限り書いてみました。

私がいつもモヤモヤする内容は、どうしても3次元世界の解釈だけでは納得いかないことばかりだったので、人に相談も出来ませんでした。

何て相談したら良いか分からなかったので。

だから、3次元と5次元の中間らへんにいる今の私は気付いたことをちょいちょい書いておこうと思ってます。

不完全
なのではなく
個性
つまり
特色

なんですよ。

パレットに、沢山色が揃ってた方が、色んな絵描けるじゃないですか。

「自分は緑色だからバナナが描けない…。」
と、嘆く視点じゃなくて、
「自分はバナナが映える葉っぱを描ける!」
という視点に立つことも、時には大事です。

↑こういうのが、神様的視点だと思います。

必要な人にメッセージが届きますように。


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