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私が目指す本当の健康とは?「依存から自立への旅立ち」 vol.4

昇進で遂に部長へ!新しい部署での商品開発。必ず売れる商品とは?
そして、競合他社に勝つための戦略…そこで気が付く加工食品の安全性
依存から自立への旅立つ決め手になったモノとは?

42歳の挑戦!

私が新しく任された東京支店の部署は、
全国に展開している広域量販店と広域コンビニエンスストアでした。

つまり全国チェーン店です。
具体的には、イオン(ジャスコ)、イトーヨーカドー、ダイエー、西友、無印良品などが量販店、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート、ミニストップなどがコンビニに該当します。

この部署は、食品流通業界の大手企業ばかりの部署でした。
当時の私は42歳、若手に任せてみよう的な人事だったのでしょう。
私は不安な気持ちでいっぱいでした。

私で通用するのだろうか?

各メーカー、企業にはトップクラスの営業担当が付いているはず。
彼らと対等に戦えるのか?

また、社内にも課題がありました。
商品を決めるには原料から加工、研究開発など全社の連携をが必要であり、この社内調整が当時の私には一番のストレスとなりました。
とんでもない部署に配属されたことで、不安でいっぱいでした。

しかし、もし私がこの仕事で成功すれば、自分の実力が付くだろうし、
将来の社長の夢にも近づくに間違いない。
この気持ちを胸に、積極的に挑んでいきました。

商品開発と価格

大手の商品開発は「客観性」を重視していました。
具体的には、お客様がどう感じているか、何を望んでいるか、という視点です。このニーズや欲求を把握し、徹底して分析します。
購入する年齢、性別、時間帯、家族構成、季節、天気などを分析し、
それに見合う商品を開発していくのです。

セブン&アイグループでは「チームMD」という手法を用いています。
これは、食材メーカーや包材メーカーの担当者が一同に集まり、話し合います。お互いに意見を出し合って商品の方向性を具体化するというものです。

利害関係があるもの同士を集めて意見を出し合い、
商品の方向性を具体的に決めていきます。

これが刺激になりました。
まず意見を言わないといけない、そして根拠を説明する必要がありました。そのための感覚的なセンスも勉強も必要です。

それによって話し合われたメニューを具体化し、お弁当やおにぎり、調理パンなどに落とし込み、各メーカーが食材を作ります。

そして、実際に対象とする人に食べてもらい、価格や味、見た目などモニターを取ります。
そこで、修正したものをメニュー化するのです。

だから、ある意味必ず売れる
当時のコンビニ業界ではセブンイレブンが独走していました。

しかし、その裏ではそのテーマの商品を開発するのに多くの工夫と努力、そして大変な苦労があるのです。
特に、店舗数の多さから予測数量に基づいた原料の確保や製造できるか
そして一番の難関は価格設定です。

いかに大量に安く作るか。

安く作る理由は、そもそもモニターが買いたい価格が安いこと。
そして、競合他社と最終的にはコンペとなり、安い方に決まるからです。


原材料と食品添加物

具体的な例として、
ハンバーグを作る場合、材料は肉と玉ねぎとパン粉と調味料となります。

安く作るには、安い肉や玉ねぎ、パン粉を探さなければいけません。
肉がコストが高いため、肉の代わりになる大豆たんぱくを混ぜる。
食味が変わるので、食味改良材(食品添加物)を入れる。
ジューシー感が欲しいので、油や乳化剤を入れる。
見た目を美味しそうな色に変える
時間が経ってもソースが乾かないように光沢剤を入れる。
固くならないように増粘多糖類を入れる。
日持ちをさせるためにpH調整剤を入れる。
パン粉は安い小麦粉(輸入)で大量生産されたものを使う。

このように、価格を下げるために、安い原材料と添加物だらけになってしまうのです。
この当時は、これはしかたがないと思っていました。
この仕事、担当になったのだから、これの課題をクリアしないと給料をもらう資格がないと思っていました。

サラリーマンを辞めて起業へ

だから私は必死でくらいついて、この仕事に全力で取り組みました。
他にも社内の調整やお客様との食事会などで毎晩遅まで働いていました。
早朝から出勤するので、妻からは「そのうち子供からあなたは誰?って言われれるよ」とまで言われていました。

睡眠不足とストレスでかなり疲れていましたし、体調も悪かったのを覚えています。体重も80kg、ウエストは90cmまで増えていました。

その頃の私

この仕事で大手の商品開発の実情を知り、
大手食品メーカーの販売している加工食品の安全性について疑問を感じている矢先、以前にお話した事件(サラリーマンを辞めて起業したわけ vol.2「加工食品の裏側」)起こり、会社を辞めることにしたのです。

このままこの会社で続けても楽しくないし、このような仕事で社長にはなりなくない。
皆が幸せになるような仕事で社長になりたい。

そこで、健康的なお弁当を作るような仕事をしたいと思いました。
以前に仲良くしていた後輩が実家の会社を継ぎ、炊飯メーカーをしていたので、相談してみると二つ返事で転職が決まりました。
子どもと妻は、これで転校しなくて良いと喜んでくれました。

この会社に部長職で6年間務めるわけですが、ここで出会った「米ぬか粉」で会社設立を決めました。そして、以前に投稿しました「28年勤めたサラリーマンを辞めてまで 起業したわけ」に繋がるのです。

ここまで、私のサラリーマン時代を振り返りましたが、
子供が出来た時に「社長になりたい」と決め、コツコツと土台を作るために目の前の仕事に向き合い、チャレンジし続けた結果、やっとたどり着けたことがわかります。

決めたことをやり続ける、この精神は今も継続しています。

いままで給料が毎月支払われていましたが、これからはその保証もなく、自分で作り出さなけれないけません。

「依存から自立」への大きな第一歩を踏み出しました。