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『嫌われる勇気』第一夜🌙~トラウマを否定せよ~

『嫌われる勇気』

(岸見一郎、古賀史健/ダイヤモンド社)

ウザイ企画が始まった!

私は本を読むときに、線を引いたり、感じたことを余白に書き込むタイプです。今回はそれをnoteに書き込んじゃおうというウザイ企画を思い付いてしまったので、実行させていただきます。

この記事をお楽しみいただくために…

この記事は、実際に今この本を読んでいる方に向けて書いています。イメージとしては、「あなたは『嫌われる勇気』を読んでいる。その隣で私も同じ本を読んでいて、事細かに感想を言ってくる」という感じでしょうか。

そのため引用はごく一部分だけとなっております。実際に本を片手に読み進めながら、まるで一緒に読書しているような感覚をお楽しみいただけたら幸いです。

では、さっそくまいりましょう。

『嫌われる勇気』第一夜🌙

アドラー心理学は、堅苦しい学問ではなく、人間理解の真理、また到達点(p23)

私にとってアドラーは「心理学」というより「哲学」のイメージです。人はどう生きるべきなのかを希望を持って論じています。

難しい実験の話や専門用語は出てきません。

統計的な話ではなく、人生そのものに対する話だから一人一人の心に刺さるのだと思います。


虐待を受けて育った人は、すべてがご友人と同じ結果、すなわち引きこもりになっていないとつじつまが合わない。(p26)

もし私が青年の立場でもう一歩踏み込んで反論するなら「虐待にもレベルがあるし、それ以外の要因、たとえば元々の性格や出会った友人、読んだ本などの総合的な影響によって、引きこもりになるかどうかが決まるのではないでしょうか」と。

私が前向きに生きられるようになったのは、本、SNS、経験、環境等のおかげだと思っています。

それらをどう捉えるかは私次第なのですが、ここで言う「私」の考えも何かから影響を受けています。

そういう意味では私は原因論推しなのか?

でも、その上で自分はもっと素敵な人物になるために頑張ろうとも思っている。

うーん、なんか難しいけど、とりあえず私は目的に向かって前向きに生きていきたいです。(無理矢理なまとめ)


過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる(p37)

これは、すごくよくわかる!

スポーツ選手が怪我で入院した時に「いい経験になりました」と言っていたのを思い出しました。

普通だったら落ち込みますよね。

でもそこで「もうダメだ」と思うか「入院したことで体のことが理解できて良かった」と思うかは、自分で決めることができます。

経験に良い意味を与えるためには、「運がいい」と唱えるのが有効です。

それによって、脳が勝手にポジティブな面を探しだしてくれるから。

「今、幸せになる」ことも有効。

過去の辛かった経験もすべて、この幸せの伏線だったのかと受け入れられるようになるから。

Let's 幸せ!


答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきもの(p40)

人生の答えは、自分で出すしかないなと思います。誰かに教えてもらっても、自分が心からそうだと感じられなければ、それは答えにはなりえないからです。

ここで、突然ですが他の本から引用します。

君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめてそういう偉い人たちの言葉の真実も理解することができる 『君たちはどう生きるか』より

これもねぇ、そうとう私に影響を与えている言葉です。

やっぱりね、他人の意見を鵜呑みにしてても自分の人生に納得感がないし、何より楽しくないなと思います。

参考にはするけど、最後は自分で決める(感じる)ことが大切。


先生がご持論を撤回されるまで、あるいはわたしが跪くまで、いくらでも続けましょう(p41)

こういうこと言う人、嫌いじゃないです。

0か100か、白か黒か、っていう決着を着けたくて仕方ない感じ。

いや・・・実際にいたら「厄介な人だな」と思ってしまいそうですが、本の登場人物としてはこの上なく魅力的です。

しっかり自分の意見を持ち、真剣に人生に向き合おうとしている姿勢は尊敬すらします。


自分を愛するための手段として、「別人への生まれ変わり」を望んでいる。(p43)

そうか、自分のことが嫌いだから誰かに強く憧れて、その人に辿り着けない自分に苦悩するのかぁ。勉強になります。


すべての犯罪者には、犯行に手を染めるだけの内的な「しかるべき理由」があります。(中略)言葉を変えるなら「善」の遂行なのです。(p46)

犯罪という行為自体は客観的に「悪」と定めることができますが、犯罪を犯すことが自分にとって善(=ためになる)か悪(=ためにならない)かは人それぞれで、善と捉える人が犯罪者と呼ばれることになります。

誰かに迷惑をかけること、自分が捕まること、お金が手に入ること、恨みを晴らせること…等々の総合的な判断をした結果、犯罪を犯すことがその人にとって善だったから実行してしまう。

合理的な考え方ですね。

私は元々青年のように自分のことが大嫌いでした。それにもきっと私なりの「善」が存在していたのでしょう。自分を嫌いでいることのメリット…これを考えるのは自分の深層心理というか汚くて弱い部分と向き合うことになるので非常につらい作業です。

今あえてあげるとしたら、「何かに失敗した時の他人の目線や、誰かからの悪口がつらい。その予防線として、自分で自分を嫌いになっておく」。

うん、自分で書いてて不快です。

非常に不快。

でも多分こういう「善」のために私は自分を嫌いになっていたのではないかと思います。


あとは仕事に関しても、今の仕事に満足していないのに転職活動をしない自分を分析してみました。

転職をしないことが私にとってどういう風に「善」なのか。

・転職活動しなくていい

・採用試験で落ちてへこむこともない

・新しい仕事を覚えなくていい

・新しい人間関係を構築しなくていい

等々…

こうやって並べてみるとすべて言い訳なんですよね。自分で書いてて本当に嫌になります。だったら書かなきゃいいじゃんと言われるのは本当にごもっともなのですが、それでも書いてしまうのが私なんですよね…。

自分と向き合うって苦しい作業でもあるんですね。


人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。(中略)変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。(p52,53)

えぇ、えぇ、まさにその通りですよ。先ほど書いた転職の話はまさにこれです。

見事に言い当てられていて、グサッとくるなぁ。


応募しないことによって「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。(p55)

この方は、一体どれだけ私の心をえぐれば気が済むのでしょうか?

転職活動についても、応募しないことによって「応募すれば受かるかも」という可能性の中にいられますもんね。

「時間があれば」とか「いいタイミングがきたら」なんて言っているうちは、変われない。

でもだからと言ってあきらめる必要はない。今までどれだけ言い訳をして生きてきたとしても、変わりたいと思えば人は変われる、というのがアドラーの意見。そこが救いです。

第一夜の最後は、この青年の言葉で締めくくりましょう。

……厳しい。先生の哲学は、あまりにも厳しい!(p56)


『嫌われる勇気』第一夜🌙をお読みいただきありがとうございました。第二夜でまたお会いしましょう。

貴方にこの記事を読んでもらえたおかげで、今日は私にとって素敵な1日になりました。貴方にとっても、今日が素敵な1日でありますように…☆



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