雑記:最近のラノベ作品を読んで思うこと

最近のラノベ作品とひとつにまとめるとなんだか怒られてしまいそうだが、僕はただ読んでて思ったことを綴りたいだけなので許してほしい。

まず、最近のラノベと対となる昔のラノベについての見解を述べるが、これに関しては大方同意だと思う。なんたって昔のラノベは萌えを全面的に押し出した小説が主流だったからだ。赤髪のツンデレ娘に代表される、いわゆる記号が多くの読者の心を掴み、今では古典として祭り上げられている。

一方の現代ラノベはどうかというとそのような古臭さを捨て去り、他の面で魅せる小説が多くなったと思う。時代が変われば流行が変わるのは当然のことで、単に萌えがラノベの本質というか定義じゃなかったということなんだろう。とにかく今は萌えに固執しないラノベ作品で溢れていて、逆にラノベとはなにかを考えさせられる。

現代ラノベは異世界転生ものが流行ってると簡単に言うこともできるが、そうでないラノベもたくさんあるし、中を覗けばしっかりとラノベの歴史的文脈が垣間見える。当然昔だって萌えが皆無のラノベもあった。それについてはこれ以上言及する気はないが、今現在、ラノベはその定義をあやふやにするほど多種多様な作品で満ちているのは確かだ。


今日読んだ、スパイ教室二巻はおもしろかった。知らない人のために軽く紹介すると、全体のテイストは暗殺教室を文字に起こしたようで、マンガとはまた違う小説としてのスパイスを効かせた一冊一冊となっている作品でとてもおもしろい。本当に不満がないくらい”文芸”としておもしろい作品だと思う。もちろん文芸作品と区別されたライトノベルであるはずなのだが、読後感は、昔のラノベのそれじゃない。

僕が思ったのは、結局こういうことだ。記号を捨て去って文芸作品に近づいたなと。もちろん、上で述べた通りラノベ史の文脈を引き継いでいるから紛うことなきラノベなのだが、如何せん、キャラが心の中で生きない。記号的ラノベでは心の中でもキャラが生きているようだった。それが昔愛されてた理由だと僕は思っていて、少し寂しい。いかにおもしろい作品でもキャラが心の中で生きなければ、そのキャラたちは物語の中で演じている模造品で本を閉じた瞬間霧散してしまう幻ではないか? 


おもしろいラノベを読んでもどこか満たされないというのが最近の悩みだ。昔の、今はテンプレートでありきたりと揶揄される作品は、確実にヲタクを何人も救っていたと思う。文芸として面白い作品ばかり読んでいたら、それこそライトノベルは暇だから読むものくらいの価値になっちゃうんじゃないと一人杞憂する。エンタメなんだからそうだろと言われればごもっともなんだが、僕からしたら暇なときに読むラノベなんぞ価値がない。いや正確に言えば、暇つぶし程度のラノベしかない世界なぞつまらない。一人の人間を熱狂的なヲタクに変貌させるくらい心に響かせる作品を、文芸ではなくラノベとして最高の小説を生み出してほしいと願うのである。


追記
なんだかすごく偉そうに語ってしまいましたが、批判する意図はありません。あくまで雑記ですので、同じことを思っている人がいたらいいなぁくらいの気持ちで書いてます。

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