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深夜特急3を読んだ


朝、起きてからずっとなろうでライトノベルを読み耽っていた。エアコンをきったりつけたりをなんども繰り返し、それでもますます暑さが増してきた昼下がり、電子で疲れた目をこすりながら深夜特急3巻をそっと手に取った。

深夜特急シリーズを読むのは実に半年ぶりでいまいち楽しめる自信が湧かなかった。2巻のようにそこまでおもしろくなかったらと考えてしまってのことだ。

それでもなぜ急に読む気が起きたかと言えば、偶然出会ってしまったからに他ならない。3巻を買ったのはつい先日のことだった。なんだかよくわからないが新潮文庫の棚に平積みされていたのが目に入り、すこし立ち読み。ぱらぱらとめくった印象はそこまで悪くなく、これならおもしろいかもしれないと思った。

一応念には念を入れ、アマゾンのレビューもチェックした。(レビューをチェックするかはひとによるのかな?)するとやはり2巻のレビューは多少芳しくないが、比べて3巻の評価は高い。なので買わない理由などどこにもなかったというわけだ。

また最近はライトノベルばかり読んでいて、noteを書いているとうまい文章ってどうやって書くんだろうと頭を悩ますことが多く、ちょうどよかったりもした。

そして、いざ深夜特急3を開くとすぐにその世界観に引き込まれた。


読み終わったのは徐々に暑さが逃げ始めた夕方であった。すばらしい読書体験だったと優しく本を閉じ、脱力する。

読書中様々な思いが頭を駆け巡った。言語化しまとめるのが難しいほどに大量に。なんせ旅行がしたくなったの一言かというと違う。

不自由なく暮らせている我々がおそらく見ることのない世界、そこに飛ぶこむというのはやはり相応の覚悟が必要なのだろうと思うし、一方で外国の宿で見知らぬ人と寝泊まりする緊張感だったり、その中で生まれる友情だったりはすこし羨ましく思う。先々での人との営みが、継ぎはぎだらけの物語が旅の楽しみであり苦しみなのかもしれない。

またこうやって頭のなかで整理していると、やはり旅をしている人こそ幸せだなと思う。決して旅をしていない人が不幸というわけでなくて、たとえば本作にでてきた農大生なんかは幸せ者だと思う。彼らは別に旅をしているわけではないが、本質は同じでわざわざ日本から外国の貧しい地域に行けるのだから幸せに決まっている。貧しい地域に行くことがじゃなくて、そういう選択肢があるという時点で。不幸な人というのはそういう選択肢すらなく、日々を生きるのに必死だ。施しという言葉はなんの皮肉でもなくあるのだとこの作品を読んで思う。一日一日を生きるためのお金や食べ物を必要としている人がごまんといるのだ。


今日は一歩も家から出なかったがなんだか旅に行ってきた気分だ。昼から夕にかけて読んだが、物語の熱も不思議なことに連動していた。インドもただ熱いだけじゃない。過酷な側面があってもそこには人々の営みが文化があるのだと思わされた。


いささかインドの人々と私の間にギャップがありすぎてむずがゆいが、私は私のできることをするしかないのだと思う。エアコンの効いた部屋で遠くの離れた地の現状を知る、それだけでなにか前進したのだと前向きに思いたい。






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