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思いもしないところで貢献できていたらいい

生きている限り、誰にも迷惑かけないなんてことはない
一方で誰かのタメにならない、なんてことも少ないんじゃないか

公務員で仕事しているとき、業務量が多く、ミクロで見ればどれも完璧ではない。それでもその事実に絶望せず匙を投げずそのミクロに少しでも対処していけば、マクロもほんの少しあるべき姿に前進する。

自分一人ではやりきれなくても、次の人にバトンを渡せば少しでも良くなっていく。そんな風に考えて仕事をしていたけど、これが人から言わせれば「自分で仕掛にしたものをやりきらずにバトンを渡すな」という思いになるらしい。せっかく気付いたものに蓋をするほうが全体として損失になるのに・・と思ってしまうが、私みたいな考え方は少数派だった。
だから、多分異動した後に相当な悪口を言われているだろう。

他の人は責任感が強いのだろう
「お前が始めた物語だろ」とどこかで聞いたことがあるセリフのように、自分が仕掛かりにしたものは自分が最後までやらなくちゃという心持なのだ。

私は自分は駒でしかなくて、全体としてその業務にあっている認識なので、自分が途中のものを引き継がれるのも厭わないし、その逆も然り。

仕事の性質によるけど、この仕事に関してはそんな考え方がいちいち絶望的な気持ちにならなくて済むと思う
個ではなく全体としてを考えれば「この作業に意味あるのかな」とかいちいち思わない

私の思想みたいなものだけど、改めてこれを文章化したきっかけは以下2つ
(1)ひろゆきはんが、障碍者の方が線路に降りたった件の一連のツイートでどこかで役立てたらいいみたいなこといってて近しい思想と思った

(2)このnote、碌に推敲もせずだらだらと独り言を書いているけどちょっとでも自分の体験や思考が誰かのためになればいいと、思っていた。
ダッシュボードみると、自家歯牙移植の記事が定期的に読まれていて、こんな記事にヒットするくらいだから、その記事読んでくれている人は眼前に迫る自家歯牙移植の恐怖に立ち向かってる最中なのかなあと。少しでもどんな風になるのかわかって、願わくば恐怖が和らいでくれたらと思う。

そんな風に自分の嫌だったこと、怖かったことも記録として誰かの役にたてていたなら、いいなあと。



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