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議論の仕方が変わる∼遠近法的思考∼

・遠近法とは?

遠近法は、3次元の空間を2次元の平面に表した際、遠い・近いや高い・低いなふぉの空間的関係性を損なう事なく表したもの。
遠くを細く書く絵。

・遠近法的思考とは?

ニーチェが最初に唱えた思考法で、人間の根本には「遠近法的思考」があると述べています。

自分にとって近い出来事は重大に感じ、遠い出来事は小さく感じるということです。

同じ出来事でも、人によって感じ方や見え方が違う1つの要因がこの思考法です。

全てを主観(解釈)として、人は見ている、どこから何を見ているかで事実なんてないと言っている。


以下『権力への意思』<ちくま学芸文庫>の一節(二か所引用)。


現象のところで立ちどまって「存在するのはただ事実のみである」とする実証主義に反対して、私は言うであろう。いや、まさしく事実などは存在せず、ただ解釈のみが存在する、と。われわれは、事実「それ自体」というものなどを確認できはしないのである。そうしたことを欲するということは、おそらく無意味なことなのである。
「すべては主観的である」と君たちは言う。けれどもこのことがすでに解釈なのである。「主観」と称されるものはなんら所与の事態ではなく、むしろ、所与の上に捏造してつけ加えられたものであり、所与の背後に挿入されたものである。

・・・およそ「認識」という言葉が意味を持つかぎり、世界はたしかに認識されうるものではあろう。けれども、世界は別様にも解釈されうるのである。世界は自分の背後に意味を持ってはいず、むしろ無数の意味を持っている。——「遠近法主義」

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・具体例

例えば、部屋にAさんとBさんがおり、そこの部屋の中央にはテーブルが一つだけ置かれている。そしてそのテーブルの上には、リンゴとバナナが一つずつ置かれていたとしよう。そこのテーブル上に置かれているリンゴとバナナはAさんから見たら横一列に並んで見える。一方、Bさんから見たらバナナしか見えない。Bさんから見たらリンゴとバナナは縦一列に置かれてあり、バナナの方が前に置かれていることになる。つまり、Aさんから見たらリンゴとバナナが一つずつ置かれているように見えて、一方Bさんから見たらテーブルの上にはバナナが一つしかないように見えるのである。

今度は二人の立ち位置場所を変えてみる。Aさんにはその場でしゃがんでテーブルの方を見てもらい、一方Bさんには少し斜めに移動してテーブルの方を見てもらう。すると当然Aさんからはテーブルの方を見るとリンゴとバナナは見えず、テーブルの台の下側しか見えない。一方Bさんから見たら今度はバナナだけではなくリンゴの一部も見ることができた。

・役立つ使い方

人と意見が違うことを「価値観の違い」と捉えて対話をあきらめるのではなく遠近法的思考を思い出して、自分との優先順位の違い、どうして違うのかを考えてみると、いいかもしれません。

価値観の違いはある種思考の停止のような感じになるので。。。
・具体例
・遠近法的思考の鍛え方

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