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『日本のシュタイナー学校が始まった日』を読み終えて

外的な物質と情報の手軽さに比例するように枯れていく心を潤すことが出来るのは、やはり自身の内側との対話であること、そしてその対話をシュタイナー教育は様々な形で叶えてくれることをこの本を読んで改めて感じました。

子安美知子・井上百子編著『日本のシュタイナー学校が始まった日』

日本で初めてできたシュタイナー学校30周年を記念して出版された主に黎明期の関係者(生徒、保護者、教員、その他)が執筆されたエッセイ集です。

今では学校法人として運営されているシュタイナー学園も、立ち上げ当時は学校運営としてのノウハウは勿論、場所も、お金も、教員も、当然学校法人資格も無い無認可で、授業も手探り。
読んでいて胸がぎゅっと苦しくなってしまう程、保護者も教員も綱渡りの日々を送っていて、生徒たちも少なくない不安を抱えていたことが伝わります。

このエッセイ集に心打たれたのはその嘘偽りの無さです。
当時生徒だった方も保護者だった方も教員だった方も、立ち上げ当時の学校について好意的に書いている人もいれば、そうでない人も、はたまた両面をしっかり書かれている方もいました。
学校運営のプロで運営しているわけではないのだから問題だらけで当然ですよね。
このようにきれいごとだけではない忖度の無い文章によって、当時の状況をそれぞれの主観をもとに正確に浮かび上がらせてくれていると感じました。

私自身、平日普通の会社員をして思うことですが新しく何かを始めるのは建付けにしろ何にしろ問題がつきものです。
何にしても初期に関わる人が割を食うのです。
その代わり、立ち上げの人間だけが得られる情熱と実りというのもある。その情熱と実りを感じる文集でした。

中でも教員の方々の書かれていたエピソードや思いは特に印象的でした。
日本語での既存の教材が無い中、教材探しにどれだけ奔走し、授業の進め方にどれだけ心を砕かれたことか。書かれている内容は氷山の一角に過ぎないでしょうが、十分に伝わってきました。
シュタイナー学校では学期末、担任の先生が生徒一人ひとりに向けて願いを込めた詩を送ります。その子に向けて願いを込めた詩を送る。日々の表面的な態度や発言を見ているだけではその子の為に詩は書けない。全身全霊をかけて一人一人の生徒と向き合ってその子の命を見つめなければできない仕事だと改めて思いました。

そして私が文集の中で最も心に残ったのは、ミュンヘンオイリュトミーで学ばれた後、ご実家の印刷所を継がれた越中氏の文章でした。
シュタイナー学校では欠かせない特製のノートを当時は日本で流通していなかったものを1から作成された方。費用も(困窮していた学校運営を鑑みて)勉強し、そのノートでの生徒たちの素晴らしい学びを想像して初めて製作されたノートを手渡しで届けに行ったというエピソード。
そして夜にシュタイナー学校に忍び込み妖精のふりをしてすべてのトイレの掃除人をしていたこと。教員でも保護者でもないけれど、自身の出来ることでシュタイナー学校(或いは広義での社会)の為に行動されてきたことがわかる内容に、読み手である私自身の今の生き方を見直すヒントのようなものを頂きました。

仮にこの世の中が一度すべてリセットされて、何もなくなっても。
この文集に参加されたような方々は一から種を植え立派な一本の木を育てそれを森にしていくでしょう。知識も外的な材料も、何もかもなくても、内側からあふれる活力がそれを可能にしてくれるのだと思います。

私の中にも枯れない泉がある。
それを思い出すのに必要な一冊でした。



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