彼女の今は何も言えないで出来ている
―今私は、何とも言えない気分でここに立っています。
まぁ本当に何とも言えないなら、こうして綴ることも無いんだろうけど。―
彼女は1人、公園のベンチに座ってスマートフォンをいじる。
―あ、そもそも立ってませんでした。―
スマホの上で素早く動く指は、なんて事ない彼女の今を綴っていく。
それは元々スマホに入っているメモ機能で、誰かに届ける訳でもなく。
―今日、1本の映画を観たんです。これまた何とも言えない虚無感に襲われました。何とも言えないなら虚無感では無いのか。虚無感って言えているし。
だとしたらこの感情はなんなのでしょう。―
その後の一文を書いて、彼女の指は少し止まる。
―エスカレーターで隣を通り過ぎて行く女性の手に、私と同じお弁当バッグがあるのが見えて、何故か、死にたくなりました。―
そして、また指を動かす。
ベンチを照らす街灯が、1回、点滅する。
彼女は上を見て、またスマホに目を戻す。
―この映画を観ろ、あれを観ていないなんて映画好きとは言えないよ、あの作品のここがいいから観てみてよ。きっと好きだよ、とか色々言われても私は観たいと思えない。自分が好きなものを見て、その映画が好きだから、だから映画が好きって言う―
―それの何が悪いかわからないから、何も言えなくなる。―
少し肌寒い風がヒュウッと吹き、彼女は身震いする。
―こうやって寒いって感じられることも、嫌なようで、好き―
―でもこの気持ちだって、何とも言えない気持ちに1括りになる―
―だって私にそれ程の語彙はないから―
―何て言ったらいいか分からない。―
―それでも誰かに、伝えたいだけで―
一文一文、指を止めながら彼女はそう綴る。
―誰かに、見て欲しいだけ―
その一文を書いて、彼女は上を見て目を閉じる。
ゆっくり深呼吸をして、スマホを下ろす。
誰に届かなくても良い。
誰も知らなくても良い。
ただいつか、誰かに、気づいて欲しいだけ。
圧倒的な矛盾を、胸に抱く。
そんな夜。
彼女はベンチに座っていた。
今日に未練を残さないために。
彼女がベンチから立ち上がった時、
また1回、街灯が点滅した。
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