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塾長のつぶやき

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永代囲碁塾 塾長の永代和盛が率直な感想を、本音で書いています。
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#永代和盛

永代は「元」お坊ちゃん(中編1)

永代は「元」お坊ちゃん(中編1)

前編はこちら↓↓

永代は「元」お坊ちゃん(前編)

お坊ちゃんの定義

 前編で永代家は家柄的には大したお坊ちゃんではないことが分かりました。本物のお坊ちゃんなら、金銭面では不自由しない青春時代を送るはずです。

 私が子供の頃には母親から「うちにはお金はない」と言われて育ってきました。当時は間に受けてそんなものなんだなぁと思っていたものです。兄弟全員もそう思っていたのではないでしょうか。今度聞

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永代は「元」お坊ちゃん 前編

永代は「元」お坊ちゃん 前編

 私は長崎県島原市という田舎で生まれて、小学五年生まで過ごしました。
そして、小学六年生で実家を出てからは至るところで「永代はお坊ちゃんだからね」と言われ続けてきました。

 まぁ、今でも大して変わりないことなのですが、当時から周りの人から何か言われようともあまり気になりませんでした。お坊ちゃんと言われても「何を言ってるの?意味わかんね」くらいなものです。

 しかし大人になった今は色々と考えると

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囲碁インストラクターの心構え

囲碁インストラクターの心構え

囲碁のインストラクター歴は約17年

20歳のときに長崎の実家での子供囲碁塾から始まって、今では囲碁が好きな方ならどなたでも指導させていただいています。

初めの3年は子供囲碁塾だけだったので、とにかく子供たちに楽しんでもらうように指導していただけです。

子供は楽しく続けてくれれば、勝手に強くなりますからね。

その後は関東にて、子供囲碁塾と碁会所の経営を通じて、指導方法を徹底的に研究しました。

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囲碁界が詰んできた(後編)

囲碁界が詰んできた(後編)

前編はこちら↓↓
囲碁界が詰んできた(前編)

囲碁界のマインド

コロナ問題で瀕死の囲碁界。
ほぼ詰みかけているように見えます。

しかし、コロナはただの決定打というだけであって、元々の業界的な構造や考え方に問題がありました。

これから個人的な見解を述べさせていただきます。

棋士の修業時代

棋士の修業期間には棋力向上を中心に指導されます。

礼儀作法も指導されますが、これはファーストコンタ

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囲碁界が詰んできた(前編)

囲碁界が詰んできた(前編)

コロナの影響が世界中に広がっています。
外食産業や趣味などは自粛傾向まっしぐらですね。
在宅関係以外はほぼアウトのような雰囲気です。

そして、趣味や娯楽に位置付けられている囲碁界も、コロナの刃がもろに直撃しています。

先日の非常事態宣言を受けて、永代塾囲碁サロンも一ヶ月の休業としました。他の碁会所を見渡してみても休業しているところが多いですね。

本当は非常事態宣言が出たからといって強

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永代和盛の囲碁人生 Vol.32(院生の昼食、寮生の食事)

永代和盛の囲碁人生 Vol.32(院生の昼食、寮生の食事)

幕張囲碁研修センターでは寮長母さんが常駐しています。
その流れで院生手合の昼食も寮母さんが作ってくれます。
さすがに普段とは違い、人数が半端ないので別でお手伝いに来てくれる人がいました。

食堂

30席分くらいのスペースがあります。
さらに2mほどの高さがある本棚が壁一面に。
本の数は数百冊規模です。
あとは500mlのペットボトルが10本ほど入る冷蔵庫。
30インチくらいのテレビ。
テレビには

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永代和盛の囲碁人生 Vol.31(院生のシステム)

永代和盛の囲碁人生 Vol.31(院生のシステム)

私が入った当時を紹介します。

1995年頃の院生研修

・第二土曜日+毎週日曜日で月5回。

・研修時間は9時半〜16時半ごろ。
(クラスによって対局数や持ち時間が違うため、終わり時間は異なる)

・この頃の院生数は約60人。

・毎回、院生師範(棋士)が2名常駐。
この頃は新垣武先生、鄭銘瑝先生、北村洋司先生。

【A〜Cクラス】

・各クラス12人

・総当たりで毎月11局。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.30(中学二年②・林間学校など)

永代和盛の囲碁人生 Vol.30(中学二年②・林間学校など)

真面目か不真面目か

永代少年は学校に真面目に通い(行くの当たり前ですけど)、部活も平日は皆勤賞。

宿題もこなし、テスト勉強もそれなりにしている中学生でした。

しかし、こんな中学生だと院生内では「不真面目」と呼ばれてしまいます。

それは囲碁の勉強時間が取れなくなるからです。

そして、院生の先輩からは「遊び虫」というあだ名までいただいてしまいました。(これは多分、学校に真面目に通っている

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囲碁人生が始まる日(長男編)

囲碁人生が始まる日(長男編)

5歳の長男が洪道場に行ってきた

ひな祭りも終わり、日に日にぽかぽか陽気を感じられるようになってきた。しかし、今日はそんな季節には珍しいほどの肌寒い日だった。
何かが起こる。そんなことを思わせる天気だ。

そんな日に5歳の長男が囲碁道場へ初めて行ってきた。

そこは杉並区阿佐ヶ谷の閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる一軒家。
玄関口には「洪道場」と書かれた表札がある。

私はそれを見た瞬間に後光

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永代和盛の囲碁人生 Vol.29(中学二年①・三谷少年)

永代和盛の囲碁人生 Vol.29(中学二年①・三谷少年)

この時期からは記憶が曖昧なので、細かい時系列は気にせずに大まかに書いていきます。

てっちゃん

この頃に小学六年生の三谷哲也少年(現プロ七段)が幕張囲碁研修センターへ入寮してきました。

三谷少年のあだ名は「てっちゃん」です。

永代少年にとって初めての後輩です。しかも日本人の寮生と一緒に住むのは初めてでした。あれ?幕張って日本だよね?(笑)
(他の寮生はロシア、ルーマニア、フランス、台湾など)

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永代和盛の囲碁人生 Vol.24 (番外編・お金について 5・最終話)

永代和盛の囲碁人生 Vol.24 (番外編・お金について 5・最終話)

社会貢献

これで完全に分かった。

仕事とは「社会貢献」だ。

自分のためでなく、周りのために社会貢献をしてこそ、お金がもらえる。
社会の課題を解決して、そのお礼にお金をもらうのだ。
お金は会社からもらうものではない。

お客様や取引先からもらうものだ。
会社はその仲介に過ぎない。

会社勤めの人の中には会社からお金をもらおうとしている人がかなりいる。そして、それを自覚していない人も多数いる。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.23 (番外編・お金について 4)

永代和盛の囲碁人生 Vol.23 (番外編・お金について 4)

神奈川での生活

一軒家を借りて、一階は子供囲碁道場。
二階は事務所兼、居住スペース。

ここに竹清勇さん(現四段)、永代を含む合計四人で寝泊まりしていた。(さすがに中島美絵子さん(現二段)はいません)

私は事務所スペースに敷布団を敷いて寝ていた。他の3人は和室だ。
今、流行りのシェアハウスのようなものだった。12年前からこれをやっていたのだ。流行りの最先端を行きすぎている(笑)

起業したばか

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永代和盛の囲碁人生 Vol.22 (番外編・お金について 3)

永代和盛の囲碁人生 Vol.22 (番外編・お金について 3)

株式投資

そこでお金も貯まってきたことだし、株式投資を始めた。
当初は経済を勉強してみようという軽い気持ちだった。
損をしても勉強代だ!ということで。
実際に体験するほうが勉強になると思った。

ちょうどこのころは小泉総理の長期政権でミニバブルの時期だった。
私は株式投資の初心者であるにもかかわらずに資金がすごい勢いで増え始めた。
月給10万5千円の男が、1日でそれくらい稼ぐこともざらにあった。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.21 (番外編・お金について 2)

永代和盛の囲碁人生 Vol.21 (番外編・お金について 2)

永代和盛の囲碁人生 Vol.20 (番外編・お金について 1)
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この番外編を書き始めたらとてつもない長文になったので5回くらいに分けます・・・(笑)

プロを諦めて、長崎へ帰郷

プロになるのを諦めたのが19歳。
それから1ヶ月ほどで二十歳になった。
二年ほど前から10代でプロになれなかったら辞めるという宣言をしていた。
まぁ、後ろ向きな結果ではあるが有言実行をしたものだ

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