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大好きな小説

『容疑者Xの献身』(東野圭吾 著)

もう何回読み直したかわからないほど読んだ。読みすぎて無くしたので新しく買った。

ミステリーとしての素晴らしさはもはや私が説明するまでもない。
ただただ作中のこの一言をシェアしたい。

人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。

ほの暗い描写のあるミステリー小説だからこそ、この清らかな一文が引き立つ。
もはや著者はこれを読者に伝えたくて容疑者Xの献身を書いたのではとさえ思える。

数学者の石神は、偶然隣の部屋に越してきた母娘のために人生を掛けた罪を犯す。
どうせ自ら絶とうとした命、自分をこの世に引き留めささやかだけれどかけがえのない光でいてくれた母娘の為に使おうと
寸分の狂いもないトリックで警察を欺いていく。

石神がこの母娘を尊ぶ気持ちが一番現れているのが、トリックにおける最後の切り札だ。

自分のことは忘れてほしい。これはあなた方への恩返しだ。私の光でいてくれてありがとう。どうかこのまま何も知らずに幸せに生きて下さい。

と、純粋な石神の声(cv:堤真一)が聞こえるような切り札であった。
というか作中でそんなようなこと言ってた。

主人公の湯川は石神と接触するにつれ「彼が恋をしている」ことに気付く。
だから私は、石神のこの一連の行動は恋愛感情に基づくものだとずっと思っていた。
しかし読めば読むほど、これはもはや男女の感情を通り越したものであることが分かる。
自分が相手の為に罪を犯しているからといって、それをきっかけに母娘を包む世界に分け入ろうとはしない。
彼は進んで黒子であり続けピエロを演じることを選んだのだ。
石神の献身は正に“献身”であり、真っ直ぐに人を愛すこのと尊さをこの作品はおしえてくれる。

相手が生きてくれているだけで自分も生きる希望が貰える。我が身を滅ぼしてでもその人だけは守り抜きたい。
なんという穢れなき感情だ。

自分は何もできない、価値がない。何か凄いことを成し遂げなければ。と現時点の自己を認められない人には是非読んでほしい。
あなたもただそこに居るだけで誰かの救いになっているかもしれないよ。と囁きながらそっと心を温かくしてくれる一冊だ。
つい自分にも人にも生きている以上のことを期待をしてしまう私なので、この言葉は忘れないようにしたい。

家族だろうが推しだろうが「この人の存在があるだけで生きていこうと思える」、そんな人がいるのであればその幸せを噛み締めてほしい。


ちなみに映画版では石神役の堤真一が寸分の狂いもないオタクの仕草を見せてくれる場面があるのでそちらも大変お勧めである。

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