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若い人びとの平和意識にふれて−あるチャットルームの原爆の日追悼式にて

【戦争のはなし 若い人の平和意識】

 わたしが運営しているチャットルームでは、毎年、8月6日、8月9日の原爆の日と、8月15日の終戦の日には正午から追悼式を行います。

 今年も正午に行いました。

 毎年の恒例行事ですが、今年明らかに違っていると思ったのは、中高生メンバーの 戦争と平和への関心の高さです。
 
 去年まで青少年の追悼式への参加はほとんどなかったのですが、今年は大人より青少年の方が多かったのです。

追悼式の後

どうして戦争になるのか?
どうしたら戦争がなくせるのか?
日本と戦争の歴史は?

 相次いで質問があって、先程までお話しをさせていただいてました。

 5年前くらいまで講演会では年配の人ばかりでしたが、今では変化があるのでしょうか。

 やはり若い世代の人が戦争に関心を持ってくれることは嬉しいです。

 チャットとはいえ、これも平和運動の一環と思い、サブルームに平和学習のルームを設置することにしました。

 今日の追悼式の追悼文をここにもシェアさせていただきます。

🔵原爆の日の追悼のことば

1945年8月6日の朝。
広島の空は青かった……

太田川は静かに流れ、その日の朝の旅立ちの足を運ぶ人びとの生きている歩みがありました。

人びとは笑い、長きにわたる戦争に憂う気持ちを隠しつつ、笑っていました。

時計の針が8時15分を指したとき、それは起こりました。

高度9000メートル上空から投下された世界最初の原子爆弾は、広島の上空600メートルで核分裂を始めて爆発しました。

人類が体験したことのない破壊と殺戮でした。
強烈な爆風は全ての建物をなぎ倒し、強烈な高熱熱線は人びとを焼き尽くしました。

原爆の恐ろしい熱は、雲を呼び、放射能を多量に含んだ黒い雨を降らせて、さらに人びとの命を奪いました……

なぜ、このようなことが起きたのか?その答えはいくつも見つけられるでしょう。

しかし、その細かい答えを見つけたところで、どうして人は命を奪いあうのかという答えは見つかりはしません。

どうして、かくも残忍なことを地上で人が人にできるのでしょう?

わたしたちは、世の中が便利になればなるほどに、人の顔を忘れてしまいます。
人の顔に笑顔を作り、また、ときには涙を流させる心を忘れてしまいます。

原爆を作った人も、原爆を落とすことを命じた人も、原爆を落とした人も、広島の人、長崎の人の顔を見てはいなかった。その顔の向こうにある心も見ようとしなかったのです。

同じように日本にいる日本人も、中国大陸に日本の飛行機が爆弾を落としているときに、中国の人びとの顔を見ようとしなかったし、心を見ようともしなかったのです。

今もモスクワにいるロシアの人びともウクライナの人びとの顔を心を見ようとはしないのです。
そして、ウクライナの人びともロシアの人びとの顔を心を見ようとはしない。

戦争は誰も望まない世界最大の犯罪であり、悲劇です。
ごく一部の人たちの利権や建前、鳥や動物たちにとってはなんの関係もない国境や土地、主義主張や宗教が違うからといって、命を奪いあう行為です。

今、このチャットルームに集った仲間はお互いを見つめあっているでしょうか。
顔の見えない相手の顔や心を、その喜びも悲しみも等しく自分たちと同じだと、思いあえているでしょうか。

それが、もし、出来たとき、われわれは平和の尊さと、戦争の愚かさを知り、平和を実現できる自信をとり戻せることでしょう。

尊き悲しみの戦争の犠牲者に、心から追悼の意を表し、二度とふたたび、憎しみあうことがないように、ここにみんなで誓いを立てたいと思います。

争いをやめよう
憎しみを捨てよう
そして、顔とこころを見つめつづける世界へ

今日の広島の平和の空が
世界中の空になるまで

地には平和を

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