『トパーズ』 キューバ危機の影の歴史を再構築したヒッチコックの失敗作?
『トパーズ』1969年・アメリカ
原題:TOPAZ
原作:レオン・ユリウス
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:サミュエル・テイラー
出演:フレデリック・スタフォード、ジョン・フォーサイス、カリン・ドール、フィリップ・ノワレ
★『トパーズ』はなぜ失敗作だったのか?
①フレデリック・スタフォードという俳優
ヒッチコック作品でも失敗作に数えられるのが1969年公開の『トパーズ』ですが、私個人としては傑作にあげたい一本なのです。
だいたい、フレデリック・スタフォードなんてB級アクション映画がお得意の俳優さんをわざわざ主役に持ってきたところが、いかにもB級映画っぽさを最初から目指していたわけですから、評価も下がっても仕方がないですね。
案の定、公開後はスタフォードの演技の力不足が批評の的になってしまったきらいがありました。
しかし、この映画にスタフォードが出演したことには少しばかり意義深いものもあります。
フレデリック・スタフォードはチャコスロバキアで生まれた人で、本名をフリードリヒ・シュトローベル・フォン・シュタインといいます。
名前からして、チェコ領のドイツ系民族の家系であった(フランツ・カフカのような)ことがわかります。
英語はもとより、チェコ語、ドイツ語、イタリア語、フランス語を自在に話せるマルチリンガルでもありました。
戦後の1948年にホッケー選手としてオリンピックの予選にも出場した経験があります。
1949年、21歳のときに祖国チェコスロバキアがソ連に取り込まれることを危惧したスタフォードは西側諸国への亡命を考え、オーストラリアへ脱出しました。
そこで、フリードリッヒ・シュトローベルという本名から、フレデリック・スタフォードという英語名に改名しています。
炭鉱夫からトラックの運転手など、肉体労働に従事しながら10年の下積み期間を経て、シドニーの大学に入学し、1962年に化学博士の学位を取得して、大手の製薬会社、ブリストルマイヤーズ社の営業の職をえます。
ヨーロッパ、アジアを股にかけた国際的な仕事の最中で、バンコクで映画のロケに来ていたドイツの女優、マリアンネ・ホルトと出会い結婚。その後、仕事で知遇を得たフランスの映画監督からの誘いを受けて、フランスでスパイ映画のヒーローとして映画デビューを果たしました。
OSS177という、フランスの亜流007映画で人気を博し、イタリアやドイツなどでB級スパイアクションやマカロニコンバットに数多く出演します。
そして、1968年に『トパーズ』の主役に抜擢されて、ユニヴァーサルとの専属契約を結びます。
同時期にスタフォードは007シリーズのポスト・ショーン・コネリーとしてジェームズ・ボンド役で『女王陛下の007』への出演を打診されますが、『トパーズ』の契約を優先したためこれを断っています。
『トパーズ』公開の1969年以降、スタフォードはイタリアにとって返すや、またB級アクション映画に出演を開始、マカロニコンバットのカルト的傑作『空爆大作戦』では往年のアメリカ映画スターのヴァン・ジョンソンと共演しています。
ヒッチコックの映画に出演で、A級スターの仲間入りをしたにも関わらず、再びB級作品の世界へもどったスタフォードはその後、1977年に引退して、再び営業マンとしてビジネスの世界へ復帰しました。
1979年に不慮の航空機事故で、波乱万丈の51年の短い生涯を閉じました。
いまはスイスのチューリッヒの墓地で、妻のマリアンヌ・ホルトと眠っています。
スタフォードは華やかな俳優かというと、そうではありません。
元々、俳優を目指していた人でもないし、行きがかりで映画出演をすることになった人でした。
『トパーズ』に出演した時点でも無名ではないけれど、役者としては二流どころだったことは否めません。
しかし、ヒッチコックによって『トパーズ』に出演した意味はどこかにあるでしょう。
共演者のカリン・ドールにしても、ドイツでは人気があった女優さんで、ヨーロッパでは国際的に活躍をしているとはいえ、ハリウッド視点のA級スターの貫禄には程遠い。
『トパーズ」は全体的にキャスティングがヒッチコックの映画としてはかなり地味なのです。
②『トパーズ』の影と栄光
第三次世界大戦勃発ギリギリの状態まで行ったという恐怖で世界を震撼させた「キューバ危機」。それを回避させるためにスパイたちが地味に暗躍する映画が『トパーズ』です。
「キューバ危機」の端緒となるソ連のキューバでのミサイル基地建設。それを突き止めようとするアメリカ、フランス、キューバのスパイの物語です。
『トパーズ』のオープニングショットはロシア民謡風のパレード行進曲にのって赤の広場で閲兵行進するロシア兵と兵器の記録フィルムです。
レーニンの巨大な肖像画から、その下を褐色の軍服が黒いブーツを規則正しく揃える歩みが刻む……圧倒されるショットが積み重ねられます。
西側諸国を脅かすソ連の巨大な力がまずドキュメントで示されます。
そして、スパイたちの活躍が始まり、映画の最後のショットで、ケネディーとフルシチョフの外交交渉によってキューバ危機が回避されたという新聞が大写しになります。
その新聞の静止画像に、映画のなかで死んでいったスパイたちのシーンがオーバーラップされてゆきます。
そのバックに流れるのは冒頭の赤の広場で流れていた閲兵の行進曲です。
あの冒頭で示された、巨大なソ連の脅威と戦ったスパイたちはかくも命を失った。そして、彼らの功績は、新聞の一行にも掲載されてはいない。
しかも、この新聞を読んでいた人物は、もう、用はないとばかりに、新聞をベンチの上に捨て去ります。
パリのベンチの上に打ち捨てられた新聞に気がつくこともなく、市民たちが通り過ぎてゆく、このショットでこの映画は終わります。
なるほど、『トパーズ』が伝えたかったことはここにあります。
世界を滅亡に追い込む戦争を回避するために、この現代でも数多の人びとの活動があり、その命の犠牲がある。
その人たちは歴史に刻まれるどころか、新聞記事の一行にもならないのです。
映画のなかで何度か出てくる、観客には、そのセリフが聞こえないスパイの会話のショットなどもそれを示しています。
このオープニングとエンディングの二つのショットで、この映画の意図は明らかです。
これはヒッチコックとテイラーの試行錯誤の末に完成した見事な計算に基づいた手腕によるものですが、キャスティングもまたそうだと考えられます。
スタフォードという人物はロシアの脅威から逃れてオーストリアに亡命した人物であり、ビジネスマンとして、諸外国語を操って世界中の人とわたってきたキャリアを持つ人でもありました。
そして、映画界ではA級制作を支えるB級映画産業のスターであるという陰の存在でもあったわけです。
『トパーズ』の主役として、これほどの適役の俳優は他にはなかったかもしれません。
スタフォードの役が、ケーリー・グラントやグレゴリー・ペックであれば、この映画の輝きは逆に色褪せたことでしょう。
歴史、特に戦争の歴史を動かす英雄など、本当の意味では存在しません。
無数の影の存在が、大きな栄光を知らずと作っている。そんな無名の人びとが紡ぐのが歴史だからです。
「キューバ危機」を回避したのケネディーとフルシチョフだというのは、教科書に書かれる政治史としての歴史です。
『トパーズ』は赤の広場を大行進するあの脅威と戦って勝利した無名戦士の墓標とも言えるのかもしれません。
スターのいない一流映画の『トパーズ』。
B級と呼ばれる人びとが映した影が、A級の
影となす。
歴史の真実を再構築する計算に基づいたそんな映画であったと、わたしはこの映画をこよなく愛しています。
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