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何歳になったって変わらないものがきっとあるのさ

今日はたった1日の休みである。この日のために沢山の時間を仕事に費やし、生活するために時間をお金に変えてる訳なんですが、この日だけは頭をからっぽにし、誰に気を使うでもなくまさに自由奔放に生きられる1日。

何したって誰に何も言われない、誰にも邪魔させやしない大切な日曜日。休みの日はなんだか、何にでもなれそうな気がするのは僕だけだろうか?そんな日曜日の夕方に僕は散歩をすることが最近増えてきた。

通勤するために使ういつもの道だって、なーんにも考えずに耳にはイヤホンをし、大好きな音楽を聴きながら自分の歩きたい歩幅で歩けば少し贅沢な気持ちになれる。そんな誰にも邪魔されない自分だけの時間が心底好きだ。

いつも散歩する時はお決まりのコースがあって、家から少し歩いたところに大きめの公園があり、そこを満足するまでひたすら音楽と景色を肴に歩くのである。なんたる贅沢。


今日もプラプラ歩いていると目の前には、小さな男の子と母親がいた。男の子は買ってもらったのであろうスケートボードに、何度も何度も挑戦しては転げ、それでも諦めまいと挑戦を繰り返していた。母親の方はどうやらもう疲れてしまった様子で「もう終わりにし〜」と少し気だるそうにひとこと。

どれぐらい練習に付き合ってあげているのかはわからないけれど、大切な時間と体力を子供のために目一杯注いであげれる世の中のお父さんお母さんや子供を育てている全ての人たちの存在には本当にすごいなぁと思う。

そんな中、お母さんが再度「終わりにしなさいよ〜」と言うと、まだしっかりスケートボードに乗りこなせていない男の子は「まって!僕はまだあきらめない!!」と強い覚悟のこもった口調で母親を制したところで、僕は二人を通り過ぎた。


男の子の言葉がなんだか、可愛くもあり素敵だなぁと思う。そんな純粋かつ真っ直ぐに諦めない姿勢が羨ましい。僕にもきっとそんな時代があったはずなのに、よくもまぁこんな遠いところまで来てしまったものである。でも僕はこうも思う。

何歳になってもその時だけの純粋さがあるはずだと。10代の時の純粋さは薄まってしまうかも知れないけれど、20代、30代にしかない純粋さがきっとそこにはあって、僕たちはそんな気持ちを更新していってるだけなんだと。なくなってしまった様に感じる大切な気持ちは、また新たな形に変わりきっとある。僕はそう思うし、思いたい。

せっかく沢山のものに触れ、沢山の悔しさや嬉しい気持ち、喜怒哀楽を経験して大人に成長していくのに、昔の方がよかったなんて悲しくなってしまう。大人になることを前向きに捉えれる様なそんな人に僕はなりたい。


プラプラと散歩していたらなんだかいろんな事を考えてしまった。明日からまたいつもの毎日が始まってしまうけど、ちょっとだけ頑張れそうな気がする。(今のところは)


日替わりの気持ちを乗りこなしていこう。

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