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NDT プレミアム・ジャパン・ツアー2024

NDT プレミアム・ジャパン・ツアー2024を愛知芸術劇場で観てきた。60年以上前に革新的な表現を求めて結成されたカンパニーが、そのスピリットを持ち続け、今の時代にもなおイノベーションを継続し続けている姿に強い感動をおぼえた。

中学時代はベルギーで過ごした。妹がバレエをやっていたこともあってバレエやダンス公演を観に行く機会があった。クラシックバレエは苦手だったが、当時キリアン率いるNDTやベジャールの公演には強い感銘を受けた。身体表現に関心を持つきっかけになったと思う。

自分が20代の頃、90年代後半か、2000年頃か、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスが全盛の頃、ダンス系の雑誌で「現代はフォーサイスが昨日のフォーサイスを乗り越えていくことによってのみ、ダンスが進化していく」というようなことが書かれていた記憶がある。フォーサイスの素晴らしさと裏腹に、当時ダンスが表現としての行き詰まり、ある種、壁に当たっていた時代だったと言われていたように記憶している。(ダンス史についてはよくわからないけれど、その後多様性や豊穣さを取り戻し、進化しているようにも思える)

NDTとフォーサイス。身体表現に関心を持ち始めて30年以上経ち、自分の中で答え合わせがしたくなって、神奈川公演は見逃していたが、何とか最終の愛知公演に駆けつけることができた。

『La Ruta ラ・ルータ』(振付:ガブリエラ・カリーソ)
3作品のなかで最も演劇要素の強い作品。バス停という一つの場所で交錯する様々な時間や幻想。
日常の中には非現実世界に陥る陥穽があって、うっかりそこに足を滑らしてしまった時に見る世界のようだった。コンセプトや美学だけでなく、日常や社会事象を積極的に取り入れるようになってからダンスの世界は大きく進化したのかもしれない。
個人的に『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』を連想した。(あとスモークと不鮮明なショスタコーヴィチはソクーロフの『ストーン』をも思い起こした)
もうひと展開くらいあっても良かったか。

『One Flat Thing, reproduced ワンフラットシング, リプロデュースト』(振付:ウィリアム・フォーサイス)
生のフォーサイスの公演を観るのは初めてだったが、始まりから終わりまで、ひたすらスゲー!っていう感想しかなかった。一見コンセプチャルで、頭の中に多くの言葉を誘発しそうに見えるが、あまりにも緻密すぎて、言葉が生み出される隙間がなく、終わったあとにはため息しかでなかった。動き続ける非言語による緻密なコンセプトの流体というべきか。

『Jakie ジャキー』(振付:シャロン・エイアール&ガイ・ベハール)
3作品の中で、個人的に最も強く惹かれた作品。
バレエの身体がベースになりながら、バレエから表面的な装飾や様式を剥がした時に見えるバレエの根源的な身体、エッセンスが立ち現れる。古代の秘祭のようでもあり、近未来のアンドロイドたちの舞のようにも見える。このまま『春の祭典』や『メトロポリス』に展開していってもおかしくないような作品。バレエの世界から革新的な表現を求めて生まれたNDTのスピリットが最も現われた作品のように思えた。

日によって、5作品のうち3作品がピックアップされていたので、この日未見だったマルコ・ゲッケやクリスタル・パイトの作品も観てみたかった。

公演前に愛知芸術劇場の唐津絵理さんとNDTの芸術監督のエミリー・モルナーさんによるプレトークがあった。作品の見どころ、コンセプト、特徴について解説して頂いたおかげで公演の始まりからスッとその世界に没入でき、集中することができた。作品前のプレトークというのは初めての体験だったけど、他の公演でもこういうのがあるととても良いなと思った。

https://ndt2024jp.dancebase.yokohama/


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