流田和輝|流浪の記|1992年、福岡糟屋郡志免町生まれ。旅人と九州男児の混血。鞄一つに…

流田和輝|流浪の記|1992年、福岡糟屋郡志免町生まれ。旅人と九州男児の混血。鞄一つに全部つっこんで旅に出たら7年経過してました。どっかで会ったら乾杯しましょう。

最近の記事

言葉と世界。そしてキャリア。

「言葉によって僕たちの世界は輪郭をもちます。だから、新しい言葉をつくることは、世界をつくり変えることだと思うんです。有名な話ですが、ある部族では時制を表すための文法構造がないとされている。ということは、それを持つ僕たちと彼らには、異なる世界がみえている可能性が高いんです。 世の中にある、もうすでに名前がついている職業に囚われずに、あなたはあなたの惹かれる領域や概念に自分の言葉で名前をつけ、世界に新しい輪郭を与え、それによってあなたを成熟させることに注力してください。 ”

    • 苦悩

      人生は、いろんなことがあります。 と、月並みな言葉で始まった、いつもの長いひとりごと。 満月だった先日の中秋の名月を見ながら、故郷の海の波間にたゆたう板の上で思ったことを、つらつらと書いてみました。 藤原道長は「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」(この世は私のためにある。この満月のように欠けている部分がないとおもえるほど、私は満ち足りている)と、高らかにうたいました。 現代人とは脳の使い方がまるで違うであろう天下人は、苦悩や困難をどう捉えたのか

      • ぶっ続きの世界

        The opposite of nature is impossible. 自然の反対は不可能である。 思想家フラーの言葉です。(沖縄でフラーはバカという意味で、フラー自身も奇想天外な発想で周りの人が理解するまでずっとバカ呼ばわりされていた人です。その偶然の繋がりも私は妙に気に入っている) 自然界は弱肉強食だと聞いたことがある人は多いかも知れません。 しかし、それは自然界の一部を切り取ったに過ぎない。 もちろん、ライオンがシマウマを食べる、というような食物連鎖は存在

        • 透明の檻

          ずっと、スナフキンやチャトウィンのように誠実で自由な香りのする生き方をしたかった。 気づけば、もう何年も移動しながら暮らしている。さすらいや放浪といえば気楽に響くかもしれないが、旅暮らしの実態は映画のようにはいかない。大変なことや面倒なことの方が多い。 それでも流れ続けるのは、たぶん強さがほしいからだ。出会うはずのなかった未知の景色や人、感情、価値観と出会う機会が増える。それが自分の考える強さと深く関係している。 普段の生活で頻繁に触れる情報について、それが常識やあたり

        言葉と世界。そしてキャリア。

          実力と才能

          「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」 「変わりませんよ」 「変わらないって、どうすんの?」 「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」 「それって、練習の話でしょ? というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」 「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」 これは小説『終末のフール』(集英社文庫)の一場面。 小説の主人公が雑誌で見かけた、苗場というキックボクサーのインタビュ

          実力と才能

          トンレサップ湖の女神

          あの日から これに火を近づけたあの午後から どれくらい 秋が深まったのだろうか 水面に映るのは二重で赤目まなこな 何も手に入れてない俺達の顔だ 秋について書くことになって、真っ先に浮かんだ詩。北海道の詩人の言葉。2000年初頭の荒削りだった彼の言葉は、今もなおその熱を保っている。 四季の中で秋だけが深まるという表現をするのは、なぜだろう。スマホを手にとり検索しかけて、やめた。 気を抜くとすぐに答えを求めてしまう。的外れだろうが、非科学的だろうが、まずは想像力を駆使して自

          トンレサップ湖の女神

          断片

          今朝、ホステルの洗面所を流れていった風の色に、秋がゆっくりと近づいてきたのを感じました。朝食をすませて、テイクアウトした珈琲を片手に、木造のデッキに佇むベンチへ。眼前には穏やかな瀬戸内海があり、大小さまざまな船が嬉々として並んでいます。その向こうには島々が浮かび、薄い青色の空が広がっています。風上で誰かが吹いたシャボン玉と水面が、太陽の光を反射して目を細めました。遠くでは、子どもの笑い声が聞こえます。人生に幾度かある、豊さとはこのことだろうかと感じるひととき。そんな刹那に触れ

          断片

          流れのままに

          マイルスデイヴィス誕生のちょうど66年後、彼と同じ日に生まれた。 なんの因果か、私が生まれる前の年に、彼はその生涯に幕を下ろした。 生まれて初めて真面目に聞いたジャズの曲が、偶然にもマイルスデイヴィスのカインドオブブルーだったことは、小さな奇跡だと思う。 当時はジャズなんか大人が聴くもんだと思っていたけれど、社会的にはその年齢になった自分と、昔思っていた大人という言葉が指し示すイメージの差は埋まりそうもない。 なぜだろう。 小さいころは大人と子どもには明らかな境界線

          流れのままに