見出し画像

言葉と世界。そしてキャリア。

「言葉によって僕たちの世界は輪郭をもちます。だから、新しい言葉をつくることは、世界をつくり変えることだと思うんです。有名な話ですが、ある部族では時制を表すための文法構造がないとされている。ということは、それを持つ僕たちと彼らには、異なる世界がみえている可能性が高いんです。

世の中にある、もうすでに名前がついている職業に囚われずに、あなたはあなたの惹かれる領域や概念に自分の言葉で名前をつけ、世界に新しい輪郭を与え、それによってあなたを成熟させることに注力してください。

”キャリア”という言葉は本来、人生そのものを指す言葉です。だけど今は、職業選択や仕事の経歴のように使われている。あなたたちは、そんな言葉など気にせずに、心の震える瞬間を追い続けていってね」

そんなことを母校である中央大学の後輩たちにアドリブで口走ったものの、それは自分自身も普段の生活でふと手放してしまいそうになることで、自らが明日からまた大事に握りしめて歩きたくて発した言葉だったように思う。

200人をこえる19歳、20歳のこれからの希望そのものに対して、僕が壇上から偉そうに言えることはひとつもない。せっかく頂戴したご縁だと考え、小っ恥ずかしさを抑えて珍しく受けさせて頂いた講演だったけど、最初からわかっていたことだった。

さて、オーストラリアにはソングラインと呼ばれる道がある。それは、オーストラリア全土に迷路のようにのびている。ただし、その道は目には見えない。アボリジニの人々が原始の旅をする中で出会ったあらゆるものに歌いながら名前を与え、自分たちの世界をつくり上げていった旅の軌跡のことをそう呼ぶらしい。その歌をうたえば、今でも先祖の旅路をトレースできるという。

物質としての世界は元々そこにあったが、彼らはその旅路で名前をつける行為によって、自分たちの生きる世界に独自の輪郭を持たせていったといえる。

資本主義にはじまり、さまざまなものの限界が叫ばれている世界。

それは多分、世界の限界ではなく"昨日までにつくられた言葉たちを使って、僕たちが認識できる範囲の世界”の限界である。

この世界は、きっと、もっと多彩で寛容で偉大だと僕は思う。


昨日までの言葉で成り立つ世界の限界についてではなく、明日からの世界に新たな輪郭をもたせることを考えていきたい。

講演のあと、自分自身の"キャリア"に対してそんなことを思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?