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こんな基準ならジェンダー平等にふさわしくない男性でいい。#国際男性デー に寄せて

なんか今日、国際男性デーみたいな日らしいんです。

お、国際女性デーとかの男版か。ついに「バレンタインデーは男女ともに関係なくやろう」とか言われ始めるんか?みたいなくだらないことを思いながらトレンドを見てみた。

男性反省日みたいな目標が出てきた。

「ジェンダー平等社会にふさわしい男性のあり方」である「#MenWithWomen」行動基準というものによると、それは15条あるらしい。

箇条書きしてみる。

・地位や席を女性と分け合おう
・男女で異なる評価や対応をやめよう
・性役割や性差別的ルールを変えていこう
・女性との距離感を適度に保とう
・女性にケアの役割や聞き役を求めない
・パートナー家計をフェアにしよう
・女性への暴力ハラスメントをなくそう
・女性差別や蔑視表現のない社会へ
・女性の外見ジャッジをやめよう
・男性だけの静的満足にNOを
・女性を買わない「枕」を求めない
・未成年女性を性的に扱わない
・男性だけの馴れ合いと縁を切ろう
・自省とアップデートを続けよう
・傍観者や中立マンを卒業しよう

以上15カ条がジェンダー平等社会にふさわしい男性になるためのものらしい。

これ、国際男性デーに出た目標らしいんですけど、うん。

「国際女性デー2」とかに変えた方がいいんじゃないか?みたいなことを考えてしまった。

前提として、私は自分のことを広義ではフェミニストだと思ってます。というよりも、体感だけど20代とか以下の世代ってそもそも男女平等だし、どちらの性別に向けての行動であろうと倫理的じゃないことをする人は平等に裁かれるべきでしょ。みたいなことを言う人の方が多い気がしている。

子供が産まれない!!どうして!?女性の社会参加を促しながらも産休とか産後ケアとか保育所とかの問題解決してない!みたいなこの国はアホだと思っている。そりゃそうだろう。まぁそれ以前に根本的な問題として子供が欲しいかどうか?に価値が変化しているのはあるだろうけど。

まぁ、自分が男性だからこんなことが言えるんじゃないか!みたいなこともあると思いますよそりゃ。子供を産めない性別だからそんなことが言えるんだ!とか。生理がないから好き勝手できるんだ!とか。

いやそれはもう仕方なくないですか?それはもう性差やん。どうしようもできひんやん。自分かて仮に子供産めるんならその選択肢を選ぶって。

自由な民主主義や資本主義、能力主義が進んでいる。この前読んだ本に、資本主義社会の最高到達地点は緩やかな衰退である。みたいなことが書かれていた。

前提条件が異なること以外、生まれるという平等なスタートが切られたらそこからは自助による生存競争ではなく、社会的成功ができるかどうかの競争に参加させられる。

勉強をしないとだめだとか、稼がないといけないとか、ステレオタイプ的なものも混ざりながらも、結局前時代的な競争に参加をし続ける中で、狭義的なフェミニズムが幅をきかせてきたようなイメージがしてならない。

この前大学の授業でSDGsのトピックが取り上げられたんです。

茶番やなぁと思いながら聞いていたけど、ちゃんとコメントシートには意識の高そうなことを書いたからそれなりな成績にはなっているはず。

もし講師の方が胸にプラスチックで作られててフィルムで包まれているあの多様性バッジをつけていたら爆笑してしまったと思う。よかったつけてなくて。

話がそれた。

そもそもこの国際男性デーの目標って、誰が決めたんだろうか。

というよりも、率直な疑問としてこんな風に「国際男性デー」の日に女性がお膳立てされることを世の女性は望んでいるのか?そんなことを考えてしまう。

この前国立大の女性教授の割合を増やす。とか、大学の女性の学生が入れる枠を増やす。みたいなニュースがあったけど、これは果たして男女平等なのかつ常々考えさせられる。

こっちの方が男性差別では?と、どうしてならないのだろうか。

自分の意見としては、この強制的に女性の数を増やす。という男女平等には強く反対する。

ずるい。とかの理由ではなく、そもそものこの方法が男女平等ではないから。それだけ。

通ってる大学の学部における男女比が大体4:6くらいなんです。

別に女性が優遇されているわけでもないし、男性が意図的に入試の点数が下げられているわけでもない。知らんけど。

ただ、この学部で学びたいと思った人の割合が、女性の方が多かっただけの話になる。

アカデミックな場における男女差別には今のところ遭遇していないし、男だからこの勉強ができるとか、女だからこの勉強ができることなんてない。

努力してるか、していないか。それしかない。

そりゃスポーツとかの授業になったら体格差とかはあるでしょうよ。
でもそれって差別ではなくて、区別として平等になるように調整ができるものだし、実際に男が3点入れないと1点にならない。みたいなルール調整は勝手にされる。
少なくとも自分の周りではされてきた。スリーポイントの距離が女子は近くなるとか。

でも勉強って違うやん。

正直この行動基準のいくつかにはそこそこ本気でムカついたものがあった。その中でもこれ。

・地位や席を女性と分け合おう

アホちゃう?じゃあ自分の周りでめっちゃ頑張っていて、到底追いつかない努力をし続けていて研究も進めてる同期の女子は、ジェンダー平等社会にふさわしいとされる男性によってお膳立てされたってこと?

笑わせるな。彼女は、彼女たちは、自分の努力で結果を出して、そこで一喜一憂している。

それを、そんな傲慢な調整や意識なんてもので「ジェンダー平等」に貢献したなどとするのは絶対に許されるべきものではないだろう。
それなら「男性にもランチにデザートを!」とかを掲げる方がよっっっぽどジェンダーフリーだ。
自分がたまに行く中華料理屋さんのレディースセットにしか出てこない胡麻団子を食べたいのもあるけど。

じゃあ例えば身体的に男性である自分が勉強しても仕事をしても結果が出ない。
「そっか〜、あなたは男性ですもんね。平等に選考が必要な授業やポストに空きを作りますね。平等のためにあなたの代わりにあなたよりも優秀だった女性を外します」
なんて言われてみろ。おかしいだろう。

能力主義、メリトクラシーによって動いているコミュニティにおいて、こんなジェンダー平等は絶対に成立しない。してはいけない。

前述の通り、私は女性を敵視しているわけでもなければ女性が男性よりも劣っているとも思っていない。

少なくとも自分が生まれるために、ヒトが生まれるために必要な機能を片側だけに背負わせてしまったことに対しては謎の罪悪感まである。

もし石油を掘り当てたら人口子宮とかその辺の科学で解決できる女性だけに存在する負担を低減できるものにアホほど投資をしたいと思っている。

なんなら自分の献血した血も、誰に使われてもいいけど一番使われているらしい産婦人科での出産時に使われていたら間接的に支援ができているのかな?
くらいのことは思っている。
こんなのを書くことがダサいけど。男なら黙ってやれ。

泣くのは女と赤子だけでいい。男なら黙って死ね。
江田島塾長も言ってた。

これだけ自己責任と能力主義が進んでいるのであれば、最低限の生理的な部分を一律で平等にするとかの前提で「頑張った人が一番得られるものが多いけど、頑張れない人も生きられる社会」を目指した方がジェンダー平等な気がしてならない。

次の国際女性デーで「ジェンダー平等社会にふさわしい女性のあり方15ヶ条」が発表されることを楽しみにしていることは、きっと男女平等社会において許されることでしょう。

長くなってしまった。ムカついた条文があといくつかあるのに拾いそびれた。この記事が炎上したら「いやそれは男女共に平等であるべきでしょ」みたいなタイトルで記事書きます。

ではまた。明日もこれ読んでくれた人が自分自身と誰かに優しく、そして優しくされますように。男女関係なく。人間が。





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