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音は言葉か、意味が言葉か

明日まで開催している、大学近くでやっている特別展に行ってきた。

「Homō loquēns 『しゃべるヒト』 ―ことばの不思議を科学する」というそれで、今学期履修している言語発達論に関連する企画を同期と見に行った。

どうしてヒトは話すのか?
話すって、何?どうやって?
何をどうして話してるの?

そんな言葉について見つめ直すような企画展だった。

大学生なので無料で見ることができた。
スチューデントなんとか様々のありがたさを受けながら、ぷらぷらと見続ける。

言葉は音であり、声帯の震えとかによって聞こえるもの。
じゃあ手話は?ボディーランゲージは?パントマイムは?

音が伴わなくてもコミュニケーションはできる。

じゃあ、結局「話す」って何?

そんなことを色々な角度から見つめ直す企画展。

なのに、その展示よりも地下の企画が自分は一番刺さった。

インスタレーションアートなるそれで、色々置かれたところで音が鳴っていて、特にこれを見ろ。みたいな展示で、椅子に座って流れてる音だけに包まれる時間を過ごす。

人が少なかったのもあって、ほぼ貸切みたいな空間で感じる初めての目的のない目的しかない芸術は初めて。

多分あの一瞬は自分は全てを理解していた。
宇宙と同化していたし、この世の真理に触れていたに違いない。そんな時間を過ごした。気がする。

目的がないこと、目的を見出すこと。
音とものを言わない物体に囲まれた空間で、自分は何を感じられたのだろうか。

もしかするとそれこそが言語なのかもしれない。そんなことを今になっては考えた。

今はラーメン屋に並んでいる。
これもまたインスタレーションアートなのかもしれない。知らんけど。いや、今は目的しかないから違うか。

腹減ったわ。なんか今日は500円で食べられる日らしい。

初めての家系ラーメン。家ってなんの意味なんだろう。友達に家畜?って聞いたら「間違っちゃいない」と返された。ちょっと不安になってる。

というわけで、ではまた。腹パンになったつぶやきを後ほどお送りします。

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