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アートが育たない国の行く末

ベーシックインカムって言う考え方自体はずいぶん前からあったものの、資本主義が腐ったみたいな日本の経済の感覚では、ぜんぜん普及する雰囲気はありませんでした。

ところが、2020年。幸か不幸か、一人10万円の給付金、また企業も持続か給付金ということを経験して、「これが毎月続いたら・・?」ということを想像した人は少なくなかったでしょう。

2回目の給付もあるらしい等という噂も飛び交ったくらいです。
このような環境になって、ベーシックインカムというあり方は、急激に注目を集めるようになりました。

ベーシックインカムって

ところで、ベーシックインカムって何?って言う人は、ウィキペディア他、詳しいサイトもたくさんあるので、一度ググってみるといいでしょう。

語弊を恐れず言ってしまえば、全国民に無条件で死なない程度の現金を配り続けるということです。(現実的には、そう単純なシステムではないのですが・・・)

すぐに想像がつきますが、それによって危機的な状況を生き延びられる人、より自分の未来に投資できるという人もいるでしょう。犯罪や貧困を減少させることもできそうです。

逆に国全体が非生産的になるのではないかという批判もあるわけです。
働かなくなる人もいるでしょう。
また、社会保障の自己責任という不安もでてきます。給付されたお金は失業中の医療費に使おうが、競馬ですろうが自由ということですね。

ベーシックインカムがあれば、確実に生活していけるということでもないということです。

結果的に、犯罪や貧困は逆に増えるという批判もあります。
経済の仕組みは難しく、面白いところでもありますね。

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アーティスト向けのベーシックインカム

ツイッターで、ウィーン在住の方が、アーティスト向けのベーシックインカムを受けたということをつぶやいていました。

生活の不安がないので創作活動に打ち込めるとか、高い画材が買える等のメリットを挙げています。

金額にすると毎月1000ユーロ✕12ヶ月まで、受けることができるそうです。

そんなおいしい話があるのかと思って検索してみると、ほかにもサンフランシスコ市長が表明したとか、ドイツやフィンランドの社会実験の話題がありました。

いずれも、個人レベルではとても良かったという感想を持っているものの、社会的にはデメリットが目立ってしまっているような印象をうけます。(具体的な数字を見つけられなかったので文章からの感覚です。)

日本にアーティスト支援の可能性があるのか

日本でも、一般企業支援と同様に、文化庁より「文化芸術活動の継続支援事業」というのが発令されています。

文化庁のウェブサイトをみるとかなり堅苦しい用語で書かれているために、自分も対象であるということを見逃しているアーティストもいるかもしれません。

しかし、同人ゲームの開発者も申請が通ったと言うことが話題になっていました。その、適応範囲は想像以上に広いようです。

今年は、「給付金」と「補助金」という言葉が飛び交っていますが、こちらの支援事業については「補助」と書かれていますね。

つまり、経費支出に対して一定の割合(または全額)が出されるもので、支出がない場合は申請できないのです。

一定の生産活動をしている場合はとうぜん経費がゼロということもあり得ないというのは一般企業であればその通りだとは思います。

しかし、アーティストの場合、「ここ1ヶ月以上は、カンバスを見てうなってるだけです」というのは、芸術活動として認められないということでもあります。それが禁止というルールはないのですが、生活費が確保されなければ、そういった本質的にクリエイティブな時間というのは、できない状況が今後も続いていくだろうという気はします。

自称アーティストとは言っても、現実的には低賃金のバイトに明け暮れるというのが、大多数の実態かもしれません。

ヒトラーの時代にベーシックインカムがあれば、画家のままだっただろうとも言われています。画家志望の青年が、貧困のなかで恨みを募らせていったことが独裁者を生んだのだとすれば、そういう可能性もあったということです。

日本でアーティスト向けの給付金ということは、実際には難しいでしょう。
本当は、飲食店や観光業と同じくらい、手厚く保護をしていくべきだと思うのですが、大きな利権が動きにくい芸術の世界では政治に反映されるのが難しいだろうというのが、僕の想像です。

この「大きな利権が動きにくい」というのは、国民の多くが何にお金を使うかと考えたときに、芸術に対して支出する割合が、極めて少ないという意味です。

僕自身が芸術活動を通じて何か目指しているわけではないので、外側から見ることしかできませんが、日本は、芸術が育ちにくい環境になってしまったということに、心の貧しさのようなものを感じています。

非認知能力の低下

最近は、教育関係の本を読むと、「非認知能力」というキーワードをやたら目にします。IQに対して、心の知能指数ともよばれるEQとも似ている概念です。

計算、記憶、処理能力のような、つまりIQが高ければ、「学校のテスト」的な問題はクリアできますが、未体験の問題を解決したり、クリエイティブな活動をするためには非認知能力が大きな差を生むのです。

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そして、最近の研究では、非認知能力が高い子は結果的に学力も高いということも言われて、ますます注目されています。

非認知能力をどうすれば高めることができるか、ということを調べ始めると、実に曖昧な情報しかないことに気づきます。

「地頭がいい」なんて表現をすることがありますが、こう言うのって、生活の中でしか育っていかないということなのだと思います。

そして、生活の中でアートに触れることも、大きな要素であると個人的には感じています。

合理的なことだけが正義か

日本で、アーティストという生き方が難しくなっているとすれば・・

生活の中から、ますます非合理的な要素が減ってしまいます。
現金収入につながること、衣食住の充実に関わることばかりが重視されて、それ以外のことは、省略されてしまいます。

非認知能力の成長が良い結果を生んでいるという事実を知っていながらも、次世代にはIQ重視の「やる気のないガリ勉」を量産してしまうのではないでしょうか。

自分たち親子のことを考えると、実際の生活の中で芸術に使えるお金というのはそれほど多くはありません。

子ども達を時々美術館に連れて行くよりも、ニンテンドースイッチを買ってあげる方が、安いし喜んでくれる。つまり、僕ら親は楽なわけです。

僕も、マリオに育てられた世代。ゲームの中にも素晴らしい芸術性があることは十分承知の上ですので、そちらの批判はご遠慮ください。

ただ、アートを見る目というのは、体験を積まないと育ちにくいということは感じます。

まったく興味のない人が、ある作品と出会って雷に打たれたようにはまってしまった・・ということは、あり得るのかもしれませんが、見慣れていない人が作品を見聞きしたときの正直な感想は「わからない」だと思います。

「わたし、クラシックはちょっとわからない」というのは、たいていの場合、「よく聞いた上で批判的」という意味ではなく、「そもそも興味がない」という意味で使われます。

日本が芸術活動がしにくい国になっていくとすれば・・・。
「わからない」がますます増えて、国民の非認知能力は低下し、最先端テクノロジーの世界でも、アメリカや中国に引き離されてしまうような想像をしています。

余裕がない中でもアートに触れたい

以前、ある舞台鑑賞のお誘いを受けたときに、お断りしたことがありました。

「長岡さんは、理解のある方だと思っていたのに残念です」と軽く皮肉を言われてしまいましたが、時間的にも、お金の面でも当時は何かと余裕がなく合理性を優先したわけです。

自分のリソースは限られていますので、多少興味があるといっても、すべてを見に行けるわけではありません。

国全体の制作でも、似たような状況なのだとは思います。

アーティストの方には、なんとかこの苦境を乗り越えて創作活動をしてほしいと思います。

僕らも大変なのは変わりませんが、少しでも、生活の中にアートを取り入れて、心も豊かにバランス良く成長したいと思う次第です。

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