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東日本大震災から12年~写真や映像が残すもの~

東日本大震災から12年が経ちました。
私のスマホの写真フォルダの一番初めに記録されていた画像は、震災直後の三陸の様子でした。
あらためて、記憶にとどめるためにその幾つかを掲載します。

NHK東日本大震災プロジェクト


その日、私は東京渋谷のNHK放送センターの12階で、4月からの新番組の打合せをしていました。
そこに突如襲った大きな横揺れ。
大きなテーブルが右に左に揺れていました。
私は、当時4月から4つの新しい番組をスタートさせる準備を進め、さらに地上デジタルの広報特集番組も抱えていました。
震災の日から数日間、報道の人たちが現地から次々とニュースを出しているのを横目にしながら、私は放送延期になったり予定変更になったりする自分の番組の後始末に追われていました。
そんな中、当時の上司から、復興支援プロジェクトを立ち上げるぞ、という声がかかります。
毎日臨時ニュースが続く中で、私はこれから10年後まで見据えて、放送局としてどのような支援ができるのか、青写真を描きました。
こうして5月には、被災地の復興を支援するプロジェクト(東日本大震災プロジェクト=震災プロ)が設立され、私はその初代の専任部長に任じられました。
写真は、震災プロ設立から間もない6月初旬に、事務局長と二人で三陸の沿岸を視察した時のものです。建物は粉々に砕かれ、車やガードレールはひしゃげ、巨大な船が内陸に打ち上げられていました。場所によっては、死臭が漂っていたのを今でも思い出します。


被災地を忘れない、ということ


以来、震災プロでは復興の進捗に応じて、様々な取り組みを行ってきました。
番組では、復興への道をドキュメントする「明日へ」や、東北の未来を支える若者たちの応援番組「東北発☆未来塾」、被災地と世界の人たちの交流を描く「Tomorrow」などを次々と開発しました。
英語アニメの「リトル・チャロ」でも「東北編」を制作し、日本語版も作りました。
さらに、様々な番組を現地で公開収録するイベントや、亡くなった人への思いをつづる「こころフォト」。
そして歌で震災の記憶を留めようとする復興支援ソング「花は咲く」プロジェクトも立ち上がりました。

こうした活動で一貫していたのは、「忘れない」ということです。
NHKは放送局なので、物理的な食糧支援や建築支援を行うことはできません。
しかし映像や音楽の力を使って、震災の記憶をとどめ、後世に長く語り継いでいく。それは、放送局ならではの支援のあり方だと思います。

体験していないことを忘れない難しさ


今、大阪の大和大学で日々学生たちと接しています。
関西在住の学生がほとんどなので、東日本大震災の揺れは経験していません。
また、彼らが東日本大震災のニュースをテレビで見ていたのは、まだ小学生の低学年の頃です。
遠い彼方の出来事のように捉えていたことでしょう。

彼らと話していると、直接経験していないことを長い間「忘れない」ということは、大変難しいものなのだということを実感します。


映像の果たす役割


人間は、コンピュータと違って「忘れる」という力を持っています。
これは生きていく上で欠かせない力の一つです。
嫌なこと苦しいこと、痛みや苦痛、そんなことをいつまでも記憶していてはとても耐えられません。
しかしその一方で、忘れてはならないこともあります。
震災の記憶などは、その一つです。
災害が引き起こす甚大な被害、亡くなった人の無念、残された人の思い、今も復興半ばの人たちの暮らし。
そうしたことに、遠く離れた地に住む人たちも、折に触れ思いを馳せること。それがとても大切なことだと思うのです。

映像や写真は、当時起こったことを時を越えて伝えることができます。
私たちが、生まれる前の戦争の様子を知ることができるのも、映像の力が大きいと思います。
それと同じように、数十年後に歴史の教科書で遠い過去のこととして東日本大震災を学ぶ子供たちにとっても、映像や写真で被災の様子を見ることが、とても貴重な疑似体験になると同時に、次の防災・減災への意識を高めることにつながります。
映像に残すというのは、未来の命を救うことにもつながるのです。


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