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「人間どこまでいけるのか?」林業ミッション・長浜市地域おこし協力隊の壷坂宣也さんに突撃してきた

こんにちは!
「長浜森の生活史」第5弾は、長浜市地域おこし協力隊(テーマ:自伐型林業)の壷坂宣也(つぼさかのぶや)さんにインタビューをしました。

今回から、おなじく長浜市地域おこし協力隊の辻本果歩(つじもとかほ)さんが「長浜森の生活史」の取材メンバーとして加わりました✨
地域おこし協力隊の3人が集まり、はたして、どんな話を繰り広げるのか?
今回も楽しんでお読みください!

壷坂宣也さん(壷坂さん)
1967年生。兵庫県神戸市出身。長年にわたる国内外での教員や、青年海外協力隊を経て、2022年秋より、長浜市地域おこし協力隊に着任。テーマは自伐型林業。

聞き手:辻本果歩(かほ)・土屋百栞(もも


田舎の学校の先生に憧れて

もも:今日は全員、長浜市地域おこし協力隊のメンバーですね。
かほ:本当ですね!よろしくお願いします。
もも:壷坂さんは、地域おこし協力隊になる前は、学校の先生でしたよね。
壷坂さん:そうです。ずっと先生をしていました。最初は田舎の学校の教員になりたかったんです。「二十四の瞳」(※1954年公開。瀬戸内海の小豆島に浮かぶ小さな小学校を舞台にした映画)といった作品に触発されて、離島や小さい規模の学校で教員をするのが憧れでした。
そういう小さい学校だと先生が少ないから、1人の先生がいろいろな経験をしていることが大切だと思っていました。なので、教員生活の途中に、20代で青年海外協力隊としてパプアニューギニアへ行ったり、30代ではオーストラリアで教員をしたりしていました。

インタビュー風景(左:壷坂さん、中央:かほ、右:もも)

もも:その理由でパプアニューギニアへ行くのが、すごい行動力ですね(笑)。どうしてパプアニューギニアを選んだんですか。
壷坂さん:ラグビーがあるところに行きたかったんです。自分が高校、大学、社会人クラブでラグビーをしていたので、現地の人たちと交流を深めるためにも、言語以外でもコミュニケーションを図る手段がある国がいいなと思ったので。
あと、どうせ経験するのなら、中途半端な田舎よりも、まだ昔の暮らしが続いている秘境がいいなと思っていました。当時、アマゾンの奥地、マダガスカル島、パプアニューギニアのハイランド地方が世界の三大秘境と紹介されていたので、そこから選びました。
そして、大学を卒業してから、4年間神戸市の公立高校で働いたあと、青年海外協力隊で、パプアニューギニアの学校で理数科教師として2年間活動しました。

パプアニューギニアでの驚きの日々

かほ:パプアニューギニアでの日々は、どんな感じでしたか。
壷坂さん:学校があるときは、日中は学校へ行き、電気がないので暗くなったら寝る、という生活をしていました。村の人の生活はとてもシンプルで、朝起きてから夜寝るまでの行動が、毎日ほとんど同じでした。一大イベントといったら、イノシシの家族が村を横切るとか、そんな感じ(笑)。
そういうイベントを、幼児からおじいちゃんまで同じテンションで楽しんでいました。ある意味、みんながバラバラな生活をしていないから、村の価値観が統一されている感じです。生活がシンプルなので、会話もシンプルでした。
町には貨幣経済が入ってきていましたが、村はまだ物々交換だったので、お金を持っていてもたいして役に立たなかったです。1個の電池を得るために、大量の芋を持って歩いて交換しに行ったこともありました。

パプアニューギニアの教え子とともに(下段一番左が壷坂さん)

壷坂さん:まだ近代化が進んでいない、本当の村には、ゴミがないんです。村と町の間くらいだったら、缶詰があったりするけれども、本当の村は人工物がなくて、石斧でカヤックとかを作っていたんですよ。
学校の体育の授業で、野球について絵や写真を使って説明したら、次の日に生徒たちがバットを作ってくるんです。そのときまでは、買ってあったバットを見せてみんなを喜ばせようと思っていたんだけど、バットを作っている生徒たちの姿を見たら、もう買ったバットを出せなくて。自分がものを買ってくるという発想しかなかったことに、反省しました。
でも、エンターテイメントや人工物がなくても、みんなすごい幸せそうなんです。そこの村にしか住んだことがないし、病気にかかったり、早く死んだりするかもしれないけれども、全然ストレスがなさそうなんです。メンタルがやられている人もいないし。家族や村の人たちと過ごす時間が長くて、その中でたくさんの笑顔を見て、「幸せってなんだろう」ということを考える、すごくいい機会になりました。
もも:パプアニューギニアの人たちの身体能力に驚いたエピソードはありますか。
壷坂さん:僕だったら縫わなあかんようなケガを自己治癒力で治したり、視力が2.0の僕が点でしか見えないような鳥も、生徒全員が色までわかっていましたね。ボディバランスや動体視力もすごくよかったです。
あとは、方向感覚がすごくよくて、方位磁石なしでもジャングルの中を正しい方角に歩けるんですよ。「なんで道がわかるん?」って聞いたら、逆に「なんでわからないの?」って聞かれました(笑)。道なき道を、ブッシュナイフ1本でシュッシュと草を刈りながら歩いて行くのが、すごいなと思っていました。

人間どこまでいけるのか?

壷坂さん:そんな、パプアニューギニアでのシンプルな生活スタイルや山の暮らしを経験したので、そこから山に興味を持ったんです。
もも:登山部とかには入っていなかったんですか。
壷坂さん:ジョギングが好きなくらいで、そういう山に関することはまったくしていませんでした。でも、パプアニューギニアで身体能力が卓越した人たちを見て、「人間ってこういうこともできるんや!」というのを感じて、エベレストに行こうと思ったんです。「人間どこまでいけるのかな」と思って。
かほ:パプアニューギニアから帰ってきてから、エベレストに登ったんですか。
壷坂さん:パプアニューギニアのあとに、オーストラリアで教員を7~8年して、そのあと日本のインターナショナルスクールで5年働いていたんです。そこの学校の子たちは、ハーバード大学とかスタンフォード大学へ行くような子もいて、優秀でエリート意識が高くて。最初は素朴な夢を語っていても、最終的には「ビジネスで成功しなくてはいけない」という意識が子どもらにありました。
それを見ていて、小さい夢も大事にしてほしいなっていう気持ちがあったんです。そこで、「やりたいことを大人になってもやる」という姿勢を子どもたちに見せたいと思って、エベレストに登ることを決めました。学校を辞める最後に、「エベレストに登るから辞めます!」って宣言して。
練習のために、南米のアコンカグアという7,000mくらいの山に1人で登ったりしてから、エベレストに登頂しました。
かほ:勇気がすごい・・・!

アコンカグア山で練習中の壷坂さん

壷坂さん:怖さもありましたけどね。そうやっていろんな山に入ったときに、あちこちで氷河を見たんですけど、もともと写真で見ていた氷河よりも小さくなっていたんです。現地の人に聞いても、「どんどん小さくなっている」ってみんな言っていました。
氷河だった場所で滝のように水が流れている光景を見て、地球温暖化や環境問題って、思っている以上に深刻ではないかと思って。
もも:環境問題を肌で感じたんですね。
壷坂さん:ニュースとか本でそういう光景を見ても、そのときは衝撃的だけど、おそらく後には残らないと思います。けれども、実物を見て五感で感じたから、そのやばさが、体の中に残っているんです。
それから、仕事以外にも、自然に関わることをライフワークとしてやりたいと思うようになりました。

海外と比較した日本の教育

スキルベースの海外

もも:最初にあった、田舎の小さな学校の先生になる夢はどうなったんですか。
壷坂さん:田舎の教師になるのは、結構難しかったんです。エベレスト登頂後は、立命館守山高校に8年間いたんですが、年齢的に教員生活も最後にさしかかってきて、早く田舎の先生になりたいと思って、教員採用試験を受けたんですよ。でも、合格しても、僕の経歴を見られたら、都会の学校のグローバルコースとか、そういうところで働くことを期待されてしまうんです。
日本の公務員は、人事権が応募者にないので。
もも:オーストラリアは違うんですか。
壷坂さん:違います。オーストラリアは、学校側が求人情報を求人サイトなどの媒体に載せて、採用を受ける側が自分に合った学校や条件を選んで応募します。日本の公立教師は、なんでも屋さんみたいで、学校が求めているというよりは、行った学校で任された仕事をする感じです。
海外の方がスキルベースなんです。スキルベースの環境で働いた方が、最後に一人でぽんと放り出されたとしても、「僕はこれができる!」というのが残るからいいと思います。もし僕が神戸市で先生をずっとやっていたら、数学の教え方がちょっと上手とか、国際的なことにちょっと詳しいくらいのスキルしかきっと残らなかったと思います。
海外の学校では、教員の求人情報に書かれた内容や自分が活かしたいスキルを考えて、キャリアを積み上げていくことができるので、自分で人生設計をしやすいです。それに、長期の休みも多いから、プライベートでもいろんな挑戦ができます。僕は今、「英語と数学が教えられて、途上国も先進国も経験し、エベレストにも登頂した」というスキルや経験を持った教師になることができています。まわりの人の反応も、「そんな人会ったことないわ!」ってなります(笑)。それは、海外で働いたからこそ作り上げることができたと思ってます。
もも:たしかに、そんな人会ったことがない(笑)。

エベレスト登山中の風景(下に見える山も8,000m級)

壷坂さん:そんな風に、田舎の学校への採用にチャレンジしているうちに、これからは学校だけで教育をする時代じゃないかなと思ったんです。また公立学校に入ったら、そのシステムで苦労するかもしれないですし。なので、自分ができることを見つけながら、興味がある自然環境に携わる林業や森林整備もしつつ、外部から教育に関わっていくのがいいかなと思って、そういったことができそうな長浜市地域おこし協力隊に応募しました。

日本の子どもにあったらいいスキル

もも:壷坂さんは、世界をいろいろ見てきて、そんな中でも、日本で生きていくという選択をしたんですね。
壷坂さん:自分は全然どこでも生きていけます。だけど、日本人として、日本全体を考えたときに、いろいろ思うことはあります。ひとつ、子どもたちにあったらいいなと思うスキルは、自由に海外と出入りできるスキルです。そのスキルがあれば、選択肢がものすごく広がります。
例えば、僕は10年ほど前に、オーストラリアの国立公園の仕事に応募し、採用してもらったことがあります。そのように、日本人の子が就職の選択肢を広げ、働き方や生き方を選べたらいいなと思います。労働環境や給料もいいですし。インターナショナルスクールの子はまさにそうで、日本と海外の両方から進学先や就職先を決めています。そういう子は、語学だけじゃなく気持ちの面でも海外に対する壁がないんです。
だから、例えば海外の先生を入れたりして、日本の学校がもっと海外との垣根を取っ払っていったら、子どもらも固定観念とか保守的な気持ちがなくなってくるかなと思っています。

インタビュー中の壷坂さん

壷坂さん:そうやって、いろんな人がどんどん海外へ出て行って、いろんな視点で物事を考え出したら、日本のスタンダードが上がっていくと思います。いろんなものを見ると目が肥えるので、日本に戻ってきてなにかを始めるときに、全然違うことを思いついたりするんですよね。やっぱり、なにかを想像するときは、「どれだけのものを見てきたか」という、その人がこれまで歩んできた道のりがベースになります
スティーブ・ジョブズさんが、「若いころに何気なしに体験した様々なことが、大人になってから繋がる瞬間がある」と言っているのと同じで、そういった、点を打つことをたくさんするのが大切ですよね。でも、自分が興味があることに自らどんどんトライしていくという姿勢は、日本ではまだ見えにくい気がします。
海外の人は、トライアンドエラーをすごく簡単にするんです。いろんな発想をぶつけてきます。けれども、日本はどっちかというと、大衆がやっていること、世の中で人気があることに乗っかるという安全志向が強いので、点を打つ環境が少ないんです。だから、子どもらが、いろんな経験をしていいものを見るという「点を打つ環境」がもっと作れたらいいなと思います。

協力隊の活動とこれから

もも:壷坂さんが今取り組んでいる、協力隊の活動内容を教えてください。
壷坂さん:木材をたくさん生産するような、がっつりした林業をすることはあまり考えていないです。そういう林業の形だと、トラックや重機をそろえたりして初期投資が大きくなるので、小さい規模で森林整備をしていきたいと考えています。これまでの活動では、個人に頼まれて庭木を伐ったり、薪をつくったりしてきました。
でもやっぱり、ほったらかしになっている山は多いので、そういう山に入って整備していきたいという思いはあります。そういう山は、アクセスが悪かったりして、その分整備にお金がかかるかもしれませんが、他の仕事とバランスをとって、ライフワークとして続けていきたいです。
例えば、オーストラリアでつながりがあった人に、夜にオンラインで日本語を教えているんですが、そういう教育関係の仕事などと組み合わせて、山の仕事を続けていきたいです。

壷坂さんの住む集落の風景

もも:今後なにかやっていきたいことは、ありますか。
壷坂さん:自分が住んでいる集落や地域が、盛り上がるようなことをやっていきたいです。今は、地域を盛り上げるとなると、「外から地方へ人を呼んでくる」というアプローチが多いけれど、それよりは、住んでいる人の満足度を上げていけたらいいなと思います。ここの集落はめちゃくちゃ小さいので、僕はもうだいぶ顔が割れてきました(笑)。
かほ:素敵ですね!
壷坂さん:単発のイベントをバンバンやるというよりは、地味なことを継続していきたいです。教育も、森のことも、結局継続が大事じゃないですか。地方だと、なかなか人が足りなくて継続が難しいこともありますが、自分にできることを継続していきたいです。

今回のお手伝い

今回は、壷坂さんが自宅で育てている、パパイヤの木の伐採をお手伝いしました!

かほ、パパイヤを伐る

「どうして降雪地帯にパパイヤが?」と思いましたが、パプアニューギニアにたくさんあって親しみがあり、「獣害に強い木」と聞いて壺坂さんが植えてみたそうです。
ごつい見た目に反して、わたしたちでも簡単にノコギリで伐れました✨
来年は、耕作放棄地に植えることも考えているそうです!

私(もも)はお肉と一緒に炒めて食べました。エスニックな風味で美味しかったです。

編集後記(もも)
 今回のインタビューを通して、壷坂さんは、まさに話の中でも出てきた「点を打って、つながる」経験をたくさんされてきた方なんだなと、改めて思いました。海外と日本、先進国と発展途上国で活動してきた経験から紡がれる言葉は、現実的でとても地に足がついていると思いました。私も、自分のスキルを少しずつ積み上げていきたいです。
次回は、元長浜市地域おこし協力隊・コマイテイ店主の荒井恵梨子さんにお話を伺います。次回もお楽しみに!

<聞き手・ライター>
辻本果歩(かほ)
1998年生。兵庫県西宮市出身。2023年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。テーマは、シェアリングエコノミー。

土屋百栞(もも)
1997年生。茨城県出身。2022年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。森林浴などの活動を通じて、自然との結びつきを感じる機会づくりを模索している。

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