7.メンヘラが恋愛語ってもいいですか_

幸せの差分

基本的には世の中の皆さんがみんな幸せに生きて欲しいなと思っている人間なのですが、やっぱり34年も行きているとそうも思えない人に出会うことがあります。
そういう人に対して「不幸になれ」とまではいかないのですが「できるだけ幸せにならないで欲しい」と思ってしまうんです、嫌な奴ですよね。

具体的には、自分を傷つけた人とか、理不尽なことを言ってくる人がそれに該当します。
そうですね、やっぱり元彼系が多いです。

実は別れる時って、私の場合はそこまで相手のことを嫌いになっていないケースが多いです。
というか、まだ気持ちが残っていて「嫌いになりきれないまま別れる」と言った方が正しいかもしれません。
でも、時間が経って、別の人と付き合い始めたりして、その人に対する気持ちが冷静になってくると思うんですよね、「あれは酷くない?」って
別れ際だけでなく、付き合っている中で喧嘩にはならなかったものの悶々としたこととかを、ふと思い出したりして「いやいや普通に考えて私悪くないやろ!」と正常な判断ができるようになる気がします。
ジワジワと、時間が経過するたびに、脳内で「あの男は最悪だった」と定義されるのです。

まあこれも、実際よりも脳内で”情報を盛って”いる可能性があるのは自覚しています。
「昔の男の方が良かった」と思わないための、自己防衛のようなものかもしれません。
それを鑑みてもやっぱり許せないなぁと思うことはあって、そんな人も時間が経てば結婚して家庭を持っていたりするわけです。
「マジ幸せになるなよ!」と思っていたのに、幸せになりやがったな?こいつ、となりますよね。
(私の頭の中のガンバレルーヤよしこが「クソが!」と叫んでいます)
見なきゃいいんですが、なんででしょう?SNSはフォローしていなくても間に人が入っていて、その人が「いいね」を押したりするとタイムラインに表示されるんですよね。
しかも結婚報告の投稿なんて、みんな「いいね」するじゃないですか、基本的に。
なので、共通の友人知人の投稿を全部非表示にでもしない限り、伝わってくる、そういう時代です。

あまりにも腹が立っている相手に関しては、その人がバレては困るような秘密を公に晒すことも考えたのですが、(名誉毀損になるとかはこの際置いといて)それはちょっと違うな、と思っていて。
だって私が「幸せになるなよ」と思っているのはその男であって、相手の女の人にはなんの感情もないんですよね。
本当になんの感情もないんです。
「幸せになるなよ」とも「幸せになって欲しい」とも、なんとも思わないんです。
だから、私が何かアクションを起こすことによって、その女の人と揉めたり、別れなければならない状態になったりするのは、本意ではないんです。
(悪い男なら別れた方がその女の人にとっては幸せなんじゃないか、とか、そこまで考えることもない、ということです)

それと、もう一つ思うのは、「私にとって悪い男」だっただけであって、その人の周りの方々やご家族にとってはやっぱり『大切な人』なんですよね、きっと。
見えないところで私のことを傷つけていようが、友達付き合いをする上で、そんなことをいちいち責めたりするでしょうか。
「あいつ女癖悪いけど、いい奴なんだよな」くらいにしか考えないと思います。
私も友人の立場だったら、そう思う気がしますし。

というわけで、「幸せにさせないぞ!」と思うのではなく、「幸せの差分」を考えることにしました。
「私の方が遥かに幸せだ」と思う、ということです。
もちろん、幸せに基準なんてないし、他の人と比べられるものではないと重々理解しています。
でも、誰かに「幸せになるなよ!」なんて負のエネルギーを向けるくらいなら、自分が”より幸せに”なるよう力を使おうと思ったんです。

効率がいい。
マジでこれは効率がいいです。
旦那との生活もより楽しくなるし、SNSで不意に上がってくる幸せそうな投稿にも「良かったね〜」と思えるようになります。

まあこれも、今まで付き合った人との生活では考えつかなかったようなバチクソ高い幸福感を旦那様が与えてくださっているから言えることなので、旦那様には頭が上がりません。

とはいえ私も、きっと誰かにとっては「意地の悪い女」と思われている可能性もあるし、そんな人からの”爆弾”が降ってこないとも言い切れないので、できるだけ周りの人には優しくありたいなと思います。
(帳尻合わせみたいなことを書いてしまった……)

今日は昨日の残りを使ってオムハヤシにしようかな。
また明日。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!