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「晴れの日も雨の日も」 #116 腕は上がったのか?

昨年5月にコーチングを学び始め、約1年半で30人近くと1on1セッション等の活動を重ねてきた。

コーチングでは、相手が話している問題そのものではなく、相手の頭や心のなかに焦点を当てて話を聞く。
この普通とは違った聞き方に最初の頃は目を白黒させる思いだった。こんなことが一体自分にホントに可能なんだろうかと何度も思った。
しかし、それでもセッション終了ごとに振り返りと反省を重ね、経験値を積むうちに、少しづつ技量が上がってきたような気がする。

約束していた1シリーズのセッションが終了した後、延長のオファーを頂いたりもする。価値をお届けできている確かな手応えを相手の反応の中に感じることが増えてきた。

相手の問題解決を自らは手放すということがまだカンペキに出来ているわけではないし、ほっといてもどんどんクライアントが寄ってきてくれる、なんてこともない。盤石たる、というのには程遠いが、何とかやっていけそうな感じがしている。

私の敬愛するコーチは「人生本気で変えたい人のコーチ」を標榜されているが、現実的にはそういう人はそうそういるもんじゃない。
私は以前の勤務先を主な舞台として活動をしており、クライアントのテーマは企業活動に関連したものになってくる。
そして組織人が抱える問題のほとんどがコミュニケーションに関連したものだ。だいたい、気分よく毎日を過ごせるかどうかは半径5mの人間関係にかかっている、と言われるくらい人間関係は重要問題だ。

そうするとある程度似たような状況の話を聞くことになる。
圧倒的に多いのは部下との関係性に関するものだ。

主体性に欠ける部下にどう対したらいいのか。
自分の好きなことしかやらない部下をどうするか。
アウトプットの少ない部下に困っている。
自分流のやり方でしかやろうとしない部下に悩んでいる。
自分の方針がチームに浸透しないのだがどうしたらいいのだろう。
などなど。
いずれもサラリーマン・ウーマンならみなぶつかる「アルアル」だと思う。

で、会話を進めていくと見えてくることも大体似通ってくる。

部下のことをどのぐらい分かっているのか、分ろうとしているのか。
部下の何を知っているのか。それはどんなものさしで見ているのか。
部下のアウトプットしか見ていないのではないか、
そのアウトプットを生み出している相手の頭の中、価値観に興味があるか。
部下が心を開かないという前に自分は胸襟を開いているのか。
自分流を押し付けているのは実は自分ではないのか。
部下は「使う」ものなのか、パートナーなのか。

などなどの問いがいわばテッパンとなってくる。

こういう問いにより相手が気づきを得たり、自分の姿を振り返ったりしてくれる。それが上記のような価値の創造につながっており、そういう意味では技量の向上と喜んでもいいのだろう。

一方、テッパンの問いに頼りすぎると、自分のコーチングがパターン化してしまったり、謙虚さが薄らぐ危惧も感じている。また、こんなことに気づいてほしいというこちらの思いが強すぎると、方向性の偏ったコーチングになる恐れもある。ただひたすら寄り添って傾聴しようとしただけの時間の方が、結果的には相手の中に深い気づきを生み、行動変容が始まるのを目の当たりにしたこともある。「気づかせてやろう」とこっちがしゃかりきになるのはかえって良くないのだ。

会話は白紙の心で進める必要があり、変な先入観は阻害要因になる。コーチングの経験値を増やしていくことはいいことだと思うが、原点を忘れずに取り組みを進めていきたい。

西宮市夙川の紅葉。いずこも紅葉真っ盛りだ。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com

<予告>
#117 12月は誕生日月間
#118 やわらかい心
#119 ながいコーチングワールド

(続く)

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