見出し画像

卒業と四半世紀、そして東京へ。

お久しぶりです、永平です。
ここ約2年間ほど、noteに残さなきゃなというタイミングは多々ありつつも、何かと自分に言い訳をし続けて更新をサボっておりました。

気づけばここ最近自分にとって大きな人生の節目がやってきた気がするので、重い腰を上げて気持ちばかりの近況報告noteを綴ろうかと。

●7年間の大学生活に終止符

はい、お疲れ様です。おそらく富山で一番「学生」というブランドを濫用したのではないでしょうか。学生であるのを良いことにあんなことやこんなことへの免罪符とし、それを言い訳にたくさんの失敗をしたり、はたまたそのおかげでたくさんの機会をいただいたり。

実は大学の単位は3年生の時に取り終えていたのですが、4年生になりたての頃に、愉快な仲間達と愉快な決断をしてしまい、起業とセットで休学をしたのでした。学生と社会をつなげるという淡い目標を掲げながら、自らが学生であることが、学生の目線を忘れないという意味でも非常に大事だと思い(卒論が面倒くさかったのも8割くらいの理由でありますが)、事業に専念しようと休学しました。おかげで社会に出る上で切り替えねばならない学生感覚まで最初はかなり引きずってしまい、たくさんの富山の社会人の皆々様に迷惑をかけました。今でもちょくちょく引きずっているところがあるかもしれませんごめんなさい。

そんな甘々な僕ですが、本当にありがたいことに、たくさんの挑戦の機会をいただき、たくさん失敗させてもらい、それでもまた挑戦の機会をいただき、亀のようにゆっくりではありますが、着々と成長できたなと感じます。受験を失敗して流れ着いた富山でたまたま起業して、たくさんの方にお叱りや励ましや応援など愛情から由来するたくさんの大切なものをいただきました。次第に「この恩を返さなくてはならない」という使命感も湧くようになりました。身近な学生をはじめとして、今の僕にできることを模索しながら、僕が受けた恩恵を還元しようと日々試行錯誤しています。


後輩たちには僕のようになってほしい、とは一切思いませんが、ある意味では、僕ほど無礼に突き進んでも道が開けた、助けてくれる人がこんなにいた、というのは伝えていきたいと思っています。何もせず後悔するくらいなら、綺麗な形でなくてもやってみて、周りに迷惑をかけながらも、誠実に、感謝の気持ちを忘れずに進めば、意外となんとかなるから、一歩踏み出してしまえ。と、そんなふうに思うようになりました。これからは僕がたくさんの無礼を受け止め、たくさんの機会を提供し、たくさん失敗させて、それでもたくさんの機会を与えれるようになろうと思います。

まあ、周りに迷惑をかけないに越したことはないので、僕の失敗談から学んで欲しい。。僕の屍を超えてほしい。。と切に思います。

そんなこんなでいよいよ学生という免罪符がなくなります。なくなったところでやることは何も変わらないのですが。
これを区切りに1人の社会人として、堂々と勝負していきたいと思います。

今までありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

目つき悪いのは親のせいではなく、生き方のせいです。


●四半世紀迎えたった

どうでも良いっちゃどうでも良いんですけど、数日前に25歳になっていました。人生100年時代の4分の1を消化してしまいました。そんなに長く生きるつもりもない+人生の体感速度は年を重ねるほどに速くなるというのを信じているので、人生のほとんどを消化してしまった気分です。

これから一瞬なんだろうなぁと、20代からずっと思って生きてますが、そう思ってから今までもやはり一瞬に感じます。
そんなことをほざいていると尊敬する大人の方々に、「お前の強みは若さだ」とお叱りを受けるので、それはそれで重々受け止めながら、たまにこうして振り返りながら、振り返った時には一瞬で溶けてしまう若さなるものを、ゆるやかに濃密に、溶かしていきたいなと思います。
最後詩的に締めるのは僕の悪い癖で、きっと今後見返すたびに過去の自分を痛々しく思うのでしょうと、ここに言い訳を記しておきます(泣)。

なむ。


●メインの拠点を富山から東京に


さて、約1年前に立ち上げた2つ目の会社(株)就活ラジオにて、現在進めている事業、「就活道場」。こちらの事業を大きくするために、わたくし永平、東京に行ってまいります。

詳細はこちら💁
https://note.com/shukatsuradio/n/n2b6538bdb02f


現在実施している事業モデルが富山の学生だけでなく、他県の多くの学生にも。富山の企業だけでなく、他県の多くの企業にも当てはめられるだろうと考え、事業を高速でブラッシュアップすることも併せて、ひとまずの東京進出です。とは言え不安しかありません🫤

ゆくゆくは全国の学生と企業にこの枠組みを当てはめて、人材の流動性を高め、日本全体の生産性の向上に寄与できればと考えています。とまあ、身の丈に合わない格好つけたことをほざいてますが、本心で思う自分がやれる最善策として、今はこの事業に人生を使おうと思います。

なお、ちゃっかりと富山県の委託事業も受託させていただきましたので、「東京で頑張ります」と宣った矢先、ちょくちょく富山にも公費で戻りながら、2拠点で活動させていただきます。東京と富山の壁を壊していける、そんな存在にもなりたいところです。

悪しからず悪しからず🤲

長くなりましたが、、、

学生でもなくなり、富山で築き上げてきた人脈もなくなり、人間としてのステータスがガクンと下がる僕ですが、しぶとく生き延びたいと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


行ってきます。

ps.最近の大きな出来事として、富山県のアメリカビジネス研修(ポートランドとシリコンバレー)に行ったことや、お世話になっている方に福島をアテンドしてもらったことなど、色々と発信し損ねていることがあるので、今後別途noteに書いていきたいと思います!👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?