見出し画像

⭐️心の処方箋 3回目⭐️

午前2時、当直ピッチが鳴りました。患者さんが心停止したので来てほしいとの連絡でした。
その患者さんはすでに何度となく危篤状態を乗り切ってこられ、すでに人工呼吸器に続がれた状態でした。
もはや本人ご自身に延命に対する希望は確認が困難なので、遠縁のご家族に心肺蘇生の希望を聴取したところ、まだ若いのでできる限り延命措置を希望されるとのことでした。
看護師、スタッフと一緒に、AED,救急カートを移動させ、心臓マッサージ、薬物投与を開始、私が通電を実施しました。
すると、心臓が再び脈を打ち始め、一瞬スタッフの顔が明るくなりました。
しかし、これまでの治療、病気、加齢で傷んだ心臓は電気ショックで鞭打たれ復活したもののまた休眠状態になり、再び心停止になります。
そこで再度、私は通電します。
再度、心臓は動きますが、もはや脈のようにリズムを打たずに電気信号を発するだけの状態です。
それを修正するために再度私は通電をします。
スタッフの中にとまどいの表情が見受けられるようになります。どこまでするのかと。
家族の希望と、目の前の患者さんの姿に、自分が何をしているのか、何をしたらよいのかわからなくなります。
結局ご家族に現状を再度相談し、そのままお見取りとなりました。

どんな状況下でも生きようとした心臓のもつ生命力に畏怖の念を抱きました。
命は意識を超えて、生きようと叫び、その声が私の心に聞こえました。
「最後に誰かに会いたいんだ」と叫んだのかもしれません。わかりません。

大事な人が命尽きる頃に何かしてあげることは、苦痛である可能性があります。
日々の交流の中で大事にしてあげる方がはるかに自然で、幸せを生むと再確認しました。

星野富弘さんの詩画集を久々に見ながら、これからの日本でさらに加速するであろう多死社会における医療、人間関係のあり方について考えさせられました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?