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2年間半の東京(内地)生活と私

大学を卒業して新卒の春、私は故郷の沖縄から東京へ上京した。
2021年11月1日に2年間半お世話になった東京を離れ、故郷の沖縄へ一度戻ることにした。なぜこのタイミングかというと、南の島の出身の私からしたらやはり東京の寒さは厳しいからだ。(と言った方が面白いから、表向きはこの理由にしている)


新宿とお酒と私。

卒業後は沖縄県外に出るつもりだったが、一般企業への就職は考えていなかったので、カフェやゲストハウスなどで働きたいと思っていた。しかし、ある人との出会いで夢を追いかけるなら現実を安定させた方が、夢を叶える速度が早くなると言われて一般企業への就職を決めた。大学4年の8月までろくに就職活動をしていなかったので、9月から東京で1ヶ月間就職活動をした。早々と内定を3社からいただき、そのうちの一社の不動産投資の営業決めた。

最初に住み始めた街は、最寄駅が都営大江戸線の西新宿五丁目。駅のすぐ裏に住んでいたが、住所は渋谷区と謎なところだった。立地としては、都庁付近にある会社まで徒歩15分ほどで、中野にも渋谷にも行きやすい場所だった。就職先が不動産会社だったので、自社物件に住むことで家賃が5万円にまで抑えられた。新宿にも徒歩で行ける距離だったのですごく有難かった。

家の近くにある川沿いに春になると桜が咲き、ひらひらと舞う。まるで桜が風に吹かれて踊っているみたいに見えて、川もキラキラ光りすごく好きな街だった。幼い頃から、東京の桜を初めてみた時にとても綺麗で感動したという話を母から聞いていたので、初めて桜が舞う瞬間を見たその時にやっと東京に来たのだと実感した。住んでいた家は、1Rの築年数の浅いマンション。同じ会社の先輩が上の階には住んでいて、お兄ちゃんのようにすごく良くしてもらった。

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会社は、個人営業の仕事だったので毎日外に出て、接待や飲み会などの営業活動に勤しんでいた。飲まない日は無いくらい、休みの日も営業活動をして飲みまくっていた。「沖縄出身だと、お酒強いの?」って聞かれると、いつも回答にすごく困るけど、私の場合は正直お酒が強い。燃費が悪い。営業活動などで飲みに行くと、みんながいい感じに出来上がった頃にほろ酔い状態になるので、解散後一人で過ごすのは寂しいという理由から、終電も気にせずに毎日新宿の街やゴールデン街で飲み歩いていた。

西新宿に住んでいる時にいくつかの恋愛も失恋もした。25歳にして初めてのラブホデビューも新宿だった。初めてのことが沢山あった新宿。私は人が沢山いてゴミゴミした街が苦手。だけど、なんだか新宿はホッとする街になった。久々にお店に行くと、おかえりと言ってくれる人たちがいる。アメリカンドッグを売ってるコンゴ人のボス、バーで働いている人懐っこいフィリピン人の同い年の女の子、ゴールデン街の捻くれてる店員のお兄さん、アフリカンサイズのアフリカンバーの美人ママ。会社員時代に上司や先輩と遊んだお店や、好きだったあの人といった公園、悔しくて号泣しながら歩いた道、酔っ払いすぎて着いてきたコンゴ人から逃げるために飛び越えたフェンス(笑)

決して楽しいことだけじゃなかったけど、あの時の私は新宿という街で悩んだり考えたり泣いたり悔しがったりしながら、毎日精一杯生きていた。新宿という街とお酒、そして出会った人のおかげでたくさんのことを感じ、今までに見えなかった世界を見れた。見守ってくれたあの街に感謝。


高円寺とお仕事と私。

10月になり、「コンドームの妖精」をしていきたいので辞めますと伝え、不動産投資の会社を退職した。
不動産の会社は人がすごく好きだったが、全く興味のない不動産で営業をしていくのは苦しかった。そして常に、「私はこれでいいのか、今死んでしまったら後悔するのではないか。」と悩んでいた。なぜなら、やっぱり私はセックスに関することや性教育関係のことで、女性をエンパワメントしていきたい、そして太陽な人になって自己表現をして生きていきたいという気持ちをほっとけなかったから。すごくお世話になった先輩や上司に退職は止められたが、私のセックスに対する情熱は誰にも止められなかった。と言ってみたかった。(苦笑い)

高円寺はすごく思い入れのある街。
大学に入学したての頃、私はバックパッカーや世界一周などの旅にすごく憧れがあった。幼い頃から、世界には羽ばたくというイメージが頭の中にあるので、自由な旅に憧れをもつのは自然な流れだった。
大学生になり手に取った旅の本で紹介されていた、世界一周をした夫婦がやっているバーが高円寺にあり、初めて遊びにいった時に「本を見てきました!お土産にタコライス持ってきました!」といってぶっ込んでいき、そのお店の常連さんと朝方まで飲み明かした。そのお店で「世界一周やバックパッカーがしたいんです」という話をオーナーに話をして、タビイクというプランを紹介してもらい、タイを初対面の人たちとノープランでバックパッカーで旅をしたのが私の旅の始まり。

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そして、退職を決心したその瞬間も、久々にそのバーに行って一人で飲んでいた。その場にいたお客さんやオーナーに自分のなかのモヤモヤと「コンドームの妖精」について話をして、やっと辞める決心をした。
退職するとなると、家賃補助がなくなるので家賃が2倍近くアップすることになってしまうので困っている事をオーナーに話すと「うちのシェアハウス来なよ〜」と言ってくれ、バーを出て即内見をし11月からそのシェアハウスに住むことになった。シェアハウスといっても、最初はオーナーと私の2人暮らし。そこから人が増え、シェアハウスを出た4月には全員で5人になっていた。

不動産投資の会社を辞めてから、単発バイトアプリなどを使いながら沢山のお仕事をしてみた。Uber eats、居酒屋、出前館、マックデリバリー、飲食店、宅配便の箱詰め、アイドルグッズなどの袋詰め、百貨店のラグジュアリーブランドの接客、アパレル、雑貨屋さん、試験監督、メンズエステ、コールセンター、ライバー。文字に起こして出してみると本当にたくさんのお仕事をしていて、本当にすごいな〜と思う。毎日職業体験のような日々だった。いろんな職場でいろんな人がいて、いろんな生活をしている人たちに会った。色々やってみて、良かったと思う。でも、もうあの日々には戻りたく無い(笑)

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特定のアルバイトなどではなく、単発のお仕事をしていたのは訳がある。「コンドームの妖精」をしたくて辞めたが、それだけを仕事にするというより、セクシャルウェルネスの会社かフェムテックの会社に入ってそこで働きながらコンドームの妖精をしようと思ったので、就職活動をしながらすぐにお仕事を変えられる状態に身を置きたかったからだ。

セクシャルウェルネスやフェムテックの業界は、まだまだ他の業界に比べて大きく無いので求人も少ない。それもあり、転職活動がうまくいかず悩む日々が続いた。固定の仕事があるわけでは無いので、収入も不安定。そして私が苦手な冬。一人時間が好きな私には厳しいシェアハウスという環境。そしていつも会社で大好きな人達が常に周りにいたのに、お仕事を転々とすることで全く知らない人たちと毎日仕事を一緒にする環境。お昼ご飯も夜ご飯も一人。節約のために、Uber eatsの配達途中に持ってきた弁当を真っ暗な公園で食べたりもした。なんだかすごくひとりぼっちになった気持ちで、不安定で寂しかった、このまま何も夢も野望も叶える事なく死んでしまうんじゃないかと思っていた(笑)
それでも、その時は沖縄に戻る選択肢は無かった。

12月に入り、何社かフェムテック系の会社を見つけエントリーをし出した頃。元々共通の友人がいて、SNSで繋がっていた方(社長)がセクシャルウェルネスの会社を有限会社から株式会社にするにあたって、創業メンバーを募集するという投稿を見た。「気になります!!!」と即DMをしてオンラインで話をすることになった。オンラインの打ち合わせ後、スムーズに話が進み、その会社で創業メンバーとしてフルコミットでジョインすることになり、広報と商品企画のマネージャーとして働くことになった。

入社が決まった当時は、会社が大阪にあったので東京を離れ大阪で働くことになってたが、急遽変更になり3月から東京でリモートでの仕事をする事になった。

セクシャルウェルネスの会社に入社当初は、社長が月の半分くらいを東京に来ていたので、社長が止まっているホテルに併設されているコワーキングスペースに高円寺から通い仕事をしていた。仕事は初めてやる事、初めて聞く事、初めてのことばかりだった。

朝9時から6時まで働き、社長とお喋りをしながら過ごすとなんだかんだあっという間に時間が過ぎて、コワーキングスペースを夜の10時に出るような生活だった。次第に、併設されてるホテルに滞在した方が効率良いのでは?と思い、私のホテル生活が5月から始まった。俗に言う「アドレスホッパー」という暮らし方だ。アドレスホッパーをすると決めてからは、部屋を断捨離してスーツケースと大きな鞄2つに荷物をまとめた。冬服など保管しておきたい物はサマリーポケット(招待コードVHMJSZ)という収納サービスを使って保管、捨てられない本はすべてデータ化して荷物をとことん減らした。
厄介だったのは、セックストイの処分。セックストイはプラスチック部分もあればシリコン部分、金属部分も一緒になっていて分別も大変で、見える形で捨てにくい物になるので、とても処分が面倒だった。(郵送でセックストイを送ると処分をしてくれるこちらがおすすめ。)
要らない家具家電などは、トラック詰め放題の不用品回収にお願いした。それでも大事なセックストイとコンドーム達は捨てられずスーツケースの大部分を占めた。しっかりコンドームの妖精の仮面もスーツケースに入れて持ち歩いた。

あ、話しが少し変わるが、もう一つ高円寺の思い出を話したいと思う。
Twitterで出会ったコスモ・オナンさんという私の大好きな "セックス姉貴" がいる。お互い高円寺に住んでいると言う事で一緒にオナンさんオススメの銭湯に行く事になった。沖縄の人はお風呂に浸かる文化があまり無いので、お風呂に長時間浸かって "整う" 感覚は初体験だった。そしてもう一つの初体験がある。
お風呂を上がってオナンさんとお喋りをしてる時に、携帯の通知音が鳴った。とある男性からだ。今から会わない?だったか、そんな感じの内容だった。時間は24時前。私はセックスの発信をしているのでよく勘違いされるが、セフレという存在がいた事ないし、ワンナイトと思って致すこともウガンダ時代を除けばゼロ。ピュアピュアのピュアなのだ。意外と。でも、この人は喰いたかった。どうしても喰ってテイスティングをしてみたかった。しかし、どうもチキってしまい会うか会わないか迷っている私の背中を、セックス姉貴のオナンさんが押してくれた。高円寺オススメのラブホと、ダメなラブホまで教えてくれ、無事、オナンさんとの銭湯での "整う" 感覚の初体験の後にその男性とラブホに行く事になった。その先は長くなっちゃうので、皆様のご想像にお任せしますが、無事に高円寺のラブホのベッドの上でも "整う" ことが出来た。そう、高円寺は私の初のセフレが出来た場所でもある。これだけは話しておきたかった。
(彼を好きだった1年間のノンフィクションエモ短編小説を書きました。:『さよなら大好きだったクンニ宇宙人』)

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ホテルにあったオカモトコンドームをぱしゃり。


スーツケースとホテルと私。

アドレスホッパーを始めた頃、拠点となるホテルは渋谷で、偶に他のホテルに行き気分転換をしたりした。
拠点にしていた渋谷のホテルでは、同じホテルの宿泊者やホテルのスタッフと仲良くなり今でも遊ぶ仲になった。トータル2ヶ月くらいをそのホテルで過ごした。毎日社長と仕事をして、そのままご飯を食べながら友人達も交えてお酒を飲み、いつものスタッフがいて、「お帰りなさい」と言ってくれる帰る場所があるのがすごく心地よかった。でも、やはりひとり時間が好きな私なので、常に特定の人たちに囲まれる環境が徐々に厳しくなっていって精神的に疲れが溜まってきた。

6月に大阪への出張があった。それを機に、ホテルのサブスクのHafHに登録し、私の本格的なアドレスホッパーの暮らしがスタートした。更に荷物を減らすために断捨離をし、私の手荷物はスーツケース1つとリュックになった。

大阪に行く前に、渋谷での生活に疲れてしまったので海を求めて鎌倉で1週間ほど滞在した。沖縄ほど綺麗な海では無いけれど、(鎌倉の海さんごめんなさい。)都会で疲れ切って灰色になっていた心が、キラキラ光が反射する海を見て匂いを嗅いだだけで彩りを取り戻した気分だった。

路面電車が目の前を通るお店で美味しい朝ご飯を食べ、朝イチの長谷寺で綺麗な紫陽花を見た。長谷寺の奥の洞窟みたいな所にいた神様には、「厄は自分自身で作り出しているんだ、自分の心の中から生み出されるものが厄になるんだ。」と言われ、一気に涙が出て浄化された。なんだかその神様は威厳があってちょっと怖かった。

鎌倉のステイの後は、新宿から夜行バスで出張の為に大阪へ向かった。学生以来の夜行バスは疲れたが、中々いい時間だった。大阪の出張は濃い1週間だった。色んな人の力を借りて完成したブランドのイメージ撮影、社長とスタッフの子との心が通う瞬間、手違いで西成警察署に出頭する事になったり、先程のセフレと大阪で再会し私が慣れないハードプレイを求めてしまい青あざだらけになってしまったり。照(←おい、照れるな)

大阪出張の後は、ずっと帰れてなかった沖縄に2週間ほど帰った。コロナが流行り出してからずっと帰省は我慢していたが、もう限界が来ていたからだ。沖縄に帰ると、今まで張り詰めていた気がゆるっと一気に緩んで、沖縄の自然と海のパワーで心に潤いがみるみるうちに蘇っていくのが分かった。それと同時に、カラカラになっていた魂も満たされていった。

沖縄滞在の後は、2ヶ月弱福岡に滞在した。働いていた会社が大阪から福岡へ拠点を移したので、社長と一緒に仕事をするために福岡で滞在することにしたのだ。福岡ではHafHbooking.comなどを使って安くで滞在できるように工夫した。長い事滞在したホテルは、一人暮らしのマンションのような作りでキッチンも洗濯機もあり、更に今話題のポップインアラジンのプロジェクターが備え付けてあってすごく便利だった。福岡滞在の時は、仕事のことで結構病んでいたので、殆どをホテルのプロジェクターと共に過ごし、Netflixを見まくった。福岡は何より、美味しいものが沢山あって最高の場所だった。移住も考えたほど。

福岡滞在のあとは、また東京へ戻り2週間ほど滞在した。 この頃から沖縄へ拠点を移すことを少し考えていたので、高円寺のシェアハウスに置いてあったコンドームの妖精の羽などを回収して、東京滞在の後はまた沖縄へと戻った。


沖縄と心の声と私。

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2回目の沖縄滞在の理由は、沖縄県那覇市内にある保育園への壁画を描く依頼(?)があったからだ。依頼と言えば格好よく聞こえるので、依頼と表現したが、友人が絵を描く人を募集していたものに乗っかり、一緒に描いただけだ。(笑)
絵を描くのはとても楽しかった。小学生の頃から、私は「表現者になる」という生き方のビジョンがある。画家やミュージシャン、アーティストなど一つのカテゴリーに絞るのではなく、様々な方法で自分自身の内側を表現していきたいと思い、「表現者」という言葉がしっくり来て以降、ずっと心の中にある。
2回目の沖縄滞在で、やっぱり私は自然のあるところで妖精たちや自然たちと戯れたり、海に入ったりして過ごすことで、心がみるみるうちに満たされて彩りを取り戻していくことに気づいた。沖縄での過ごし方や、いろんなことにチャレンジしていくことがその「表現者」という生き方にしっくりくるような気がした。
セクシャルウェルネス会社での仕事はそれなりにやりがいもあり、業界的にはすごく私に向いていると思ったけれど、ずっとモヤモヤした違和感が心の中にあり、ここ数ヶ月間悩みに悩んで精神的にも厳しい状態になっていたので、ここで一度区切りをつけて辞めることにした。この決断はすごく厳しいものもあったけれど、この決断が出来た自分に「ありがとう、えらいね。」と言ってあげたい。(みんなも、逃げること、辞めること、休む事を選んだ時は自分を責めずに褒めてあげてね。)

東京と沢山の感情と私。

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会社を辞めて、フリーで活動を続けていくことを決めた。最後に、東京で10日間滞在して、再び沖縄に戻ってきたのが、本日11月1日だ。
正直、会社を辞めて沖縄に戻ると決めてからは少しだけ塞ぎ込んだ。落ち込んだ。私は、一生安定や普通に生きることは出来ない人なんだな、と実感したし、それは覚悟を決めないといけない事だとも思った。一つのものに縛られているとどんどん自分自身の輝きがなくなっていくのも改めて実感した。
10日間滞在した東京では、いつもとは違い、限られた人数の友人とだけ会った。東京を離れるという視点で最後の10日間を過ごすと、街の景色が全然違って見えた。Uber eatsや様々な仕事でたくさんの場所に行く機会があったので、それぞれの場所でそれぞれの感情や思い出が蘇ってくる。どれもこれも、ありがとうでいっぱい。おかえりって言ってくれるたくさんの友人が出来た。元気だった?って聞いてくれるたくさんの友人が出来た。「あ〜懐かしいな〜」と思える街が出来た。楽しかったり、悲しかったり、キツかったり、恋をしたり、切なくなったり、悔しかったり、たくさんの感情を与えてくれた街。それが、私の東京(内地)での2年間半。きっと沖縄にいるだけでは見れなかった景色たち出会えなかった沢山の感情たち。この選択をした自分自身や、見守ってくれた友人、上司、先輩たち、そしてこの街。本当にありがとう。

ありがとう、そしてこれからの私。

東京で出会ってくれた皆さま、本当にありがとうございました。皆さんと出会ったのは、どの章のタイミングだったでしょうか?
私はすごく未熟者で、皆さんにご迷惑をおかけして、不愉快な気持ちをさせたこともあるかもしれません。ごめんなさい。私は意外にも、他人がどう思っているのかすごく気にするタイプなので、あなたと会った後やお話をした後に、「こんなふうに言わない方がよかったのかもしれない」「嫌な思いをさせてしまったのかもしれない」と、今でも思い出して悩んでしまうことも多々あります。(汗)
でも今もこうやって、繋がっている方々にはすごく感謝でいっぱいです。皆さんから沢山のことを学ばさせていただきました。ありがとうございます。

私のこれからについてですが、特に決まってません。(笑)
私は、職業などのその人がしている事というのは、目的を達成する手段でしか無いと思っています。私の夢や目標、生き方はいつでも明確です🌞

・太陽のような生き方
・この地球で何か面白いことを企む!
・世界には羽ばたく表現者である


この3つが、生まれた瞬間(めっちゃ変だけど、記憶があるんです!!笑)からずっと心の中にあるので、この生き方はブレないと思います!
沖縄に帰ってから、具体的には、コンドームの妖精として、さらに活動を加速させていくこと。29歳or 30歳でセクソロジー(セックスの勉強・研究)をするために海外の大学院へ進学することを目標にしています。半年〜1年くらいは沖縄にいる予定ですが、なんせこんな性格なので、鳥のように行きたい時に行きたい所に自由に羽ばたいちゃう可能性もあります。

長くなりましたが、ここまで読んでくれた皆さま、ありがとうございました!近況はInstagramTwitterなどで更新していることが多いので、フォローして見守ってくれると嬉しいです。そして、YouTubeもチャンネル登録をして応援していただけますと嬉しいです!それでは皆さま、またパワーアップしてお会いできるのを楽しみにしております!また会う日まで〜!!!


メモ追記:今後やっていくこと&やりたい事


・絵を描く
・コンドームの妖精YouTube
・タレント的な仕事
・メディア露出
・ライターの仕事
・Podcast
・沖縄でサブカルチャー系飲食店で働きたい(カフェ)
・音楽
・バンライフ
何か私が協力出来る事or お仕事あればください🤍笑


credit: 
サムネ&東京と沢山の感情と私 photo by MIKI(https://www.instagram.com/mikimixer_photography/ )
Uber eats配達photo by そらお。(https://www.instagram.com/sora_ciel/)
各種リンクは文中添付

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