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【映画感想文】お金ってなんだっけ? 貧乏夫婦が地域通貨の最前線を探る半ドキュメンタリー・半フィクションの傑作! - 『ロマンチック金銭感覚』監督: 佐伯龍蔵・緑茶麻悠

 この前、テアトル新宿へ行ったとき、気になる予告編が流れた。

 和歌山の田辺・弁慶映画祭で賞をとった『ロマンチック金銭感覚』という作品なのだが、フィクションのような、ドキュメンタリーのような独特な雰囲気に心をつかまれた。

 しかも、テーマはお金! インディーズ映画が見て見ぬ振りをするけれど、実際はみんな、そのことで悩み苦しんでいるど真ん中の問題に挑戦しているのだと知って、興味が湧いた。

 東京の上映期間は8月23〜27日と短いけれど、その結論を確かめたくて、初日にどうにか行ってきた。そして、これが想像以上の傑作だった。

 物語は夫婦の喧嘩から始まる。二人は映画制作に励むため、生活費を下げるべく京都の田舎に引っ越したものの、家賃や光熱費の支払いに苦労している。貯金は100円ちょっと。バイトで糊口をしのぎ、サラ金に手を出し、言い争うが増えていく。

 そんなとき、ふと、お金ってなんなんだろう? と素朴な疑問を抱く。

 このあたりからドキュメンタリーのテイストが強くなっていき、夫である佐伯龍蔵さんが妻である緑茶麻悠さんに一冊の本を手渡す。

「読んでおきなさい」

 それは児童文学の大家ミヒャエル・エンデがお金の支配から自由になる方法を問われ、NHKの取材に答えた内容をまとめた『エンデの遺言』だった。

 上映後の舞台挨拶によれば、佐伯龍蔵さんは高校生の頃、父親から映画内とまったく同じセリフ「読んでおきなさい」と言われて、この本を渡されたそうだ。そして、素直に読んだ結果、お金の概念が根本からひっくり変わる経験をしたという。

 わたしはこの本を知らなかったけれど、ミヒャエル・エンデは富の蓄積が格差を助長させるから、蓄積のできないお金を生み出すべきと考えていたらしい。その方法として老化するお金だったり、使える範囲を限定したお金だったりを提唱したようで、それを具現化したものが地域通貨なんだとか。

 この本に感銘を受けた佐伯龍蔵さんは長年、地域通貨を映画にしたいと考えていたらしい。

「今年、どうしても地域通貨の映画が作りたい」
 2022年の1月に、佐伯氏は私にそう言いました。私は正直またか、と思い、はじめは賛成できませんでした。それというのも、彼は私と出会った10年前からその話をし続けてきたからです。

公式パンフレット 緑茶麻悠のProduction Noteより

 ただ、いざ映画にすると言っても、お金という壮大かつ抽象的な事柄にどう手をつけていいかわからなかったようで、足踏み状態が続いていた。

 そんな中、コロナ禍における芸術助成金「ARTS for the future!2」の支援を受けられることになる。入金は完成後なので、とにかく作らなきゃいけない。でも、手元にはあるのは100円ちょっと。ある意味、消去法的に、ご近所の古民家コミュニティを撮影させてもらう。

 そこではTAKEさんという人物がリーダーとなり、メンコ型の地域通貨的クーポン「ゆいまーる」を発行している。TAKEさんは世界中を放浪した末、いまは京都で農業をやりながら、里山の保全活動や水車の復興などに取り組んでいる。そういう地域交流の中で、お礼代わりに「ゆいまーる」が流通していく様子が作中収められていた。

 メンコである「ゆいまーる」の価値は2種類の方法で規定されている。ひとつはイラストや創作による芸術作品としての価値。もうひとつは「〇〇が掃除をします」「お米30kg」などスキルやものと交換できる権利(使用期限1年)としての価値。国家ではなく、個人による付加価値の添加を目指している。

 パンフレットによると佐伯龍蔵さんは実際に「ゆいまーる」を流通させる経験をしている。コーヒー豆を焙煎しているご近所さんのイベントを撮影した際、お礼にコーヒー豆と交換できる「ゆいまーる」を受け取った。そして、その「ゆいまーる」を自分で使うだけでなく、他の人にお礼で渡すなどした。「ゆいまーる」がお金の機能を果たしているのだ。

 ただし、「ゆいまーる」に計算機能はなく、それぞれが物々交換の引換券なので、いわゆるお金のイメージとは少し違うのかもしれない。TAKEさんが「ゆいまーる」をクーポンと呼ぶのはそのためだろう。

 次に夫婦は計算機能を備えた地域通貨を発行している万華鏡作家・傍嶋飛龍さんのもとを訪れる。この方は神奈川県相模原市で「廃材エコヴィレッジゆるゆる」というコミュニティを運営していて、そこでは使用期限3年の地域通貨「ゆーる」を発行している。

 作中では「ゆーる」がエコヴィレッジ内のガチャで購入できたり、公共作業に従事した報酬として付与されたりするところが紹介されていた。例えば、施設内のトイレは水洗ではなく、糞尿を溜めておくスタイルなのだが、それらを堆肥として土に埋める作業を二人は手伝っていた。

 どう考えても強烈な臭いだろうに、飛龍さんは「考えるな。感じるな」と笑い、佐伯龍蔵さんは「俺、結構うんちの臭い好きなんだよね」と涼しい顔。だから、緑茶麻悠さんは顔に出さないようにしていたけれど、本当はとんでもない臭さを感じていたらしい笑

 凄いなぁと思ったのはその「ゆーる」がコミュニティ外のパン屋さんで使えていたところ。労働の給料として受け取り、欲しいものが買えるって、それはもうお金である。循環の広がりが伝わってきた。また、そのパンを浜辺で食べていたら、トンビに奪われてしまうのだが、さらに外へと循環が広がっていく演出はグッときた。

 その後、地域通貨に利便性を備えるという観点から、二人はそれをデジタルに応用させている非営利株式会社eumoを取材する。

 この会社は鎌倉投信の創業者の一人である新井和宏さんと「管理をしないマネージメント」で知られる武井浩三さんが設立した会社で、支払い機能とSNS機能を合わせた独自の電子決済アプリeumoを運営している。

 eumoはユーザーが地域通貨をコミュニティコイン(使用期限3ヶ月)として発行する機能も備えているらしく、期限が切れたものについては地域コミュニティに還元される仕組みを為されているという。

 一般的な決算アプリのキャンペーンがユーザー還元型なのに対して、地域還元という切り口が面白い。そのことがなんのためにお金を使うのか、選ぶ際のインセンティブになるかもしれない。

 武井浩三さんがインタビューで気になることを言っていた。金融を意味するファイナンス(finance)の語源はfinerという単語。これは「終わらせる」という動詞であり、お金を支払うことには関係性を一回終わらせるニュアンスがあったんじゃないか、と。金の切れ目は縁の切れ目ではないけれど、お金を使うことでコミュニティは希薄になっていくという仮説を打ち立てていた。

 これはけっこう説得力があった。都会は人間関係が希薄とよく言われるが、それって要するに、なんでもお金で取引しているからなのかもしれない。田舎的な持ちつ持たれつの感覚が生まれにくい。都会だと困ったときはその場でお金を払うべきで、基本的に貸しを作る機会がない。

 もちろん、その良し悪しはなんとも言えない。わたしはコミュニティ能力が低いので、人間関係が濃い環境で生きていくのは難しいので、お金によって関係性をその都度精算できるのはありがたい。実際、『ロマンチック金銭感覚』に出てくる地域コミュニティはどれもキラキラ輝いていて、その中に入れたら素敵だろうなぁと憧れつつ、でも、自分には向いていないよなぁとネガティブな感情にも襲われた。きっと、法定通貨のドライな冷たさに苦しみながらも、わたしみたいな陰キャは多分に救われてもいるのだ。それは逆説的な発見だった。

 とはいえ、その救いは一時のもの。長い目で見たとき、必ず、不幸が広がっていく。

 金融の世界で働き続ける新井和宏さんは資産運用の矛盾を語っていた。すでにお金を持っている人たちをさらに豊かにすることはできるけれど、持っていない人たちを豊かにすることはできない。ならば、格差は広がっていくばかりである。働けば働くほど、社会を歪め続ける金融業のジレンマを嘆いていた。

 そして、その原因はお金が腐らないことにある。腐らないから溜め込むことが可能になる。世界は持つ者と持たざる者に二分されてしまう。

 このあたりはマルクスの『資本論』やマックス・ヴァーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、トマ・ピケティの『21世紀の資本』で語られるている内容にも共鳴する。

 現状の社会体制のおいて、人がお金を溜め込むことは歴史や宗教、数学に基づく合理的判断であることは幾度となく示されてきた。そして、その結果、格差が拡大することも幾度となく示されてきた。

 この格差を是認できないという立場から、革命や法整備で富の集中を防ぐべきという主張および行動も繰り返されてきた。ただ、それは自由に対する闘争と見做される形で、未だ、どこでも成功していない。

 そういう意味では、ミヒャエル・エンデが注目した「老化するお金」という考え方は新しい。溜め込むより使う方がお得というパラダイムシフトが起こり得る。

 当然、すでにお金を大量に溜め込んでいる人たちは反対するだろう。そのため、いきなり切り替えることは不可能だけど、まずは地域通貨という狭い範囲から始めていくことで少しずつ社会に新しい価値観を浸透させていくことができるかもしれない。

 新井和宏さんはそういう新しい価値観を共感資本主義と呼び、それに基づく生き方を提唱し、本も出している。この本は映画内にも登場していた。

 さて、このように日本における地域通貨の最前線を追いかけ回った貧乏な夫婦は最終的に、自分たちで「クワガタ」という独自通貨を発行するに至る。その過程は脚本に基づき、フィクションとして撮影されているが、パンフレットに寄れば、この映画に関するイベントなどで実際に流通させているようで、スクリーンの向こうとこちらをつなぐ架け橋となっている。

 もし、この内容を100%ドキュメンタリーで作っていたら、お金という大き過ぎるテーマ故に難解な仕上がりになっていたような気がする。そこに共同監督がある夫婦の芝居が挟み込まれることで、ほっこりとしたテイストが実現。とても見やすかった。

 ただ、作るのは大変だったらしい。夫婦で監督も脚本も編集も主演もやっているので、毎日、意見をぶつけ合っていたそうだ。しかも、ドキュメンタリーとフィクションを混ぜるという変わった構成。どこまでが現実で、どこまでが映画なのか、観客以上に作り手はわからなくなったはずだ。

 当時のことを聞かれて、緑茶麻悠さんが「本当にヤバかった」と言っていた。その顔は切実だった。

 こんな映画、そうそうできるものじゃない。だからこそ、一人でも多くの人に見てもらいたいと思った。映画好きはもちろん、そうじゃない人たちにも。だって、お金に関係なく生きている人間なんて、この世に一人もいないから。 

 なお、舞台挨拶の抽選でサイン入りポスターが当たった。嬉しい!

 ポスターの写真も素敵。裏テーマに自然との共生も描かれていて、作中、鉱石ラジオとして昆虫学者・小松貴さんの語りが流れるんだけど、これも凄く面白かった。とりわけ、中規模攪乱仮説という生物学用語の説明がよかった。

 環境があまりに安定し過ぎていると、その安定した環境で生きていくのに有利な生物種だけがその環境を独占してしまい、他の生物種が住めなくなってしまいます。逆に、あまりにも環境が破壊され過ぎると、その荒れ果てた環境でも何とか生きて行ける僅かな生物種しかそこに生き残れません。よって、そこそこの加減で荒らされた環境のほうが、結果としてその場に様々な生物種が生息できる状態になるという考えです。

公式パンフレット 鉱石ラジオの原稿より

 どうして技術が進歩し、絶対量としての富は増えているにもかかわらず、現代社会に格差がこうも広がってしまうのか。そのアナロジーとして中規模攪乱仮説は刺さるものがあった。

 考え方はそれぞれだけど、少なくともわたしはそこそこの環境で、様々な命が生存できる社会が望ましいと思う。そういう理想を夢見て、日々のお金を使う、ロマンチックな金銭感覚を身につけたいな。




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