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【ショートショート】被害者A (1,797文字)

「被害者特別保護法はご存知ですか」

 女性警察官はドアの隙間に足を挟み、そう確認してきた。真夏の西日がまぶしくて、眼前にもかかわらず、その表情は判然としなかった。

 俺はダラダラ汗をかきながら、

「あれですよね。加害者は匿名で報じられることもあるというのに、被害者ばかり実名や写真が平気で公開されてしまう。そんなのは不公平だと雑誌、新聞、テレビが炎上。支持率の低い現政権が人気取りのため、閣議決定で通してしまった特別法案のことですよね」

 と、詳しく答えた。

「そうです。要するに被害者のプライバシーを守るための制度なんですが、実は捜査員による情報漏洩も問題になりまして。我々、現場の人間も被害者に関する情報にアクセスできなくなってしまったんです」

「なるほど。そうなんですね」

 一応、納得している風につぶやいてみた。だが、本当は不安で仕方なかった。

 無意識に腕を組んでいた。はあ。こんなことなら、ドアなんて開けなきゃよかった。ふだん、宅配便の再配達だったり、出前だったり、時間指定している訪問以外は居留守を決め込んでいるというのに。迂闊だった。彼女がサプライズでやってくるかもと期待していたのがバカだった。

 なにせ、今日は付き合って百日記念日な上、俺の誕生日でもあったのだ。前々から「その日は家にいてね」と彼女に念を押されていた。つぶらな瞳で見つめられ、ぷっくりとした唇でお願いされたら、期待せざるを得なかった。

 しかし、いざ、ドアを開けると女性警察官が立っていた。ある事件の被疑者として任意同行に従うよう頼まれてしまった。

 以来、長いこと、押し問答が続いている。

 改めて、

「すみません。事情はわかりました。ただ、俺がなんの罪を犯したのか、それだけは教えてください。だって、おかしいじゃないですか。理由もわからず、連行されなきゃいけないなんて」

 と、再三、投げかけてきた質問を繰り返した。

「東堂さん。何度も説明している通り、わたしはなにも知りません。被害者の個人情報を保護するため、各自、必要最低限の情報しか与えられていないんです」

「ちょっと待ってくださいよ。それ、本気で言っているんですか」

「もちろん。本気で言っています。東堂さん。いい加減、従ってください。外には他の捜査官も待機しています。いざとなれば、実力行使に出ることだってできるんですよ」

 恐ろしかった。距離を取るべく、一歩、退いた。湿ったTシャツが身体にまとわりつくのを感じた。すかさず、女性警察官は間合いを詰めてきた。つかえていた足が外れ、扉がゆっくり、重たく閉まった。

「東堂さん。従ってくれますね」

 勝ち目はなかった。諦め、うつむき、その場にしゃがみ込んだ。

 素朴な俺は被害者の情報がなくても事件を報じることができると思っていた。こういう犯人がこういうことをして、こういう風に逮捕されましたと伝えれば十分じゃないか、と。被害者の尊厳を傷つけるマスコミに怒りを覚えてもいた。だが、それは間違いだった。

 ジャーナリズムの役割は権力の監視。でっち上げの逮捕を防ぐため、事件の正当性を検証しなくてはいけない。なのに、被害者が透明になってしまったら、政府は架空の事件を捏造し放題。都合の悪い人間を好きなだけ消せてしまう。

 なぜ、多くの有識者が被害者特別保護法に反対していたのか、遅ればせながら理解するも、いまやあとの祭り。どうしようもなかった。

「では、東堂さん。行きましょう」

 女性警察官に支えられ、よろめきつつも立ち上がった。

「ありがとうございます」

「いえいえ。これぐらい」

 ふいに、目と目が合った。西日が入らなくなったので、ようわく、その顔を拝むことができた。

 鬼のような女だろうと想像していたが、案外、いい表情をしていた。けっこうタイプかもしれない。

 彼女は親しみやすい笑顔を浮かべた。どういうわけか、馴染み深さを覚えた。きっと、知り合いに似ているのだろう。そう、とても身近な知り合いに。

 瞬間、背筋に冷たいものが通り過ぎた。

 嫌な予感がした。目を凝らし、丁寧に眺め直した。そんなはずないと疑う反面、見れば見るほど揺るぎなかった。

 声の調子も髪型も服装もなにもかもが違っていた。けれど、この瞳と唇の形は唯一無二。俺の彼女でしかなかった。

「どうして」

「さあ」

「嘘だと言ってくれ」

「ごめんね。わたし、あなたを逮捕するように命令されただけだから」

(完)




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