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【時事考察】ラーメン二郎歌舞伎町店の火事動画を「正常性バイアス」と呼ぶことに違和感を覚えて、一度、原語に当たってみたよ

 ラーメン二郎歌舞伎町店の火災で、逃げずにラーメンを食べているお客さんの様子を撮った動画がバズった。ニュースでも取り上げられた。

 Xではこの動画に対し、「正常性バイアス」というコメントがつきまくった。一時、トレンドに入るほどの勢いだった。

 なるほど、そう言われたら、たしかにそんな気もしてくるが、なんだか、ちょっと違うようにも思われて、わたしは少し違和感を覚えた。

 というのも、大学時代の授業で習った「正常性バイアス」は、警告があるにもかかわらず、自分は大丈夫だろうと目の前の危険を過小評価してしまう心理傾向のはずだから。

 例えば、台風の日にお年寄りがダメと言われているのに田んぼを見に行ってしまったり、ハラスメント講習を受けているのにセクハラ・パワハラをしてしまう上司だったり、日常的にまま見られる。

 つまり、警告をあえて真剣に受け取らないことで、自分に問題は起きていないと信じ込もうとする態度こそ、「正常性バイアス」の肝とわたしは理解していた。

 聞けば、今回の火災で店員から「避難してください」の指示があったのは炎が大きくなった後らしい。だとすれば、お客さんは不足の事態に戸惑い、どうしていいかわからず、様子を見ながらラーメンを食べていただけかもしれない。

 わたしにはそれが「正常性バイアス」と断定できる根拠が十分にあるとは思えない。

 いずれにせよ、この動画は出来事の一部しか映していないので、お客さんは逃げるか否かの判断を留保しているだけかもしれないし、まわりの行動に合わせる同調バイアスで身動きが取れていないのかもしれないし、行列に並んだサンクコストの影響を受けているのかもしれない。だいたい、店員さんの認知バイアスも考慮する必要があるわけで、お客さんの行動を「正常性バイアス」の一言で判断するのは早計だろう。ましてや、誹謗中傷は絶対にダメ。

 ただ、多くの人が「正常性バイアス」という専門的な言葉を使って、危機管理の難しさについて語っている状況は興味深い。そして、本来の意味と違う形で受容されているのはなぜなのか。調べないではいられなかった。

 ひとまず、原語を当たることにした。

 なんでも「正常性バイアス」は英語で"Normalcy bias"と書くらしい。正直、わたしは"Normalcy"という単語に馴染みがまったくなかった。

 もちろん、"nomal"とあるので「普通/正常」に関係しているようだと推測はつく。かつ、語尾が"cy"なことから名詞なんだと想像できる。でも、"nomal"はそのままでも名詞になり得るし、その変化の意味するところまではわからなかった。

 詳細は辞書にも載っていなかったので、なにか情報はないかとネットでいろいろ検索してみた。すると、『英語発見日記』というブログに気になる一節を見つけた。

normalcy が、数学的な意味で使われていたところ、アメリカの29代大統領のハーディングが、Return to normalcy(正常な状態 = 第一次世界大戦前の状態 にもどろう。) というスローガンを使ったため、normalcy も 「正常な状態」 という意味で使われるようになったようです。

このハーディング大統領の normalcy の使い方は、おかしいと当時は嘲笑われたそうですが、今では normalcy も 「正常な状態」 として使うことが normal になっていますね。

英語発見日記「正常な状態」より引用

 ハーディングと言えば、大学受験で世界史を勉強したとき、第一次世界大戦で疲れ果てた国民の心をつかむべく、「常態への復帰」を掲げて大統領選に挑み、ウィルソンの後継者に大差で勝利したとたしかに習った。まさか、その「常態への復帰」が英語で"Return to normalcy"だったとは。

 このインパクトは相当大きかったと予測される。オバマ大統領の選挙演説を知っている人たちが"Yes, we can"や"change"と聞いて、当時の熱狂を思い出してしまうが如く、"normalcy"にも歴史に根付いた価値がある。おそらく、そこには「正常な常態に戻りたい」というニュアンスが含まれているに違いない。

 しかし、"normalcy"が「正常性」と直訳されるとき、そんなニュアンスは抜け落ちしまう。ここに翻訳の難しさがある。

 日本語話者が「正常性」と字面を見たとき、そこに意志や欲求を感じることはないだろう。むしろ、その反対語である「異常性」を想起して、「正常性バイアス」をこんな風に紐解くのではないだろうか。

 異常な状況なのに正常っぽく振る舞ってしまう心理現象。並んでいる日本語をひとつひとつ確認すれば、こんな意味になる。誰かがそういう風に使ったとして、大抵、すんなり受け入れられると思う。結果、市民権を得ていったのではなかろうか。(仮説)

 さて、この仮説に基づいて、ラーメン二郎歌舞伎店の火事動画を見直してみよう。煙が充満する中、ラーメンを食べる人たちの姿は、異常な状況なのに正常っぽく振る舞ってしまう心理現象そのもの! そりゃ、みんな、見えない部分をすっ飛ばして、直観的に「正常性バイアス」と言いたくなるよね。

 今度とも「正常性バイアス」はそういう意味で日本語の中に浸透していくのかもしれない。本来、「正常性バイアス」はパニックに陥らないための安全装置であることを踏まえつつ、日本は災害の多い国なので、避難意識を高めるためのキーワードとして役立つことが期待される。

 こうして、わたしの中に宿った違和感はどうにかこうにか解消された。つくづく、言葉は生き物だなぁと思い知らされた。




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