【短歌】9月の自選短歌5首をまとめてみました! 9月28日-10月7日分
短歌を始めて1ヶ月以上が経った。みなさんの作品をたくさん見て、穂村弘さんの入門書を読んだ。なんとなくだけど、この表現が何を目指すものなのか掴めてきた。
もちろん、どう詠むのも自由だけれど、短歌の大きな流れとして「意外性」というものに重きが置かれているとわかってきた。つまり、これまでに数多くの短歌が生み出されてきた現代社会において、わざわざ新しい短歌を詠む以上はこれまでになかったものを目指した方が楽しいよね、ということらしい。
方法論としては手垢のついた表現は避けるべきみたい。例えば、慣用句とかことわざとかダジャレとか。どれも普及しているだけあってリズムが心地よく、つい、使ってしまいたくなるけれど、曰く、それはわたしたちが言葉を使っているのではなく、言葉にわたしたちが使わされている恐れがあるんだとか。
実際、いずれも広義の意味では流行語みたいなもので、ウイルスのように人々の意識で増殖を続けている。これはこれで面白い現象だけど、そういうワードは放っておいても蔓延していく。だったら、わたしたちが頭をひねりにひねって、短歌の形に整えてあげる意味はないのかも。同じ労力を費やすのなら、これまではこの世界に存在していなかったけれど、聞けば納得感のある新しい表現を探したい。
当然、それはめちゃくちゃ難しい。難しいから、うまくいったときの感動はひとしおで、短歌の凄さはそこにあるのだと思う。たった31文字で価値観に革命を起こすことができるんだもの。
なので、最近はそういうものを目指している。うまくできているかは別として。そして、そういう視点を手に入れたことで、自分の詠んだ短歌についても評価するこができるようになった。これまではどういう短歌が理想なのか、モデルを持っていなかったので暗中模索状態だったけれど、一応、基準ができたのだ。
具体的には日常の風景から非日常を切り取るみたいなイメージ。それに伴って、今回、9月の短歌から5つを自選してみた。
縦書きにしたら雰囲気が出た。こういう風に形式を合わせていくのって重要だね。まだまだ知らないことがたくさんあるなぁ。
これからさらにいろいろ勉強していくことで、その基準は変わっていくはず。でも、いまはこれらにわたしは手応えを覚えている。
いやはや、短歌って、苦しいけどめちゃくちゃ楽しい。
9/28 お題「読書」
この本を読むまで生きるそう決めて
増える積読長寿の秘訣
坂本龍一さんが晩年、やり残したことを聞かれて、読んでいない本がたくさんあると言っていたことにハッとさせられた。自分はこの本も読まずに死んでいくのかと思ったら情けないと嘆いていた。
死を前にして、そういう後悔をするなんて。読みたいと思っている名著を積むだけ積んで、読まずにダラダラ日々を過ごしてしまっているわたしにとって、他人事とではなかった。以来、人生の最優先事項が読書になった。逆に言えば、この本を読み終わるまでは死ぬわけにはいかない。つまり、できるだけ長生きをしなきゃいけなくなってしまったのだ笑
9/28 テーマ「崩れる」
こう言ってああ言われたらこう返す
予定が先にそう言われ(泣)
会議が嫌いだ。特に誰かを説得しなきゃいけないとか。前日の夜なんて、シャワーを浴びながらシミュレーションをしてしまって、あっという間に一時間経過していたりする。
しかし、なにより悲しいのはそうやって準備に準備を重ねても、相手の方が一枚も二枚も三枚も上手で、顔を合わせるなり先手を打たれてしまったりする。本当、会議って大嫌い。
9/28 お題「泥」
泥団子作りが上手い梶田さん
得意料理はライスコロッケ
綺麗な泥団子を作れる人ってすごいなぁと素直に思う。ただ、それが子どもならいいけど、おじさんだったら、この人はどんな仕事をしているんだろうと思わずにはいられない。
そういう泥団子作りの名人の仕事で一番嫌なものってなんだろうと考えたとき、料理人のような気がした。その手で作った料理はなんとなく衛生的じゃない気がする。しかも、それが手でペタペタ成形するライスコロッケだったら? 揚げてるから大丈夫だろうけど、ちょっとねぇ。
9/29 お題「戦争」
一次会二次会行けば三次会
お開きしなきゃ無限に続く
みうらじゅんだったか、中島らもだったか、正確な記憶はないけれど、戦争を辞める方法を聞かれて、第二次世界大戦って呼び方をやめた方がいいって言っていた気がする。なぜなら、飲み会が二次会、三次会と続いてしまうように、第二次があったら第三次が起きてしまうからだとか。
くだらないなぁと笑いつつ、あながち、あり得ない話ではないと心に残った。そう名づけることが現実に影響を与えることってある気がする。なので、あえて、いま起きている戦争をラスト・ウォーズって言い切っちゃうのはありかもしれない。
9/29 テーマ「やわらかいもの」
マシュマロを固く感じたその日から
歯槽膿漏予備軍となる
うちのおばあちゃんがマシュマロを食べて、固いわぁと言っていた。最初、ふざけているんだと思ったが、どうやら真面目な様子らしく、いろいろ聞いていけば、歯槽膿漏だったとわかった。
そうか。食べ物の固いとか柔らかいとかって、こちら側の口内環境によって決まる部分もあるんだなぁと気付かされた。やっぱり、何事も主観で語っちゃいけないね。
9/29 お題「無」
物価高無料サービスなくなって
恵まれてたといまさら気づく
これはもうサイゼリヤの話です笑
いやー、無料の粉チーズがいかにありがたかったか。なんとなくで振りかけていたけれど、なくなるとこんなにも寂しいとは。
他にもくら寿司に行ったら、無料のがりが大根の漬物に変わっていたので驚いた。物価高の世の中。ゆくゆく牛丼屋の紅生姜とか、豚骨ラーメン屋さんの辛子高菜とか、そういうのもなくなっていくのかなぁ。
9/30 お題「犬」
遠き日の記憶に残る少年の
代わりに写る真っ白な犬
記憶って、けっこう怪しい。幼い頃、楽しく遊んでいた友だちがいたはずなんだけど、親に聞いても、同級生に聞いても、「そんな子いたっけ?」と話が合わなかったりする。
ここからは妄想なんだけど、そういう子って実は人間じゃなくて、動物や昆虫、あるいは植物だったら面白いよなぁと考えたことがある。子どもの心で捉えたら、友だちの範囲は人間に限られていなかったような気がするのだ。
9/30 お題「世」
あり得ないナメんじゃねえぞ世が世なら
お前なんかは! お前なんかは!
悔しい感じをできるだけ表現してみました笑
言い返したいけど、いい言葉が見つからなくて、それでもなにか言わずにはいられなかって、むぎぎってなっているときのわたしです。もちろん口には出せません。心の中でわめいているだけ。情けないよね。とほほ。
9/30 テーマ「友情を感じる瞬間」
久々の連絡なのに近況の
確認もなく「らんまリメイク!」
友情ってなんだろう? 大人になると知り合いは増えるし、楽しく会話ができる相手もできるけれど、友情を育めている感覚はあまりない。それってなぜなのだろうと考えたら、用もないのに連絡できる関係ではないからなんだろうなぁと思った。
その点、小中高の同級生はすごい。久々の連絡なのに「元気?」とか、「最近どう?」とか、近況報告をすることもなく、共通の趣味だった話題をポンッとLINEで送ってきたりする。一瞬で昔に戻れる。きっと、これが友情ってやつなのだろう。
10/1 お題「風邪」
風邪気味と嘘つき仕事サボってる
批判されてた同僚の自死
大きな仕事を任されるたび、体調が悪くなる人がいた。そんな彼を仮病と批判している人もいた。ただ、結果的に彼は精神的に追い込まれていたのだとわかり、本当に体調が悪くなっていたのだと発覚した。
仮病なんて本当にあるのかな? 体調不良を理由に休むときって、いずれにせよ、休まなきゃいけない理由があるのかもしれず、嘘ではないんじゃなかろうか。働き方だって一律じゃないわけで、勤務内容や時間も含め、抜本的に解決すべき問題がそこには潜んでいるような気がする。
10/1 お題「頁」
忘れえぬ言葉があったはずなのに
ページめくれど再会できず
あの本にこんな名言が載ってたんだよねぇ。そういう記憶がたくさんある。なのに、いざ、その本を読み直してみるとわたしの心を打ったはずの名言がまったく出てこなくて驚愕してしまう。
これ、なぜなのだろう。そんな名言が存在しなかったんだとしたら、なぜ、わたしはその名言を覚えているのか。しかも、けっこう世の中の真理っぽい内容だから怖くなる。もしかして、自分がでっちあげたもの? その割にはクオリティが高くないか? 本当、不思議。
10/1 テーマ「背徳」
深夜二時スウェットのままコンビニを
まわり手にしたキムチラーメン
元ネタは小沢健二の『恋しくて』という曲の歌詞。恋愛の楽しい場面の例として、キムチラーメンを探して夜遅く出かけたという表現が出てくる。
これ、いつかやってみたい。でも、キムチラーメンってあんまり売ってないよね。当時は定番商品だったのかなぁ。いまだったら、永遠に見つけられないまま、夜の町を徘徊し続けなくちゃいけなくなるかも。……それはそれでありか。
10/2 お題「笑」
学友と戯れ破顔一笑の
君が起こした殺人未遂
これは上の句と下の句でギャップを作ろうという意図を込めてみた。できるだけポジティブな空気を演出しつつ、そのすべてをひっくり返すような要素を仕込みたい。
31文字の外側に世界があることを匂わせたい。それができたら凄いよね。プロとして短歌を詠んでいる人たちってそういう技術を持っている気がする。
10/2 お題「噂」
その噂誰から聞いたものですか?
答えないならお前を殺す
CHAGE&ASKAの『YAH YAH YAH』で、殴りに行こうとしている相手は秋元康なんだとか。ASKAがラジオで秋元康に「CHAGE&ASKAは演歌だ」と言われたことに腹が立ち、殴ってやろうと思ったらしい。
まさかモデルがいたとは。衝撃だった。でも、そんなもんだもねって納得感もあった。自分のことを悪く言っているやつがいたら、なにかしら、やっつけてやりたいよね。ちなみにASKAと秋元康は和解したらしい。
10/2 テーマ「果て」
イッテQ撮影に来た地域から
見れば日本の方が最果て
テレビで見てて、いつも疑問を感じていた。一方的に世界の果てとか言っているけど、向こうからしたら、日本こそ世界の果てなのではなかろうか?
そもそも球体状の地球に果てなんてものは存在しないはず。バラエティ番組にそんなつっこみを入れるのは野暮とわかりつつ、むしろ、そういうところからちゃんとしていくことが重要なのではと迷うぐらいには真面目な子どもだった。
10/3 お題「ギャル」
明日からギャルになるぞと決意した
啓子67歳の意地
これ、いいでしょ笑
好きな短歌ができたと満足している。
10/3 テーマ「メタ」
メタなネタ下手でベタだがケッタケタ
エアーギターで『いとしのレイラ』
禁じ手とわかりつつ、ダジャレをやってみた。一応、短歌にダジャレがよくないという発想を持っているということ自体がメタ的な視点であり、そのことを利用してみた。
ちなみにエアギターで一番よく弾かれている(?)曲は『いとしのレイラ』なんだとか。またひとつ、どうでもいい知識が増えてしまった。
10/3 お題「道」
道路交通法第5条により
お前を交差点とは呼ばん
法律を短歌にするってことをやってみたかった。語呂から五条にするのがいいと当たりをつけてから、その内容を調べてみたところ、交差点の定義に関する妙なものだったので笑ってしまった。
いままで交差点がなにかなんて考えたことなかったなぁ。まあ、なんとなくわかってはいたし、実際、その通りだったんだけどね。でも、短歌をやっているとこういうなんとなくの認識を固められるので面白い。
10/4 お題「蜘蛛」
わらわらと群がる亡者蹴散らさず
登れど切れんや釈迦の気まぐれ
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読むたび、これ、カンダタは他の亡者たちを蹴落とさなかったとしたら、助かったのだろうか? と疑問に思ってきた。どのみち助かるかはなかったんじゃなかろうか? と。
そう考えるとあのお釈迦様はカイジの兵藤会長みたいなもので、人間が本気で生きようともがくさまをエンタメとして楽しんでいるだけなんじゃなかろうか。絶望的な話な気がするけど、どうなんだろう? そんな風に不思議だった。でも、芥川龍之介の他の作品を読み進めていくとそういう人らしいとわかってきて、納得感があった。
10/4 テーマ「気分」
東京の空に星々満開で
きみの気分が晴れたとわかる
元ネタは奥田民生の『野ばら』という曲。天気を見て、君の機嫌がわかるという妙な歌詞が面白い。たしかに晴れていると気持ちがよくなるけど、そう単純な話ではないだろうって。でも、そんなもんだよねって感じもする。
科学的な根拠はわからないけれど、経験上、そういうものとして受け入れられている出来事をあえて表現に使ってしまう大胆さが好き。
10/4 お題「数」
対話より数の論理で押し通す
デモクラシーを望んだぼくら
数の論理って、批判的に使う言葉。その考え方がどうであるかより、仲間をどれだけ増やせるかで世の中の大事な物事を決めてしまうなんて、冷静に考えるとめちゃくちゃだ。
でも、それをよしとする仕組みがわたしたちがよしとしている民主主義の本質。もっと言えば、そういう仕組みを作ってきたのはわたしたち。都合のいいときはその恩恵を被ってきた。毒饅頭を食っちゃっているんだよね。
10/5 お題「画家」
盲目になりし絵描きの自画像は
やたら大きな瞳で笑う
耳が聞こえなくなったベートーヴェンの曲はなんて美しいんだろう。同じように、盲目となった画家が描く絵画はどんな風になるのか気になっている。
自画像なんか、どうなるんだろう。鏡を見れないわけだから、きっと、まわりの人間が見ているようにはならないだろう。内省に内省を重ね、自らと向き合った姿が表現されるはず。そしたら、開かないはずの瞳が開いていても不思議ではないんじゃなかろうか。
10/5 テーマ「我慢していること」
手取り十五万で消費される我
セコい顔して消費する我
シンプルにわたしは低収入で生きている。ヘトヘトに疲れるまで働いているというのに、人生を消費されているなぁとつくづく悲しい。
一方で、そんなわたしは百均が好きで、GUが好きで、夜のスーパーで割引になっている商品が好き。セコい消費をしている自覚があり、よくない連鎖に協力している自分がめちゃくちゃ嫌い。
10/5 一字題「踏」
夕闇の土手をテクテク帰宅中
転び振り向きゃ陰踏むネズミ
なんてことない道で転ぶことがある。出っ張りがあったわけでも、へこみがあったわけでも、靴が壊れていたわけでもない。
振り返ると自分の影の上に小さな動物が立っていた。ネズミかどうかはわからない。シュッと姿を消してしまったから。ただ、あいつに影を踏まれたからつんのめってしまったんだなぁと納得した。
10/6 お題「魔法」
中三の夏に通った図書館で
魔法を知った新潮文庫
中三の夏、受験勉強をするため図書館に通った。本当は英単語を覚えたりしなくちゃいけないんだけど、つい、やる気が湧いてこなかって、面白そうな本を手当たり次第に読んでいた。
その中で新潮文庫に出会った。海外の有名な作品の翻訳をはじめて読んだとき、こんなにワクワクできるなんてと感動した。教科書に載っている雰囲気だといかにも小難しそう。自分とは縁がないと思っていた。なのに、気づけば、夢中になって読み漁っていた。まるで魔法にかけられたようで、結果、勉強をしに行っているのに成績は全然伸びなかった。
10/6 テーマ「天使」
もしこんな見た目じゃなけりゃお前らも
俺を天使と信じたはずさ
映画『素晴らしき哉、人生!』に出てくるおじさんの姿をした天使がやけにかわいい。誰からも天使と信じてもらえないんだよね。みんな、天使といえば美少年とか美少女とか、見目麗しいイメージを持っているから。
天使は極端な例だけど、見た目で納得してもらえないことってけっこうあるよね。仕事でも同じ意見を言うにしても、どんな容姿をしているかで受け入れられ方が変わったりする。本当、悔しいよねぇ。
10/6 一字題「落」
落ちながら死にたくないと気がついた
痛いのはヤダわたしは生きたぃ……
いがらしみきおの四コマ漫画に、飛び降り自殺をした男が宙を舞っている間、たまたま同じタイミングで飛び降り自殺をした女性が隣にいて、お互いに一目惚れしてしまうというものがあった。二人は思う。もっと早く出会っていれば。死に向かいつつ、生きたいと思ってしまうのだ。
この話がずっと心に残っている。死ぬと決めてから、死にたくないと気づくことって全然あり得ると思う。走馬燈が本当にあるのかはわからないけど、死の直前って、きっと普通の時間感覚とは異なっている。当然、思考も早くなるはずで、結論がひっくり返ったとしても不思議ではない。
ただ、それって、めちゃくちゃ切ないことだよね。
10/7 お題「薬」
1センチ未満の小さな粒数個
たったそれだけされどそれだけ
わたしは20代まで病院が嫌いだった。風邪ぐらい放っておけば治ると本気で信じていた。でも、コロナ禍がはじまり、そんなことを言ってる場合じゃなくなってきた。病院に行かないことは誰かを傷つける可能性があるのだと認識した。
で、最寄りの病院に行き、薬をもらうようになるとビックリした。こんな小さい粒を飲むだけで、こんなに早く風邪が治るなんて! 市販薬と全然違った。
適応障害になったときも、睡眠薬をはじめて飲んでぶっ飛んだ。パソコンの電源を抜くようにスッと意識が飛んだから。薬って、凄いと同時に怖いなぁとつくづく思い知らされた。
10/7 テーマ「沈黙」
沈黙は金と喧伝したやつは
民の従順さにほくそ笑む
沈黙は金なりって言葉が大嫌い。発言をするやつはバカだって遠回しに言っているんだもん。いやいや。黙っていたらなにも伝わらないわけで、みんなが静かにしていたら、楽なのは権力者だけ。ふざけんじゃねえよ! って腹立たしい。
たぶん、権力者側の賢しいやつが思いついたフレーズなのだろう。キャッチコピーとしてあまりに上手過ぎる。いまだったら、そいつは電通とか博報堂とかに入って、資本主義を謳歌しまくっているんだろうなぁ。最悪だよね。
10/7 一字題「罠」
バカ! あれは食おうとしたらダメだって
食われる側になりたくないでしょ
熊とか猪とか、罠を仕掛けられる側の動物の視点で詠んでみた。親子で森の中を散策中、子どもが置いてあるエサに誘われてフラフラ行ってしまう。それをお父さんかお母さんはピシャリと怒る。
罠って、仕掛けられる側の話になりがちだけど、実際は動物に対して仕掛ける側になることの方が多い。そういうことを示してみたいと思った。
以上、9/28〜10/7の短歌でした!
マシュマロやっています。
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社会に対する憤り、エトセトラ。
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ブルースカイ始めました。
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