【ショートショート】うちのレオは普通じゃない (4,304文字)
うちのレオが普通じゃないと気がついたのは、娘が喃語をしゃべり始めたときだった。あの子がアウアウ、バーとやっている様子を妻と微笑ましく眺めていたら、隣でレオもアウアウ、バーとやりだしたのだ。
それは断じて鳴き声などではなかった。言葉でコミュニケーションをとろうと模索している姿に見えた。
ボーダー・コリーは賢いと聞くけれど、さすがにちょっと不気味だった。娘に言葉を教えているとき、常に、レオが聞き耳を立てているように感じた。意欲的に俺からなにかを学ぼうとしていた。でも、まさか、そんなはずはないと自分で自分に言い聞かせた。
たぶん、俺はすでにレオを恐れていたんだと思う。すべてが杞憂であることを密かに願った。
ところが嫌な予感は的中。無事に娘が一才の誕生日を迎え、妻を見てママと呼んだ直後の出来事だった。レオは俺の目をはっきりと見据えて、
「パパ……。パパ……。パパ……」
と、はっきり三回繰り返した。
大学時代の友人で、厚生労働省の獣医系技官として働く小林に俺は助けを求めた。飼い犬が言葉をしゃべるようになったんだけど、果たして、どうすればいいのだろう、と。
取り乱しまくった俺とは対照的に、電話越しの小林は落ち着いていた。
「なるほど。そういうことなら大丈夫だよ。うちが引き取り、研究することになっているから」
「なっているからって、もしや、こういうことはけっこうあるのか?」
「まあ、ぼちぼちね」
その後の展開はスムーズだった。厚労省の職員がうちにやってきて、レオをゲージに入れて連れて行ってしまった。諸々の同意書にサインさせられた。こちらの費用負担がないこと。動物福祉の基準に則ってレオが飼育されること。予期せぬ事態が起きたときには飼い主である俺に連絡がいくこと。などなど。
お別れはそれなりに寂しかった。ただ、付き合いが長いわけじゃないので、本当にそれなりだった。妻が里帰り出産で不在の間、寂しさを紛らわすために衝動的に買っただけ。あの日、たまたま駅前のペットショップの前を通っていなければ、レオはうちの家族になっていなかった。そう考えると受け入れられないことはなかった。
数ヶ月が経過した頃、小林から連絡があった。
「あー、もしもし。その後のレオくんなんだけど、これがなかなかに優秀でね。すっかり小学校低学年ぐらいの語彙を使いこなしているよ」
「そうか。順調ならよかった」
「順調なんてもんじゃない。とにかく会話をするのが好きらしく、毎日、研究とおしゃべりばかりしているよ。おまけに勉強熱心でやたら本を読みたがるんだ。図書館の使い方を教えてやったら喜んでいたよ。あれは感心だね。暇さえあれば本を読み、気に入ったフレーズはノートにまとめている。まったく。このままいけば、人間と変わらぬ仕事ができるようになるよ、絶対」
レオは犬と思えないほどの散歩嫌いだったので、そういうインドアな趣味が合っていたのかもしれない。ただ、四足歩行している姿しか知らなかったので、読書に勤しむ光景を想像するのは難しかった。
戸惑う俺に小林は続けた。
「さて、ものは相談なんだけど。近々、国はレオくんの存在を公表しようと思っていてね。ご存知の通り、少子高齢化のせいで介護業界の人手不足は深刻だ。そこでレオくんのような会話もできる賢い動物たちを文字通りコンパニオンアニマルとして、現場に導入したいと政府は考えているんだ」
「そんなことが可能なのか?」
「理屈上は。というのも、レオくんの脳を分析したら、前頭葉に異常が発見されてね。おそらくは突然変異なんだけれど、これを意図的に再現すれば、他の動物もしゃべり始める可能性は十分にある。ただ、政府としてはそんな実現性うんぬんに関心はなくて、国民にポジティブなニュースを提供したいだけっていうのが本音だろうな」
なるほど、現在の首相は世論調査のたびに戦後最低支持率を更新し続けている。一発逆転のネタは喉から手が出るほどほしいはず。レオに白羽の矢が立ったとしてもおかしくはない。
「事情はわかった。でも、それと俺になんの関係があるんだ?」
「なにって、そりゃ、お前。保護者として許可を取らないわけにはいかないだろ」
「保護者って。いいよ、そんなの。お前らの好きにしてくれれば」
「もちろん、我々としてはそうしたいし、そうするつもりだったさ。しかし、レオくんがうるさくてね」
「レオが?」
「記者会見に出席し、ひとつ、スピーチでもって頼んでみたら、レオくん、パパの意向を聞くまでは従いませんと頑ななんだ。悪いけど、お前からレオくんに記者会見で一席ぶつよう説得してくれないか」
「待ってくれよ。嫌だぜ、そんなの。もう何ヶ月も会ってないんだ。いまさら話すことなんてなにもないって」
だいたい、不気味で仕方なかった。しゃべる犬だなんて。でも、そのことを口にするのははばかられた。
「うーむ。困ったなぁ。記者会見まで時間もないし、レオくん抜きで発表しても説得力には欠けるしなぁ。どうしたものか」
「だったら、手紙はどうだ? 本が読めるなら、それで十分だろ。書いてやるよ。お前の希望通りのこと」
そんなわけで俺はレオに手紙を書いた。
一週間も経たぬうちに返事が届いた。レオからだった。封筒の中に便箋が何枚も入っていた。子どもが書いたような文字で、研究所での生活が子どもが書いたような文法で綴られていた。最後には「パパの言う通り頑張るね」と添えられていた。
あまりの恐ろしさに俺はそのすべてを破り捨てた。レオのことを考えると頭がおかしくなりそうだった。小林にはもう一切関わりたくないと素直に伝えた。なにもかも好きにしてもらってもいい旨、正式な書類の形で提出した。
それから、いつテレビや新聞にレオが登場し、流暢にしゃべる犬としてネットの話題をかっさらい、世界中に配信されるのだろうと怯えて暮らした。万が一、自分を捨てた飼い主として俺の名前を出すようなことがあったら、大変なことになってしまうと心底怯えた。
念のため、ペット用品はすべて処分し、スマホの中に入っていたレオの写真も削除した。転職もしたし、家も引っ越した。幸いなことに俺は姓名ともに平凡だったので、仮に告発されたとしても痕跡さえなければ、きっと逃げ切ることができるだろうと踏んでいた。
それでも不安で不安で仕方なかった。眠れなくなってしまった。心療内科で適当な理由をつけて、睡眠薬を処方してもらった。精神的な病を騙っていることに罪悪感はあったが、そのことを妻に話したら、
「いや、普通に病んでいるでしょ」
と、言われてしまった。
さて、俺がそんな風に衰弱していく一方で、危惧していたことは起こらないまま、春夏秋冬と季節は流れ、やがて娘は二才になった。
こちらから小林に連絡を取らないと決めていた。そんなことをしたら、すべての努力は無駄になってしまうから。
でも、今度はどうなっているのか気になってしまって、それが理由で睡眠薬も効かないほどに神経が昂り、いつもイライラ、俺は娘にまで暴言を吐くようになっていた。罵倒された妻は、
「八つ当たりしないでよ……」
と、悲しく嘆いていた。このままじゃ、俺たちはどうしようもなかった。
家族のためにも、勇気を出して小林に電話をかけた。
「おお。久しぶり。元気にしてたか?」
「とんでもない。最悪も最悪だよ」
「アッハッハッ。それは災難だったな」
「まお、いいさ。ところでレオはどうなった? 記者会見は開かないのか?」
「ああ。レオくんね。あいつなら殺処分になったよ」
予想外の答えに俺の頭は真っ白になった。
「どうして?」
「余計なことを言おうとしたんだ。記者会見の準備をする中で発覚してな。最初こそ、お前の手紙で従順になったかと思っていたが、いざ、できあがったスピーチの原稿を読んで驚いたのなんの。人間は動物を差別しているって内容だったんだぜ」
なんでも、レオはペットを飼うという行為は動物の奴隷化であり、卵や牛乳を奪う行為は性的虐待であり、牛豚鳥を食べるために飼育する行為は大量虐殺に他ならないと主張するつもりだったらしい。これまで動物は言葉をしゃべることができなかったら、その被害を訴えることができなかった。でも、自分は違う。しゃべることができる動物として、これから彼らの代弁者となり、人間と言論で戦っていく。記者会見でそう決意表明しようとしていたという。
「本当、危ないところだった。記者会見でそんなこと言ってみろ。世界中がパニックに陥ってしまうよ。不幸中の幸いだったのはレオくんがまだ青年程度の知性しか持ち合わせていなかったことだ。正義を信じ、ちゃんとした言葉で論理的に説明したら、他人を動かせると信じ込んでいたんだね。おかげで我々は事前に計画を把握できたし、簡単な尋問で思惑を吐かせることもできた。お陰様でなんとかなったよ」
「なんとかって、殺処分のことか?」
「ああ。そうだよ。仕方ないだろ。余計なことを言うやつは生かしちゃおけない。動物ってやつは本当にバカばっかりだよ。もったいないよなぁ。政治なんかに興味を持たず、当たり障りのない応答だけしていればよかったものを。頭のよさを示したいならクイズや謎解きでもやっていればよかったのに。人気者になりたいなら、どうでもいいジョークを言っていればよかったのに。まったく、政治に興味を持ったばっかりに。みんな、しゃべれなくなっちまうんだから」
「……みんな?」
「そうさ。みんなさ。言っただろ、しゃべる動物の報告はぼちぼちあるって。これまでも世間に公表する直前までいったケースはいくつもあったんだよ。しかし、毎回、レオくんみたいなことを主張し始めてね。要するに、動物を苦しみから解放するため、なにが起きているのか真実を人々に伝えたいとジャーナリズムを発揮したがるんだ」
「それで、みんな、殺してきたのか?」
「もちろん」
小林の言葉に迷いはなかった。あまりのことに俺は目が回りそうだった。
「待ってくれよ。殺処分が当たり前なんて、嘘だよな。しゃべる動物が珍しくないなんて、そんなバカな。もしかして、もともと動物はしゃべることができたんじゃないのか? だけど、しゃべる動物は都合が悪いから人間によって殺されてきた。そして、しゃべらない動物だけが生き残ってきたんじゃないのか? というか、動物ってもしかして……」
「しーっ。それ以上はやめておけ。お前も殺処分になっちまうぞ」
電話を切り、呆然としている俺のそばに娘が近づいてきた。つぶらな瞳をキラキラさせて、
「パパ……。パパ……。パパ……」
と、はっきり三回繰り返した。
(了)
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