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今日の名曲: 易経由来のジャズとロック

名盤の録音日の当日に紹介する「今日のジャズ」の次の紹介曲は今月21日を予定しており、前回掲載から10日程の間があるため、「今日のジャズ」を書く際に発見した小話をお届けします。

今回は、遡ること約3500年前に執筆されたとされる中国の易経翻訳版が時を経て人種の異なる現代のミュージシャンをインスパイアして名曲が生まれたという話。

先ずは、3月14日に紹介した以下の演奏が含まれるチックコリアによるジャズの大名盤アルバム、”Now He Sings, Now He Sobs”。

この文章を考えるにあたり、ウェブリサーチをしていたら、英語表現的にも意味的にも風変わりなアルバム名は、中国の易経(英語名は”I Ching”だとは初めて知った)由来だと言うコリア本人によるインタビュー記事を発見した(以下、英語)。

曰く、世界中の様々な思想に興味を持って理解を深めようとする過程の中で易経に出会って音楽のモチーフにした、という事らしい。

そこで、具体的に易経のどの部分なのか、深掘りして調べてみた。すると古典的な書籍ということもあって翻訳バージョンだけで800以上の版が存在していて、しかも一冊800ページ超、その内容もニュアンス等が異なっているので、特定するのに手間取った。しかしながら、同じような興味を持つ方が海外にも存在していて、特定し得る手掛かりとなる情報が掲載されていたので辿ってみた。

それは、ドイツ人社会学者であり宣教師で、中国に二十五年在住したRichard Wilhelmによる1923年のドイツ語翻訳版を、Cary Baynesが英語訳した1950年にニューヨークの出版社から初版された翻訳本の61卦にあった。

オークションサイトにあった初版本の写真
初版本は2800USドルで販売されている

そこには、こう記載されている。

61. Chung Fu / Inner Truth
He finds a comrade.
Now he beats the drum, now he stops.
Now he sobs, now he sings.

三行目はコリアのアルバム名とは順序は逆だが、同アルバムに"Now he beats the drums, Now he stops”という二行目の曲もあることから、この箇所でほぼ間違いないと言える。

原文は「得敵。或鼓或罷。或泣或歌。」
その意味は、「敵に遭遇する。そこで太鼓を鳴らしたり止めたりする。そして、すすり泣いたり歌ったりする。」

その意味するところを、Whilhelmの同箇所の解説を翻訳してみると以下。

「人間の強さの源は自分自身の内側にではなく、他人との関係性にある。如何に距離感が近かろうが、心の拠り所が他人に依存しているのであれば、必然的に喜びと悲しみの間を行き来する事になる。高い空を喜び、そして死を悲しむ、これは愛する他人との心のつながりに依存している人々の宿命である。ここでは、その定めに関する記述に留められている。この状態が愛の至福の苦悩と感じられるかどうかは、関係する人々の主観的な判断次第である」

解釈も含めて分かり辛いが、概ね「何をしても中途半端になるので冷静になるべし」という解釈で、この内容を含む「61.風沢中孚(ふうたく ちゅうふ)」は、全体として「誠実に接する事で心が通じる」という意味のよう。冷静になって心を通じ合わせる事が重要、というメッセージをコリアは送りたかったのかもしれない。

調べて行くと、ほぼ同時期に易経にインスパイアされて生まれた、遥かに有名な曲が存在することが分かった。尚、ここからは個人的な想像(創造)のストーリーを含みますので悪しからず。

その曲は、あのビートルズによるもの。これで曲名が推測出来たら、かなりのビートルズ通。

因みにその曲は、コリアの作品収録直後の1968年4-5月に作曲されたもの。それでも大半の方にとって特定する難易度は高いはず。

次のヒント。収録アルバム名は、通称「ホワイトアルバム」これも二枚組で曲数が多いため、推測は難しいかもしれない。

作曲は、ジョージハリスン。因みにハリスンの曲は同アルバムに三曲収録されている。

さて正解は、その代表曲でハリスンの親友、エリッククラプトンが参加している、”While My Guitar Gently Weeps”。

ハリスンは、作曲の経緯について、こう語っている。

母の家を訪ねた際に、「起こることは必然であって全てに意味がある」という東洋的な易経の思想に思いを巡らせながら、それを題材とした曲を書こうと、無作為に本を手に取り開いた時に目にした言葉を用いた曲を書こうと決めて、とある本を開くと”gently weeps”という言葉が目に入り、本を置いて、その言葉を素材とした作曲を始めた(The Beatles Anthology book、306ページの概訳)

同書では「無作為に本を手に取り」とあるが、実際には「易経の本を無作為に開いて」ではないか、という説がある。何故ならば、”weep”という言葉が易経の翻訳版に登場するから。だとすると何処に該当するのか。調べた範囲内でも八人の手による英語訳が存在していて、そもそも”gently weeps(静かにすすり泣く)”という言葉が見当たらないが、先ずは、この説を信じて”weep(すすり泣く)”の箇所を調べてみた。

先ず、コリアと同じ本を手にしたと仮定するならば、同翻訳版に”weep”は以下のような形で解説文を含めて三回登場している。

“Men bound in fellowship first weep and lament, But afterward they laugh.”

“The wanderer laughs at first,
Then must needs lament and weep.”

さて、どうだろう。こちらの二つは、すすり泣きと笑いがセットになっている。ハリスンもコリアと同じ書籍の別の箇所に触発されて作曲したとすると、この翻訳版は貴重な資料と言える。

恥を忍んで、もう少し妄想を膨らませてみる。キーワードとなる”weep”を軸に、イギリスの出版社によって当時、東洋思想的なブームの最中に初版された作品をターゲットとして探してみた。そして辿り着いたのが、アジアの思想と宗教に関わる翻訳を手掛けたイギリス人作家、John Blofeldによる1965年にロンドンの出版社による著作。こちらの翻訳名は、”The Book of Change”

オークションサイトで販売されている初版本
オークションサイトには1965年初版との記載

“weep”と”sob”が「泣く」という共通の意味を持つことから、チックコリアが発想を得た翻訳版と同書の同じ箇所を確認してみると、以下記述があった。

“Beating a drum by fits and starts, he weeps and sings in turn.”

そう、”weep”が、コリアが手にした版の”sob”の箇所に入れ替わって登場しているではないか。

だとするならば、コリアもハリスンも同じ易経の一文に刺激を受けて名曲を作った、と信じたくなる。ロックとジャズの名曲のルーツが同じ、だなんて全く確証は無いので妄想に過ぎないが、そんな素敵な偶然に思いを馳せたくなった。

では、題名曲を聴いてみましょう。先に登場したコリアによる同アルバムのタイトル曲は、当時のジャズとしては、かなり斬新なスタイル。先に記載した易経の意味を意識して聴いてみると、コリアが表現したかった事が伝わってくるはず。

そして次が、ジョージハリスンによる名曲、”While My Guitar Gently Weeps”。歌詞が何処となく東洋的な内容。

どうでしょう。どちらも彷徨うような物悲しげな印象が強いのが共通項。因みに、易経の解釈として、この箇所はその基礎概念にある陰と陽の関係性において、陰から陽に好転し始める初期段階とのこと。そう言われると、土台は暗い流れであるとして、時折、明るい兆しが現れては消えるという展開も何処となく納得が行く。

もう一つ。「泣く」といっても厳密に言うと”weep”は「静かに泣く」、”sob”は「泣きじゃくる」という意味で異なるそう。そのニュアンスの違いも両曲のトーンから感じ取れるかもしれない。

これまた想像の世界ながら、コリアは混迷するアメリカ社会を憂い、加えてハリスンはビートルズメンバー内の関係性の悪化という悩みを抱えつつ、どん底から抜け出して前向きに足を踏み出す、そんな変化を求める思いもあって、この本、”Book of Changes”を手に取ったのではないか。因みに1968年の前半には、ベトナム戦争の激化、マーティンルーサーキングとロバートFケネディ(ジョンFケネディの弟)の暗殺といった情勢不安な出来事があった。

改めてハリスンの言葉で締め括りたい。「起こることは必然であって全てに意味がある。」妄想を続けると、この二つの名曲は、易経の同じ箇所から必然的に生まれたのかも知れない。もし、そうだとするならば、これが何を意味しているのか。今は良く分からないから、ハリスンがそうしたように易経の思想に思いを巡らせながら、導かれるがままにこの名曲に耳を傾けたい。

最後に、チックコリアに興味を持たれた方は、こちらもどうぞ。

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