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敬老若男女(自他)。他人を敬い、自分を敬う。誰も見てなくても悪いことしないよーに。己を慎み欺かない!

またまた「中国古典名言辞典」より。
只今、「近思録」のところ。

けいしゅとしてもっうちなおくす。

万事、うやまうことにつとめ、そうすることによって、内、すなわちわが心を邪念のないまっすぐなものにする。(易坤卦こんか 文言伝ぶんげんでん
「敬」は元来、相手があってそれを敬うことである。たとえば神仏を敬う、長者を敬うなど。そして、その敬う場合には、必ずその相手だけを考えて、他の事は考えない。それが「敬」であり、朱子しゅしはこれを解釈して「主一無敵しゅいつむてき」という。
その習慣がついてくると、のちには敬う相手がいなくても心を一にすることができる。しいていえば、自分で自分を敬うことになる。そのようになれば、他人が見ている、見ていないに関係なく「敬」の状態になれる。すなわち「暗室あんしつあざむかず」、うちなおくすることができる。

坤卦、地を表す。
文言伝、易経を補足する十翼と呼ばれるものの一つ。
朱子、朱子学の創始者。
主一無適、心を一つの事に集中させ、他にそらさないこと。
暗室を欺かず、人が見ていなくても身を慎み、悪事をしないこと。

主一無敵に相手を敬う。
その習慣がつけば、誰もいなくても、自分を敬い、
慎み欺かず、悪事を働くこともない。

主一無敵に敬う。
全集中敬いかー。
うーん、むずそーだ。

そこまでできなくても、
悪いことしないけどねー。
(たぶん、きっと…)

「敬」とは、儒学における、つつしみあざむかない心のこと。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「敬」とは本来,天,神々,君,父母などに対する敬虔でうやうやしい気持,ないしは態度をいうが,朱熹(子)はこれを自己の自己に対する心のあり方に転化させ,自己変革の修養法として確立した。

https://kotobank.jp/word/敬-488053

ついでにコレも。

涵養かんようすべからくけいもちうべし。

ひたし養う、すなわち修養はなにをおいても敬ということを第一となすべきものだ。敬は主一無適しゅいつむてきで、この習慣ができれば、相手がなくてもみずからを慎むことができるからである。(程明道ていめいどうのことば)

程明道、朱子学・陽明学の源流の一人。明道先生。


In honor of everythingすべてに敬意を表して!



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Jah よ! へるぷみ~ (T人T) ナムナム アーメン タスケテ・・ ☆彡(-人- ) 星に願いを・・・ らぶみーてんだー ♡♡♡ <3