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私と東村さん

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高校時代、仲良かった事務室の東村さん。その人との日々を思い出したので残したいと思います。いつかの自分に向けて、忘れてしまわないように。
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#つくるのはたのしい

EP.1-9

文化祭も無事に終わり、三役の引き継ぎも終わると受験モードに切り替わった。

とはいえ、推薦を狙っていたので勉強が忙しくなることはなかった。

東村さんとやり取りをすることはほとんどなくなった。

それでも、会えば挨拶して

時間があれば雑談くらいはしたと思う。

受験校はどこにしたとか

テストで良い点とったとか

そういう話をした。

東村さんは

何も変わらなかった。

私が

変わっていった

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EP.1-8

学年があがるにつれて、東村さんの他に、私が仲よくなった学校関係者は何人かいた。

東村さんだけが特別仲良かったわけではない。

たとえば用務員さんとか警備員さんとか。

ずいぶんと良くしてくれていた。

東村さんはそのうちの1人だった。

Ep.1-7

そういえば、

東村さんと一緒に帰ったことがあった。

たまたま帰りが一緒で、私は途中下車して買い物しなくちゃだったから電車に乗るとこまで。

「援交にみられるかな」

「かもね」

「ぼくとこれからどうですか?」

「キモー!」

そんなやり取りをした。

学校を離れると

気さくになるというか

モードが切り替わる東村さん。

この時は、身体の関係とかよく分からなかったから

キモー!の程度も

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Ep.1-6

高校3年生になった。

今年も東村さんは異動しなかったみたいで

「今年もよろしくー」

と挨拶した。

今年は生徒会室に行くことが多くて鍵の貸し借りはなくなった。

けれど、委員長なので放送室借りるときとか

近くの体育館に養生テープ貼りたいときとか

事務的なお仕事が増えて

その度に東村さんに相談しにいってた。

養生テープの件は、お金がかかると言われていたけれど

お金をかけないでやるため

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Ep.1-5

高校2年生になった。

4月。東村さんは、異動がなかったようで

いつものように事務室にいた。

「今年もよろしくね。」

「こちらこそよろしくお願いいたします!」

という挨拶を交わした。

私は、

お昼休みには配電室の

放課後には生徒会室の

鍵を借りに事務室へ行くことになった。

途中から先輩方が配電室の合鍵を作っていたことを知っていたけれど、

私はとても真面目だったので

毎日、事務

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Ep.1-4

学校生活は毎日忙しかった。

文化祭が終わると、じゃんけんで負けた私は委員会の三役になった(書記)。

今度は配電室だけではなく

生徒会室や放送室の鍵なんかを借りるようになった。

東村さんがいるときは東村さんが対応してくれた。

いつもニコニコしてて

「おつかれさま」

と言ってくれてた、、、気がする。

でも、鍵を借りたり返したり

そのやりとりだけだった。

文化祭実行委員会は来年度まで

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Ep.1-3

通っていた高校は私立だったけれど、

校舎が全体的に古い。そしてしきたりも古かった。

ノックをしないでドアを開けたら最初からやり直し、先生の機嫌が悪かったらその場で怒鳴られる。

私は、先生から怒られることは見放されることだ、と思っていたので、そういったシキタリを忠実に守った。

けれど、事務室のドアを私はノックしないで入る。事務室の扉は自動ドアになっていたからだ。

「こんにちは。」

「こん

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Ep.1-2

高校1年生の4月、文化祭実行委員会に入ることにした。

中学時代の私を捨てて、新しい自分になるためには

新しいことを始めるのが一番だったから。

配属先のチームが決まると、文化祭に向けてどんどん忙しくなった。

私のチームは入り口の看板作り。

看板作りは配電室を借りて行うため、

配電室の鍵を借りるため、私は事務室にいくことが増えていった。

中学時代、体育会系の部活動に入っていたこともあり

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Ep.1-1

東村さんは私が通う高校の事務さんだった。

高身長の細身で、顔は小さいのに高い鼻が特徴的の中年男性。

いつもA棟1階の事務室にいた。席は受付に近かった。

私は高校に入学してすぐに両親が離婚したため、中間テストが始まる5月には入学前に提出した住所を変更する必要があった。

そのときに始めて事務室にいった。

その時に対応してくれたのは、確か女性だった。

何かを察したのか

「あなたも大変ね。」

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