セミ
毎年、何度か、セミの幼虫の羽化の手助けをしているのである。それを、セミレスキューと、私は、命名している。
上に参照した記事の『伐採』にあるように、近隣の公園の坂道では、大規模な修理工事がなされていて。木を切り、地面を掘り起こしているので、今年は、その機会もなかろうと思っていた。
たまたま、お盆前の夏のある日。普段はあまり歩かない公園の中の道を歩いて帰宅した。
もう、セミの羽化の季節とすると遅いと思う中、なんと。私の目の前に、迷えるセミの幼虫がフラフラと歩いているではないか。
心の中の、リトルkojuroが、叫んだ。
コジ、セミレスキューだ!
そう、リトルが叫ぶや否や、私は、セミの幼虫を拾い上げた。
セミの幼虫は、一度、草むらから舗装された道に落ちたら、なかなか、路石の壁を這い上がれない。つまりは、木に登れず、道端で羽化し、飛べずに鳥のエサになることが多い。
カラスやスズメ、その他の野鳥は、セミの幼虫が、大好物なのである。
何とか頑張って、運良く路石を乗り越えて、でも時間切れ気味に木に登り、そこで羽化したとして。羽が伸びきらない、飛べない状況下で朝を迎え、鳥の眼中に入ろうものならば、一瞬でエサと化してしまう。
セミは、羽化するのが、なかなかに難しい。だからセミの抜け殻は、空蝉といって、縁起物にも挙げられることもあるという。
私は、セミの幼虫を見ていると、自分のことのように思えてくる。
だから、木に、登らせてやるのだ。
ひょっとしたら、セミからすると、大きなお世話かも知れないが。
少し見回すと、絶好の羽化場所となりそうな木があった。見れば、空蝉がたくさんついている。これならば、セミを登らせても、かなりの高確率で羽化できるのではないかと推測される。
セミの幼虫を、木にとまらせると、一声、かけた。
セミくん、達者でな。
そうして、その恵みの木を、後にした。
もう冬も近いというのに、懲りもせず夏の記事をここまで書いて、振り返ると、誰もいないソファーがある。
そう言えば、この話。まだ、家内にしていないことを思い出した。帰宅しても、家内は、いない。
今夜は、マッサージをすることも無い。だが、幸運なことに、家事は、たんまりある。
この話は、また、家内が家に戻った時に、報告しよう。
家族LINEのコメントによると、家内は、元気にやっているようだ。
マッサージがなくとも、家内が元気であれば、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?