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伐採

我が家からほど近い場所に公園があり、その公園のすぐ横に、坂がある。その坂だが、木々が茂っており、夏は、夜になるとそこに、蝉の幼虫が彷徨さまよっているという話を、以前、何度か記事にしたことがある。

夏の間、私は、その彷徨《さまよ》う幼虫を、木につけてあげて。恐らく、そのうちのいくつかは、無事に羽化していったのではないかと思うのである。


それを私は、セミレスキューと勝手に名付けていて。夏の、私の、勝手なミッションのひとつなのである。


去年から、近隣の公園が、今、整備されている。そしてその一環で、樹木の伐採がされていて、切り倒されてしまう木も多くあった。

切り倒された木の幹

残された木も、かなり思い切って剪定されていて。

剪定された木


ちょっと、驚いた。



心の中の、リトルkojuroが、寂しそうに、つぶやいた。

これじゃ、来年、幼虫は、出てこないんじゃないか?



木陰、木漏れ日を心地よく感じていたこの公園の横の道で、突然のように、こういうことが起こる。景色が一変する。ほんとうに、諸行無常を感じる。

このご時世になって特に思うのだが、いろいろな変化が、寂しく思ってしまう。良くなるとか、希望を感じると言うよりも、わびしさや不安を感じるのである。


心の中の、リトルkojuroが、また、寂しそうに、つぶやいた。

コジも、歳をとったっていうことなんだろうな。


家内が帰宅しなくなって、もう、二週間になる。この前の日曜日の夜は、深夜に帰ってきて、それでも翌日は早くに起きて。買い物に出掛けて、夜には、晩御飯を食べてまた、ホテルに帰った。

その翌日はまた、朝から仕事だという。


家内のことも心配だが、見守るしかない。


マッサージをしなくなった手と時間は、もっぱら、家事に向けられている。

手持ち無沙汰はないが、なんだか、寂しい気がする。


もう、私も、歳をとったのだろう。


ひとり、静かに、灯りを消す。でも、思うのである。


諸行無常だ。これも、受けとめよう。


だから。


これで、いいのだ。



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