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進化

関西弁だとか、関東弁だとか、方言だとかいう、言い方がある。かたや、言葉遣いということで、敬語とか、ちょっと砕けていうと、タメ口というような、使い方がある。

先日から、気になる記事が、何度か、noteの世界に、出てきていた。


関西では、アホというのは、褒め言葉にはならないものの、気にならない、普段使いの言葉であって、関西では、聞き流される。ところが、これを、バカと言ってしまうと、侮辱する言葉になり、関西では受け入れられず、時と場合によっては、ケンカのタネになる。

逆に、関東では、バカは普段使いの言葉で、アホは、人を蔑む言葉であると。


このことは、ある程度以上に、よく知られていることである。だからこそ、私は、以前、鹿の記事を書いたときに、馬鹿と書いて、「うましか」という、ルビをふった。

だがこの事実を、面白おかしく、ひとつの作品にしてしまうところが、ながた師範の、凄いところである。


そして、この記事から発展して、敬語という、文法、言語的観点から分析される方がいらっしゃる。

えんちゃん、である。

発端は、ながた師範の、この記事である。

関西の、「はん」の意味合いである。詳しくは、上の記事に譲るが、関西独特の、「はん」の距離感とか、人と人とを繋ぐ、具合、について述べられている。

そこから、えんちゃんの、この記事が、投稿された。

この記事は、敬語の専門家で、コールセンターの運営や教育に携わる、えんちゃんらしく、文法的、言語学的側面の、敬語という観点から述べられている。

こういう記事を、お役立ち記事、というのである。

なぜならば、こうした記事、情報こそが、ひいては、行動や生活、生き方の、指針になるからである。


そして、一連の締めが、ながた師範の、この記事だ。

この記事には、私の、「馬鹿(うましか)」が、紹介されていて、また、うまいこと書かれていて、面白い記事になっている。


コメント欄に、感想を書いたのだ。

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すると、こうやって、反応してくれる人たちがいた。

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ここまで書いて、もう、半分以上、ネタバレしているが、ちょっと頑張って、父との思い出を、少し書いてみようかと思う。


父は、広島が本籍であり、本家は広島にあったが、大連で生まれ、思春期まで育った。言葉遣いが、広島弁でもなく、関西弁でもなく、標準語でもなく、すこし奇妙なイントネーションで、方言というものの匂いが、あまり、しなかった。

高校の、世界史の教師だったが、いつも、本ばかり読んでいて、勉強をしていた。あとで聞いた話だが、本当は、大学で教鞭をとりたくて、論文を書いたり、学会に出たりして、就職活動をしていたようだ。

それに対して母は、尼崎出身で、バリバリの関西弁だったが、神戸に移り住んでから長いという理由で、いつの間にか、神戸出身ということになっていた。だが、言葉の端々に、神戸でない匂いを醸し出していたし、性格がかなりきつかったので、言葉だけを聞いていると、母が強くて、父が穏やかに、どこからどう聞いても、思われるようなふしがあった。


私が幼少の頃には、神戸に住んでいたので、ながた師範の法則からすると、私は、バカよりも、アホを受容しやすい文化に育ったのは、間違いない。

父は、兄と私を叱ったり、諭したりするときに、よく、「バカ」という言葉を使った。

すると、母が、父に、関西の人間は、「バカ」と言われると、頭にくるから、気をつけたほうがいい、子供の教育にも、その言葉は使わないほうがいいと、よく、言っていた。


父は、大連から広島に帰り、学生時代は広島で育ったはずだから、本来は、広島弁を話すはずである。だが、あまり、染まらなかった。どちらかというと、標準語、関東弁に近かった。だから、よく、「バカ」が、出たのであろうと思うが、真実は、今となっては、知るよしもない。

まして、学校の教師を生業としていたから、日常の言葉遣いも、少しずつ変えていったのだろうと思う。

私が小学校に上がる頃は、私を叱る際に、少し柔らかめの言葉を使うようになった。

つまり、直接「バカ」とは言わず、「バッカじゃなかろうか」という言葉遣いをし、私は、「バッカ」ということになった。


私は、先日の記事でも明らかになったように、幼少の頃から、悪ガキだった。

だから、兄よりも、圧倒的に、父や母に、叱られる機会が多く、父も、「バカ」という言葉を使わざるを得ず、そのなかでも少しでも教育者として手を加えていき、「バッカ」が、生まれてきたのだと思う。

兄は優等生で、問題を起こすような人ではなかったし、父は、生活指導部の役割を担ったことは、確か、なかったはずだから、学校で高校生に対して、「バカ」や「バッカ」を使用することは、おそらく、なかっただろうと推測される。

つまりは、「バカ」から「バッカ」への進化系の道筋は、もっぱら、私のために行われた事象であると、容易に、考えられる。


私は、「バッカ」は、あまり気にしていなかったが、兄のことや、母のことを形容する際に、よく使ったため、私も忠告を受けたが、父も、また、母や兄から「バカ」や「バッカ」を使うと、もっとコジが、悪ガキになると、諌められたに違いない。


長年、「バカ」や「バッカ」だったが、私が思春期をすぎ、高校、大学になると、次の進化がやってきた。


つまり、「バカ」から、「バッカ」になり、さらに進化した、「バカ」の、最終形態と、なったのである。


それは、「アンポンタン」という言葉であった。


父は、亡くなるまで、ついに、私に、「アホ」という言葉を、使わなかった。私は、「アホ」を通り越して、「アンポンタン」に、進化してストップした。


聞くところによると、漫画のタイトルにもなった、「カバチタレ」という言葉が、広島の方言として、「バカ」や「アホ」と似た意味合いで使われることがあると、学生のときに知った。だが、広島生粋の友人何人かに聞いたが、ほぼ、我々の世代の、普通の広島県人が使う言葉ではないし、そもそも、いわゆる「文句言い」のことだと、聞いたことがある。

もちろん、「カバチタレ」と、父に、言われたことは、ついぞ、無い。


私は、父と母には、親不孝ばかりして、何も、恩返しをしなかった。

親孝行 したいときには 親は無し。

とは、よく、言ったものだ。

私は、それを、まったく言葉通り、実践している。


今も、悪ガキの血が流れている。

三つ子の魂百までという。


心の中の、リトルkojuroが、頬杖をつきながら、つぶやいた。

今頃天国で、ケーシー(注1)と、みかちゃん(注2)が、次の、コジの呼び名を、じっくり、考えているかもよ。

あんまり、悪ガキ気質が直らないと、「アンポンタン」の次の呼び名が、待っているよ。天国で。


私は、その贖罪のためにも、週末には、せめて、家内にマッサージをして、徳を積むようにしている。


だから、すべては、

これで、いいのだ。



(注1)父は生前、特に、孫ができてから、孫から。あるいは、私や兄、義姉、家内を含め、家族から、「ケーシー」というあだ名で呼ばれていた。

(注2)母は生前、特に、孫ができてから、孫から。あるいは、私や兄、義姉、家内を含め、家族から、「みかちゃん」というあだ名で呼ばれていた。母は、このあだ名をあまり気に入っていなくて、何度も名前を変えて欲しいと孫たちにお願いをしていたが、だって「みかちゃん」じゃん。と、長女に笑いながら言われてから、観念したようだ。



【今日の登場人物】

ながた師範は、言わずと知れた、詭弁論部の3賢人のおひとりである。商業用アカウントということで、整体関係の記事が多い。本当にお役立ち記事がたくさんあって、いろいろと、私は、知恵を授かり、実践している。ときに、「箸にも棒にも」というシリーズで、エッセイを書かれている。これがまた、とてつもなく面白い。腕に技を持ち、さらに、ユーモアを愛する。素晴らしき哲人である。

遠入のどかさん。私は、えんちゃんと、呼ばせて頂いている。一度、私の記事にも登場して頂いたが、再度の登場を頂こう。えんちゃんは、とにかく、敬語の達人である。プロでいらっしゃるから、当然と言えば当然であるが、敬語をわかりやすく解説する記事を多数、書かれている。敬語と聞くと、敬遠してしまう方もいらっしゃるかも知れないが、私は、敬語は、日本の世の中の、あらゆるコミュニケーションを支える、いちばんの潤滑油だと思っている。一度、読みに行かれたらいいと思う。敬語やコールセンターでのやりとりの珠玉の知恵を、惜しみなく披露されていて、頭が下がる思いがする。

えんちゃんも、敬語意外に、「銭湯シリーズ」、「敬語歌詞シリーズ」とこれもまた、風情があり、面白い、ユーモアたっぷりの記事を書かれていて、目が離せない。

庵忠名人も、言わずと知れた、詭弁論部の3賢人のおひとりである。五輪さんから、笑福代官という称号を授けられ、別名、代官とも称されている。何を生業にしていらっしゃるのかは、わからないが、叡智に溢れ、慈愛に満ち、「オイラ」という呼称には、少しギャップがある程の哲人である。世の中の矛盾や欺瞞に、疑問を呈していらっしゃって、まさに、世直し代官とも言われるべき存在だと、私は、思っている。


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