アンマー
沖縄の言葉で、アンマーとは、お母さんという意味だという。実は我が家で、この、アンマーが、今、ちょっとしたブームになっている。
次女が、いい歌だと、クラブの仲間で一緒に聴いていたらしい。それを、長男にまず、教えて。長男は、まあ、いい歌だなと言ったらしい。
そして、つい先日、次女は、長女に家に泊まりに行った。翌日、長女が休みだという日の前の日の夜に。
そこで、一緒に聞いたという。
そうしたら、その、アンマーを聴きながら長女が号泣しているといって、写真を送ってきた。
先日、母の話を、投稿したばかりである。
心の中の、リトルkojuroが、少し驚いて、つぶやいた。
号泣する人が、ここにも、いたね。
血は、争えないね。
長女は、ことあるごとに号泣する。昔から、そうだった。こういうのを、感受性が強い、というのだろうか。
でも、昔は、どちらかというと、次女のほうが、感受性の強い子だと思っていた。
というのは、初夏の、クレヨンしんちゃんの60秒のCMを見て、涙をボロボロ流して泣くのである。それこそ、号泣だ。当時、次女は、幼稚園に上がる前だった。あるいは、朝スタという番組があったが、卒業シーズンになると、クラスでお別れ会をするシーンを流したりしていた。その、たった5分間で、号泣する。
それが、すっかり今は、アスリートになって、よほどのことが無いと、泣いたりしない。
だが、よくよく思い出せば、中学の時も。高校の時も。最後の試合で負けた時には、大泣きをしていた。中学のときは特に、自分のミスで試合が終わった。そのあと、泣き崩れて、何時間も、1人、スタンドで泣いていた。
そう思うと、長女も、次女も、感受性の強い子なのだろう。
この話を聞いて、家内が家族LINEにコメントを残した。
心の中の、リトルkojuroが、苦笑いしながら、つぶやいた。
なにを、言うとんねん。
結果的には、翌日、アンマーを聴いて、こういう感想を述べた。母として。
兄妹で、子供たちは、仲良くしてくれていて、私も、助かっている。
我が家には珍しい美談である。
家内は、夜、マッサージをしているときに、ボソッと、つぶやいた。
あの子は、親不孝している自覚だけは、あるようだね。
まあ、許してやろう。
心の中の、リトルkojuroが、頭を抱えて、つぶやいた。
美談が、台無しだ.....。
家内は、マッサージをすると、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから、
これで、いいのだ。
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