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「学校」という世界と折り合いをつけて暮らすこと。

読書note vol.1
本を読んで考えた、極めて個人的なきづきについて語るnoteです。

「宿題」をどう考えるか

わが家の娘は、今年小学校2年生になった。そして、どんどん宿題をやらない日が多くなってきた。うーん、どうしたものか。

宿題だけではない、学校の支度も、朝の支度も親任せ。
娘の場合「宿題をやらない」というよりも、宿題も含めた生活全般を「自分でやろうとする力」が足りないように思えた。

これは、腹をすえて対応を考えねばなるまい。

「宿題がない」「クラス担任がない」「中間・期末テストも廃止」と聞くとかなり教育的に奇抜な本のように思えたが、読んでみるとキーワードは「自律」だった。”自律できる子に育って欲しい”というのは、娘が赤ちゃんの頃からの私の目標でもあり、多くの親が願っていることではないだろうか。

宿題が子供から自律的に学ぶ姿勢を奪わないようにしなければなりません。

と、この本には書いてある。

でもしかし、娘が通っている小学校では毎日毎日宿題は続くのだ。そのこと自体はどうしようもない。いくら親が「宿題はなくてもいいよ」と思っていても、宿題はなくなるわけではないのだ。

宿題はやらなくてもいい、でも「自律」する力、自分で自分自身のことを行う力はつけて欲しい。そんな希望を持つ私自身の対応として、3つ変えてみた。

・小うるさく毎日「宿題」「宿題」を言うのをやめた
・娘が朝起きて宿題ができるよう、”私自身が”早く起きるようにした
・「自分で自分のことができるようになったら、猫を飼ってもいいよ」という約束を娘とした

そうしたところ、少しづつだが宿題ができるようになってきた。自分のことを自分でやろうとすることも増えてきた。(猫につられている…というのは多分にあるが)

「宿題はない方がいいのではないか」という考えは、この本を読んでさらに強くなった。でも、やらなくてもいい宿題だと思うと、親の私の気持ちが落ち着いていられる。この気持ちの変化は大きいと思っている。

「不登校」についてどう考えるか

この本には「手段が目的化していないか?」ということについて、様々な事例が紹介されている。その一つに「不登校」の事例があった。

学校は人が「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために学ぶ場所です。…中略…「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないということです。…中略…この点について、私たち大人はもっと柔軟に考えられるようになっておきたいものです。

親としての私の数ある不安の中の1つに「子供はちゃんと学校に行くかな? 不登校になったりしないかしら? 」というのがあった。でも、学校が「手段」だとしたら、不登校になったとしても、別の手段を考えていけばいいだけ。この考え方は、親にとってお守りになる言葉だと思う。「学校に来る」ことは手段に過ぎない…メモメモ。

この手段が目的化しているという現象。学校だけではなく大人が働く場でもよく起こっていることのような気がする。これは「手段」?「目的」?ちょっと立ち止まって考えることで、視界がぱっと開けることがあるはず。考え方のフレームとして、使いこなしていきたい。

まだまだ学校生活が始まったばかりの娘。今後の進路についても悩みはつきない。工藤先生の考え方が広まって、多くの学校にも取り入れられたらいいと思うけれど、まだ時間がかかりそう…。でも、「自律」をキーワードに家庭でもできることを探していくことはできるはず。

子育てという探求は続く――。

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