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25歳の罠 『久しぶりに会ったあいつら、なんかつまらなくなってたな…』

どうも、僕です。
今日は、人が悪い意味(※僕の価値観)で大人になってしまうことについて書きたいなと思います。

一言で要約すると、
悪い意味で大人になるということは
「自分の人生を察する」
ことで生まれる安定なのかなと思います。
そしてその安定が、その人をつまらない人(※僕の価値観)にしていくのではないかなと。

本記事の流れは以下のような感じである。
まず、この発想に至った同窓会(というより腐れ縁会)について触れる。
その後、なぜ彼らがつまらなくなっていたのかを考える。
そして最後に、つまらなくなっていない(※僕の価値観)僕の、彼らとは違うであろう観点を述べる。

1.発端

まず、この話を書くに至ったきっかけについてだ。
ここで、友人に対して「つまらない」と思った理由としては、
僕が期待していた話題と彼らの話題に大きな乖離があったことだと思う。

僕は、会っていない間に僕たちがそれぞれどんなことをしていたのか
そしてそれを通して得られた人生観をシェアしたかった。

僕のターンが来れば
仕事で挫折して周りに莫大な迷惑をかけ、色んな意味でどん底に落ちたことや
それでも幸運な出会いがあり持ち直し、進化できたこと
進む道のようなものを見つけられたこと
そうやって周囲の人と関わって人生の良さを感じられたこととかを話してみたかった。

何より、みんなのそんな話を聞いてみたかった。

それか、くだらなすぎる思い出話をして大爆笑するのでも良かったけど。

ところが、実際は違った。

話した内容は、仕事の話と恋愛の話くらいだ。
近況は大事だしここだけ切り取ると別に悪くないのだが、それぞれの質が悪かった。

仕事の話をするなら
将来的にどうなりたいから今こんな事やってるとか
いま目の前の仕事をこんな意志を持ってやってるとか
お前自身と仕事の話を聞きたいのであって
コンサルだからどうとか、ボーナスがどうとかという話は至極どうでもいい。
しかも大手の25歳などほとんど末端で、末端なりの目の前の話しかしていないので、あまり的を射ていない。
そんなのは、日経新聞や有価証券報告書の方が詳しく知っている。

恋愛の話をするなら
出会った時の第一印象はこうで
付き合ううちにこう変わっていって
いま自分にとってその人はこんな存在だという
お前自身とその人の話を聞きたいのであって
彼女の親に挨拶するのは同棲前か結婚前かの議論など至極どうでもいい。
それはお前の彼女とだけ話して決めればいい。
また、その議論をするならせめて建設的な話し合いにして欲しい。
共感をしたいだけの話としては、あまりにナンセンスに思える。

2つの話に共通するのは、
意志や意思が感じられないということだ。
意志や意思がないとは、「自分」が無いということだ。

そして「自分」が無いということは
その話を誰から聞いても同じで、その人から聞く意味は無いということになる。
これが「つまらない」ことの正体である。

次の段落では、なぜ彼らには意志や意思がないのかについて書いていきたいと思う。

一応補足をすると
こうは言っていても貴重な長い仲なので
つまらなくてもこいつらならまあいいか。とは思っている。

2.なぜ彼らは「つまらない」のか

前段落で、彼らの会話には「自分」が無いことを述べた。
では何故、彼らには「自分」が無いのだろうか。

これには2つの理由があると思う。
1つは、彼らが大衆の一部であるということ
そしてもう1つは、彼らが残りの人生を見通せてしまっていることだ。
「俺の人生はこんな感じだろうなあ」という具合に。

2-1.大衆であるということ

まず、大衆の定義について確認しておこう。
この定義はオルテガさん(1883-1995)という方が『大衆の反逆(1929)』という著書にて述べていたのだが、個人的にも凄くしっくりきたので僕の中でもそれを踏襲したいと思う。

【大衆】
世論によって形成された中身がない者の集合

つまり、やっぱり彼らには「自分」がないということになる。
だって大衆には中身がなく、彼らは大衆の一部だからだ。

そして世論としては
「給料を稼いでいること」と「有名な企業にいること」が重要視されているし
「結婚をしている」ことはステータスとなるので彼らが結婚をする目的は既婚者になるためなのであろう。(そうやって既婚者となった人の結婚生活への愚痴を聞きながら食べる飯は、さぞかし美味いんだろうなと今から楽しみにしているが…)

給料も働く場所も結婚も
幸せに生きるための手段のたったひとつに過ぎないことは
「自分」の頭で考えれば分かるはずなのだが。

2-2.残りの人生を見通せてしまっていること

25歳の彼らが、なぜ残りの人生を見通せてしまうのだろうか?

これは、仕事と友人関係と恋愛の側面から固めることが出来る。

仕事においては、大卒だと3年目になるし高卒だと7年目になる。
この段階になると、だいたい仕事のやり方やスタンスが固まってくる傾向がある。(これは僕も感じている。)
新卒の時に「25歳になると仕事のやり方を変えられなくなる」と言われたこともあるが、それが思っていた以上に的を射ているのだ。

言わずもがな、仕事は人生の大半の時間を使うものである。
つまり仕事やワークスタイルが固まるということは、仕事以外の時間の長さも固まるということだ。
付け加えると仕事のやり方と同様に仕事後や休日の過ごし方も変えにくくなるし、後述のように友人関係や恋愛/結婚も見通すことが出来るとなると、仕事以外の時間も必然的に見通せるということになるであろう。

また、交友関係についても皆が肌で感じることであろうが
大人になってから新しい友情を育むことは非常に難しい。

せいぜいそれが出来るのは学生時代までで、社会人になってからの交友関係は学生時代に出来たものを存続させているケースが主なものであろう。
「大学では友達を作った方がいい」と言う大人が多いことが、逆説的にそれを裏付けていると考えることもできる。

その固まった交友関係から生まれるものに、真新しさはないことだろう。

もちろん相手がいる人に限った話ではあるが、恋愛や結婚についても同じことだ。
このくらいの歳になると一気に結婚する人が増える。(本当に驚くくらい増える)
どうやら世間一般では25歳で結婚することが1つのロールモデル的な人生であるようだ。

つまり、だいたいの場合は今付き合っている相手と結婚する想定でいるということだ。
同棲をしているケースも多い。
そうなると、あと何年で結婚をしていつ頃子供が生まれて結婚後がどんな生活になっていくのか想像することは難しくないだろう。

この段落では仕事、交友、恋愛に関して彼らが残りの人生を見通せてしまうことを述べてきた。

補足をすると
この見通せる人生の中身は、彼らの親とほとんど同じである。
だからその見通しの正確さには拍車がかかっていることだろう。

また、こうなることは至極真っ当な話である。
受ける教育は、基本的に親の収入に依存する。
そしてその内容は、親の収入に依存するが故に親と似通ったものになることが多い。
受ける教育が同じだということは、学歴の水準も同じになりやすく、そうなると働く場所の水準も同じになりやすい。
それは、若いうちに見聞きするもの全てが似通ったものになりやすいことを意味する。

つまり、蛙の子は蛙なのだ。

「彼らは見通せる人生を変えたいとは思わないのか?」
と思う方もいるだろう。

絶対にないことはないが、それは極めて稀だと考えて差し支えない。
なぜなら、彼らは大衆の一部だからだ。

理解して欲しいことは
決してそんな彼らを非難したいわけではなく
あくまで僕が事実だと思うことをそのまま書いているだけだということだ。

僕の価値観と異なるというだけでは、決して非難の対象にはなり得ない。
だし、彼らに変わって欲しいなどとは少しも思っていない。

3.僕の意見/人生100年じゃ絶対足りない

ここまでかなりストレートに意見をぶつけて来たが
なら僕はどう考えるのかということを書こうと思う。

大衆の方については、僕がたまたま大衆に迎合しない性格だっただけだと思うので、25にして人生を見通せてしまっていることに対してを中心に、だ。

まあ捉え方は人それぞれだと思うけど
この世界ってもっと面白いんじゃね?って思う。
25歳なんかじゃ何も分からないくらいに。

数え切れないくらいの知があって
その知は少なくとも人類が文字を開発して以降ずっと積み上げられている。
いや、それ以前から地層や宇宙に積み上げられているのだろう。
それだけ膨大な量の知があるのだから、興味深いものはひとつふたつなどでは済まないはずだ。

数え切れないくらいの人がいて
その中には到底知り尽くせないような生き方や考え方がある。
アフリカの貧困と言われる人たちや、自然の一部となって森で自給自足する人たち、世界を牛耳る富裕層と言われるような人たち。
そんな人たちがどう生き、何を考えているのかを知っているか?
教科書やメディアによって知っている部分もあるだろうが、「理解して」いるか?
例えば僕はアフリカの貧困を知ってはいるが、全く「理解して」はいない。
(なんなら上に挙げた大衆の25歳の話も僕は知らないし、理解していない。こう思うというだけの話だ。)

数え切れないくらいの夢や理想が転がっていて
1つ1つが、人生の全てを捧げられるに値するほどである。
1つでも惹かれてしまえば一生が決まるほどのものだし、たくさん抱えることもできる。
諦めたり捨てたりすることがあっても、また新しく見つけることが出来る。
惹かれたものの全てを最後まで持っていられるほど、人生は長いだろうか?
そして先の先まで進んでいないのに、何がわかるのだろうか?

僕も25歳だが、いま挙げたこの3つだけでも
満足には知らないし分からない。
というか、ほとんど何も持っていない。
一生をかけてもきっと、良くて2つほど満足に見られるものだと思う。

ちなみに、「僕はたまたま大衆に迎合しない性格だった」と先述したが
それも上記のようなものに触れる機会が多かったり、既に触れてきた人と運良く出会えることが多かったことが理由であろう。

だから25歳程度で人生を見通すなんて、勿体なすぎるのではないか?
僕は90とか100くらいになっても、「人生これから」と言っている自信がある。(そこまで生きていれば、だが)

4.終わりに

というわけで最後に、最近好きな言葉をここに記そう。

”四十五十は洟垂れ(はなたれ)小僧
六十七十は働き盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ"
by 渋沢栄一


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