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人類学的地域/4.トランス・ヒマラヤ・アジア 日本人(当時の平均1.58m)が世界にどの様な外見と見られていたか⁉️日本人は古蒙古人種で新蒙古人種はモンゴル人ちなみに中国人はシナ人種、黄色人種とはなんだったのか?一読必見‼️

※人種は現在では完全に否定されています。
実際、アイヌ人種は白人人種に分類されたりしていて人種の説明には多くの間違いが含まれるのが事実ですが、当時のヨーロッパ人が考えていた世界を知る事が出来る良い資料であると思います。
この偏見に満ちた考えが今日も続いて世界中の人種差別になります。
間違った人種の考えを深く知ることで人種問題が理解出来る様になるのです。
人種は過去のものと思わずに是非閲覧して下さい。


 ⚪︎アイヌ人種[千島列島の原始的住民もまたアイヌに属するようにみえる。日本人は、彼らの島国の先住民ではない。日本人が到着した時、まだ新石器時代の段階の文化を有する集団、すなわちアイヌが住んでいた。彼らはしだいに圧迫されはしたが、三世紀には、まだ北海道全域と、本州の北半を占めていた。1961年には1.7万人に減じ、蝦夷の一部と樺太の南半に極限されてしまった。アイヌは低身長で(1.58m)、皮膚は黒ずんだ光沢のない白色、時に頬に赤味がある。四肢は頑丈で、身体はずんぐりしている。髪の毛が豊富で、黒く波打っている。毛髪組織はすべて発育がきわめてよく、軀幹ばかりでなく、何よりも胸と腿、さらに顔が毛深く、顔はひげが非常に良く生える。奇妙な結果であるが、この毛深さは、アイヌ人種にとって、一種の美的理想となり、女たちはひげのようにいれずみをする。それゆえ、顔や軀幹がほとんど無毛の蒙古人種とは対蹠的である。だいたい長頭で(示数76.5)、顕著な眉上弓を持ち、その下の目は、眼窩深く引込んだようにみえる。鼻は直状あるいは凹状、顔は正顎である。暗褐色ないし淡褐色の眼は、蒙古皺襞を持っていない。長細い目と、頬骨の軽度の突出が、身体の中で黄色人種を想起させる唯一の部分である。上述のすべての特徴は、アイヌが白人として数えられるべきことを示している。]
《日本人との関係では土着の縄文人(身長1.60m弱/D1a2a(D-M55))もアイヌ人種に含まれると思われる。》
※Y染色体ハプログループはC2が低頻度とD1a2a(D-M55)が高頻度観測される

アイヌ


 ⚪︎シベリア人種/古シベリア人種(シベリアの一部は、現今ロシア人によって開拓されているが、北方の森林と凍原は、狩人や牧人などの群を幾つか庇護している。彼らの生活は、極地のきびしい情景によく適応している。前には、彼らは同一人種に属すると信じられたが、人類学的には一つの複合体であることが認められるにいたった。明瞭な黄色で、後に述べる北方の蒙古人と連続するものもあるが、蒙古的な特性が希薄であり、ヨーロッパ人との類縁性をうかがわせるものもある。全集団間で同じではなかったので、異質の程度もまちまちである。よって、同一人種にまとめるというのは、少しく独断に過ぎるであろう。)
  ⚪︎西古シベリア人[最も純粋な古シベリア人種は、オビ河中流とウラル山脈との間にすむ、ヴォグールという小群によって代表される。1.56mという低身長で、皮膚はわずかに黄ばんだ白色で、黒あるいは栗色をした髪は一般に波状を呈し、ひげはまばらである。頭蓋は中頭型で、長頭のも若干あり(示数79.3)、非常に低い。頭は平らであるが、真の蒙古人種ほどではない。眼には、蒙古皺襞はないが、斜めに吊上がっている。
ハンティ・マンシ自治管区に主に居住地のあるオビ・ウゴル諸語のヴォグール族(マンシ人)、オスチャーク族(ハンティ人)や同じオスチャーク族のセリクプ人(サモエード・オスチャーク/古シベリア諸語エニセイ語族系民族だったが言語変換し現在は南サモエード諸語系民族の為アメリカ大陸のナ・デネ語族に近い民族)、ケット人(エニセイ・オスチャーク/古シベリア諸語エニセイ語族でアメリカ大陸のナ・デネ語族に近い民族でアメリカ先住民に多数観測されるY染色体ハプログループQ系統が多数観測された)]

ハンティ族



  ⚪︎東古シベリア人[東方のチュクチ、つぎのコリアーク、ユカギールは、おそらく古シベリア人種に属するものである。人口の最も多いのは、チュクチで、アジア東端に生存し、そこで代々の仇敵たるエスキモー(シベリア・ユピック)と境を接している。ヴォグールよりも高く身長(1.62m)、短頭(示数82)、東部の全シベリア住民とともに、より強い蒙古的特徴を持っている。全て古シベリア諸語系民族である。]

 ⚪︎シベリア・エスキモー人種/シベリア・ユピック(筆者が独自で追加した人種、アジアに居住している唯一のエスキモー人種でY染色体ハプログループ調査ではアメリカ大陸の主流Qが主体だがウラル語族の主流Nも検出さるている)
  
 ⚪︎北蒙古人種/新蒙古人種 [典型的な黄色人種で蒙古とは遊牧騎馬民族のモンゴル人が名前の由来。

モンゴル人


主として満州、東部シベリアから、蒙古、ロシア領域トリキスタンにいたる、大草原および高原地帯に居住している。
皮膚は黄味を帯び、髪は直毛で剛く、体毛は少なく、だいたい短頭(示数84〜87)で頭蓋低く、顔が平らで、頬骨が突出し、鼻は付け根が潰れて、眼に常に皺襞がある。さらに加えるならは、身長は1.62〜1.64m、鼻は中位の幅である。
  ⚪︎《※古シベリア諸語のギリアークも古シベリア人種ではなくこの人種区別に含まれた》
  ⚪︎モンゴル系民族(ブリアート人・カルムーク人が代表)
  ⚪︎ツングース系民族(エヴェンキ人が代表)
  ⚪︎北サモエード系民族『サモエード人[ネネツ人(ユクラ・サモエード)、エネツ人(エニセイ・サモエード)、ンガナサン人(タウギ・サモエード)、《※北サモエード系民族だったが言語変換し現在はトルコ諸語系民族のヤクート》が代表]』
《日本人との関係では北東アジア系とされる渡来弥生人(身長1.62〜1.63m/O1b2(P49, M176))も北蒙古人種に含まれると思われる。》

ブリヤート族ーブリヤート自治共和国
ネネツ族ーシベリア北部



 ⚪︎中央蒙古人種/シナ人種(黄河と揚子江の肥沃な冲積地を有する本来の意味でのシナにいたると、皮膚の色がいっそう黄色いとはいえ、蒙古人種的な特徴はさほど顕著でない新たな人種に遭遇する。身長1.67〜1.69mで高く、中頭(示数78)であり、顔はより長く、頭蓋は正中面で隆起して、高いのが目立つ。北蒙古人種に比較すると、頬骨は突出の度が弱く顔がもっと長い。鼻がヨーロッパ人と同じように突出していることがある。この人種は、中国の大部分を占め、何よりも、黄土の農民であるシナ人と呼びうるものに相当する。中国触媒が彼らの西部山岳の服従せざる人民を呼んだ《西戎》というのもまた、この人種である。東方では、朝鮮に見られ、北蒙古人種と多少混血している。西方は、チベット(四川省カンゼ・チベット自治州に住むチベット族は高身長で平均180cm)の一部を占めて、シャム(タイの旧国名)、ビルマ(ミャンマーの旧国名)まで、若干の要素を導入している。中国の北から南へ、身長は低く、頭はまるくなってゆく。はっきりした線を引けるわけではなく、このようにして南蒙古人種という人種に移行する)
《言語的には、シナ・チベット語族が含まれミャオ・ヤオ語族やタイ・カダイ語族も含まれると思われる。日本人との関係では東アジア系とされる古墳人(身長が高く古墳時代は日本の歴史の中で現代を除き1番高身長である/O2a2b1a1a1a4a1 (CTS5308))も中央蒙古人種に含まれると思われる》
※チベット系民族のY染色体ハプログループはO2とD1a1 (F6251/Z27276)が高頻度観測される。

中国人の暮らしと伝統


ビルマの人々
ミャオ族


タイの人々

 ⚪︎南蒙古人種/古蒙古人種/パレアン人種(南蒙古人種は背は低く(1.58〜1.60m)、身体は概してひょろ長い。皮膚は茶に近い黄色で、頭は短く(頭示数80〜85)、北蒙古人種ほど低くない。顔は特徴のある円形への傾向を有し、幅広である。顔の下方で、多少の突顎を示すことが多い。鼻も幅が広く、鼻孔が横に広がっている。眼は長く斜めであるが、蒙古皺襞が欠如することが少なくない。南蒙古人種は、アジア東南の熱帯地方、すなわち、南シナ、ビルマ、タイ、インドシナの人種である。《言語学的にはオーストロアジア語族やオーストロネシア語族が含まれている》  ⚪︎印仏(フランス領インドシナ)では、アンナン地方とコーチンシナ地方の人口の根幹をなしている。これが、人口約1600万人を数える本来の意味でのベトナム人で、彼らの伝説では中国中部から来たとしている。彼らはきわめて明瞭な南蒙古人種体型(身長1.57m)である。

ベトナム南部の人々


  ⚪︎トンキン地方のアンナン人(ベトナム人)は、アンナン地方やコーチンシナ地方の人(1.57m)よりも少し高く(1.59m)、色が黒い。彼らはまた鼻幅がいっそう広い。

ベトナム北部の人々


  ⚪︎黄色という特徴は、昔のクメル族の末裔であるカンボジア人では、さらに衰える。身長は1.65mに高まり、皮膚はいっそう黒く、髪は波状のこともあり、眼が斜めのことはまれである。

カンボジアの人々



  ⚪︎日本人は、身長(1.58メートル)でトンキンのアンナン人(1.59m)とアンナンやコーチンシナのアンナン人(1.57m)の中間、頭示数は、真の南蒙古人種よりも低く78〜80、皮膚は比較的明色である。彼らの中に、相異なる二つの型が区別される。上品な型、すなわち長州型は、長い顔、高い額を持ち、鼻は華奢で時に突出している。粗野な型、すなわち薩摩型は広い顔、突出した頬骨を持ち、鼻はより幅が広い。これら二つの型が相異なるニ人種に相当するか、単に体質の差に相当するのかは知られていない。いずれにせよ、日本人は、幾つかの人類学的群の混血にもとづくことは確実で、最も重要なのは西暦より大部前、おそらくインドシナ(南蒙古人種)からやって来たと思われる侵入者の要素である。これが原始的なアイヌを圧迫し、多少とも彼らと混血しあった。だが、朝鮮と中国(中央蒙古人種北蒙古人種)からもたらされた影響もある。日本の学者の多くの労作があるにもかかわらず、各構成要素の正確な役割は、まだ解明されていない。

《🚨自分の感想👀中国人や韓国人と同じ人種に考えいたけれど当時のヨーロッパ人は低身長だった日本人(158cm)を当時は日本人より遥かに高身長だった漢民族や朝鮮民族やチベット人の中央蒙古人種(1.67〜1.69m)ではなく、稲作農耕民族と低身長だった事実からベトナム人(157cm〜159cm)やカンボジア人(165cm)と同じ南蒙古人種(1.58〜1.60m)と考えていたのは意外だった。‼️》💫現代日本人の身長【男性平均身長172cm弱(168cm〜174cm)175cm以上高身長でプロレスラーの合格基準は180cm以上だった/女性平均身長158cm(156cm〜162cm)163cm以上高身長で日本人ファッションモデルの基準165cm以上から175cm】

 ⚪︎アジア・ピグミー人種(自分が独断で追加した人種)
  ⚪︎タロン族
(成人しても身長が110~130センチメートルほどであり、世界で最も小さい種族として有名である。そこで、独自にアジア・ピグミー人種を追加したい。 1954年、ミャンマー軍のソー・ミン大佐がこの地域に入り、アドゥン・ワン谷に暮らす58人(男26人、女32人)のタロン族と会い、体格について調査した。そうして男女とも140cm前後の身長しかないことがあきらかになった。 彼らはもともと中国のタロン川上流に住んでいた。しかし19世紀にチベット人が侵攻してきたため、アドゥン・ワン谷に移住したという。 このタロン川というのはあきらかに独竜江(ドゥーロン)のようである。するとピグミーのタロン族というのは、独竜江上流域の独竜族ということになる。独竜江上流域に住んでいたシャーマンのクレンはたいへん小柄な女性で、身長は140cmくらい。しかしほかの人はどうだっただろうか。クレンがとくに小柄だと感じたということは、ほかの人々はそんなにも小さくなかったということか。)

 ⚪︎インドネシア人種/モイ族/カー族/プノン族/プロト・インドシナ人/モンタニャール(カンボジアにいたるまで、アンナン地方にそびえている山岳・高原地帯には、アンナン人がモイという集合名詞を与えたところの、原始的な種族が棲息している。これは、やがてインドネシアでふたたびお目にかかる新しい人種である。モイは、狩猟をもっぱらとし、原始的な農業を営んでいるに過ぎず、ほとんど裸で暮らしているが、他のインドシナ人とはまったく相異なった身性の特徴を持っている。身長は低く、平均1.57m、皮膚は銅色を帯びた紅白で、毛髪は種々の程度に波打っている。頭は中頭あるいは弱い長頭で(頭示数平均77)、頬骨は突出しているが、顔は菱形をしている。鼻は直状、時に凹状、時に突出していることもある。目は平らで斜眼のことがなく、蒙古皺襞を持たない。極端に特徴を弱められた黄色人種で原始的な人種の一つであり、黒・黄・白の大集団の分化した特色が、ほとんどあらわれていないのである。他の蒙古人種よりも、人類の共通の源に近いことは確実である)
《言語はオーストロネシア語族系民族とオーストロ・アジア語族系民族である》

モイ族

⚠️【モイは、その中の唯一の残存者ではない。】
⚪︎アッサムのナガ
アッサム平原を取り囲む巨大な馬蹄形をしたインドの北東国境沿いの山中には、モンゴロイド系人種でチベット・ビルマ系言語を話す諸部族が数多く住んでいる。その中で最も数が多く、よく知られているのがナガランドに住む50万人のナガ族である。チベット・ビルマ語族なのでシナ人種に近いと思われる。

ナガ族ーナガランド


⚪︎ビルマの数群
・ビルマの数群これだけでわからないがオーストロネシア語族に属するモーケン族は純粋なプロト・インドシナ人で同族と考えるのが妥当だろう。

モーケン族

⚪︎雲南のマン。
オーストロ・アジア語族モン・クメール語派に属するマン語を話す民族で、ベトナム北部に居住する「マン族」(Mang族)の中国語訳は「莽族」である。「莽族」は中国雲南省金平県にも600人ほど(2000年の統計)住んでいるが、中国側は未識別民族のため、「布朗族」に入れられている。現在「莽人」ともいう。金平県内の分布は南科新寨、坪河中寨、坪河下寨、雷公打牛寨、「莽人4村」として知られている。ベトナム「莽族」の自称は“哈莽”,「哈」は「人」、「莽」は「流浪」(移動、迁徙)の意味らしい。中国の「莽族」(「莽人」)の自称は“莽”、山民の意味だと伝えている。他称は多く“岔满”、“阿比”、“孟嘎”、“巴格然”、“崩欧然”、“拉莽”等がある。オーストロ・アジア語族なので関係性は近い。

⚪︎高地トンキン。
北ベトナム人口の15%がこれら少数民族である。旧北ベトナムでは37の少数民族が公式に認定されている。タイ系民族やミャオ・ヤオ系民族は中国南部のシナ人種が南下したので、該当しないがオーストロネシア語族系民族やオーストロ・アジア語族系民族ならルーツは近い。オーストロ・アジア語族のヴェト・ムオン語派に属するムオン族のことをなのだろうか?京族とは近いがプロト・インドシナとなら関係性は薄いだろう。

⚪︎若干のトー。
若干なのでトーの中の少数がプロト・インドシナの特徴を残しているのだろう。
1.オーストロ・アジア語族のヴェト・ムオン語派北部に属するズック語(チャー・クイ、タック・クイ、クオイ、トー)を話す民族なのか?京族に近いが、プロト・インドシナとの繋がりはと考えると薄いと思う。
2.カム・タイ諸語タイ(ダイ、チワン)諸語中部に属するタイ語(トー語)を話す民族はタイ系民族である。シナ人種が南下したので該当しない。

※参考文献 
人種とは何か 著者寺田和夫 岩波新書 1967年
人種 (著者アンリ=ヴィクトル・ヴァロワ 訳者寺田和夫) 白水社 1971年
モンゴロイドの道 朝日新聞社 1995年
「民族」で読み解く世界史 著者宇山卓栄 日本実業出版社 2018年
世界民族辞典 弘文堂 平成12年
世界民族言語地図 東洋書林 2000年
世界の民族全20巻 平凡社 1979年
中国少数民族辞典 東京堂出版 平成13年
    

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