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【美術館】アーノルド・ローベル展へ

時間ができたので、長崎県立美術館で開催されているアーノルド・ローベル展へ。

小学2年生の国語の教科書に『おてがみ』が載っているので、リーフレットを見せると、長男はあぁ、あのお話を書いた人かと気づきました。
何度も音読した作品は覚えているものですね。

会場に入るとすぐに子ども向けのメッセージが。

ようこそ てんらんかいへ

ひらがなとカタカナをマスターした1年生次男が音読するのをじっと待ち(待ちきれない末っ子をなだめながら)、歩を進めました。


作家が生きた時間と場所

ローベルさんがどんな境遇で作家となっていったのかこの展覧会で初めて知ったのですが、私たち一人一人に人生の物語があるように、そこには作家になるだけのストーリーがありました。

教育制度の強化による絵本市場の拡大という幸運が彼に味方したということを差し引いても、ペンで、鉛筆で描かれた絵を見ると、どのキャラクターにも何か私たちを引き付ける力を感じました。

実際に、何の知識もなく、しかも解説も読まない次男と末っ子が、展示されている数々の絵を見ながら勝手に話を始めたり(親としてはもう少し小声で話してと何度も注意をすることに)、進んだかと思えばもう一度見に行ったりしていました。

恐竜も描いていたんですねローベルさん

絵本作りにおいて、カラー印刷が発展途上だった1960~1970年代。
技術的な制約がある中で絵本を制作していたローベルさん。
その制約があったからこそ、限られた緑と茶の2色で作り出された穏やかで素朴な物語の世界。


展示の合間に掲示されていたコラム

正面から全力でぶち当たってばかりではなく、少しずつアプローチを変えて試行錯誤したり、ちょっと置いておいて別のことをして時間を置いたり、逃げ出したり、作家の歩みから見える発見も美術館の楽しみの一つですね。


みんな大好き がまくんとかえるくん

もっともスペースをとっていた、がまくんとかえるくん

がまくんとかえるくんのお話は、基本的に2人のやり取りでお話が進みます。
物語の舞台も狭く、大きな事件が起こるわけでもありません。
でも、私たち読者を揺さぶります。
それはきっと、基本的には多くの人が生きる日常が、限定的な場所と限定的な人間関係の中で展開される小さな変化のお話だからだなのではないでしょうか。
大変な事件が起こらない方が安心して生活はできますが、私たちは自分に降りかかる様々な出来事でいろいろなことに気付いてしまいます。

がまくんとかえるくんの物語には、そんなローベルさん自身の経験が投影されていると思います。

また、編集者さんと作家ローベルさんのやりとりもなかなか素敵でした。
美術館という場が演出している点もあるかもしれませんが、よりよい作品になるよう、お互いを尊重しながら丁寧にお話を作っている印象を持ちました(本当は激しいやり取りがあった、なんてこともあるかもしれませんが)。
原稿の短い書き込みに、がまくんとかえるくんのやり取りのイメージを重ねるのは、私だけではない気がします。


読み手の経験
お手紙以外のお話の展示作品を眺めていると、いろいろなことを思い出しました。
何度も息子の音読を聞いた「おてがみ」はもちろんですが、遠い昔読んだ絵本の内容でも、何回も読んでいなくても、意外と覚えていました。

そして、改めて読んでみると作品が違うもののように感じられます。

話の筋が変わったわけではありませんが、作品の見え方がちがいます。


alone together
ローベルさんは、かけがえのない友がいることについて、最後のお話で書いています。
残念ながら、私にはいません。
「ふたりきり」でも大丈夫な、違いを認め合えて、支え合えて、そんな友達関係は素敵ですが、大人になるとそんな関係は少々気が重い気もします。

お話が描く理想の姿は、現実と距離があるように見えたり、ぴったりと重なることはなくても部分一致したりするので、私たちをひきつけます。

ローベルさんのお話に出てくるかけがえのない友は、お話を読んでいる自分かもしれませんし、配偶者かもしれませんし、友達に向かって笑いかけているわが子かもしれません。


1時間ほどの鑑賞でしたが、子どもがいなければあと1時間くらいは楽しめたねというのが夫婦共通の感想です。
子どもとつかず離れず、配偶者とはバラバラに過ごした週末の1時間。
1年後に次男がどんな音読を聞かせてくれるか楽しみです。

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