報道する者は、それに見合ったセンスを持っているか〜カメラマン・東松照明のはなし〜
と、そんな風に思った話がある。
天声人語に掲載されていた、長崎で被爆した方の話だ。
「顔の右半分に傷跡が残る自分をさらすのはつらかった。」
と言う女性は50年前、
カメラマンの東松照明さんを信じて被写体となった。
その作品は、世界中に知れ渡ることになり、結果、
その女性の前に大勢のカメラマンが押し寄せ、
撮影依頼を了承せざるを得なくなった。
しかし後にも先にも「傷のない左からも撮ってくれたのは、
東松照明さんだけだった。」と言う。
人を撮ったか、傷を撮ったか。
報道の自由を振りかざすのはいいけど、
表現の自由を叫ぶのもいいけど、
人が人を語る時、その人の人間性はどうだろう?
それに取り組む人間の姿勢はどうだろう?
僕には、それに相応しいセンスが備わっているか?
僕は、報道する人間ではなく、名もない広告屋だけど、
戒めながら人間のことを書き続ける。
と、天声人語的に書いてみた。
#東松照明 ,#カメラ,#センス,
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