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摂食障がいの克服132【治す意志・治すチャンス、摂食障がいというIdentityを手放す】

 お疲れ様です。

 1992年体操個人総合の女王グツーはウクライナ出身です。先日(2022年)のスピーチで仰ったことば、

 『意志があるのであれば、挑戦するチャンスを与えられるべきだ』

 彼女は様々なプレッシャーの中、女王に。
 子供のころから不器用だったため、(普通の子が5才でできても自分は7歳など、数年遅れたそう)勝つということを目指して努力された。
 Winning:それが唯一認められた功績だった、と。

 全世界の女王です。もう十分すぎますが・・・。グツーがこのスピーチで大人が子供に与えるべき愛、また様々な愛について語っていますが、グツーのご出身を考えるだけでも涙なしで聴くことのできないものとなります。

 このことばを、摂食障がいに特化して、考えています。

 この『意志』ということばは、それこそ、摂食障がいの克服の第1歩ではないかと思います。
 
 ”馬を水辺に連れて行っても水を飲ませることはできない”

 仮に摂食障がいを心配したご家族が病院に連れて行っても、仮に入院しても、本人に治そうという意志がなければ治らない。

 (私もそうでしたが、誰からも本質的に心配されたことがないので、『仮に』。37キロであっても、私は普通に仕事をして当然というジャッジ、また自己判断のもと仕事をしていたので。『意志』じゃないんです。『義務』とか『すべき』に自分を置いていた。苦しかったです。逃げたらよかった、楽に生きたらよかった。でももう戻らない。)

 摂食障がいを治すという意志、決意は相当の覚悟が必要となります。拒食を、過食嘔吐を手放すとは、それまでの自分のIdentityの崩壊です。

 何か劣っていたとしても、自分には痩せがある。それが最後の誇りとなる。自分は普通になれなかった悲しみ、劣等感、愛されない苦しみ、けれど自分には細い腕がある、太ももに大きな隙間がある、くっきりとした鎖骨、がりがりがそれこそ美だと思い込んでしまい、より美しく(=より痩せなければ)と自分を追い込む。

 苦しい心を時に食べ物に変換して詰め込んで詰め込んで、全部吐き出す。それは、心の叫び、私は寂しさじゃないかな、って思います。寂しかった、愛されたかった、認められたかった、ただただ、普通になりたかった。けど、自分だけはなぜかなれない。伝えたいけど伝えたい相手は聞く耳持ってないし、理解されないし、だから自分に詰め込んでその気持ちを吐き出す。吐きだして空っぽになれば少しほっとして、でもまた詰め込む。

 依存症なんです。根底はリスカと同じ。
 リストカットしている友人や自分の子に、『切りたいから切ってるんでしょう』とは言わないはず。

 『食べたい』から過食しているんじゃないんです。
 苦しいから、食べてる。そして、痩せていないと価値が(しかも価値のない残された自分の唯一の価値が)なくなるという恐怖そのものと隣り合わせ。苦しみを吐き出すと同時に、体型依存とともに吐き出してる。

 けれど、このままでいいのかな、こんな体力なくなって、またよく考えたら休日に1日引きこもって食べ吐きして(よく1Rとか2Rって過食嘔吐でいうのですが、これは1ラウンド、2ラウンド、つまり今日は2周したという略です)、出口はどこにあるんだろう。今日も明日も年はとっていくのに。

 それでいいのであれば、そういう生き方もあるけれど、いつしかお金もつきる。そうなればどうやって生きていくんだろう。幸せになりたい。もう一度生きてみたい。

 仮にそう思って、治そう。
 そこからが本当の地獄です。けれど、グツーのいう、意志があるのであれば、治すチャンスがあっていい(と私は摂食障がいに変換しました)。

 治そうと思うと長い。だいたい治ったという明確な決まりもないので、私が思う克服とは:

 *自分だけは食べてはいけないというあの妙な確信を手放す
 *摂食障がいのことを考えている時間が減る。
 *体重が何キロ増えただろうと常に計算する脳がなくなる
 *平均体重や平均的なBMIはどれぐらいだろうと気にしない(自分はいったいどの位置だろうと、もう気にしない)
 *禁止食品がなくなる(何も毎食たっぷり食べるんじゃなくても、たまにはOkと思える)
 
 まだまだあると思います。

 そして、克服しよう、したいと思う裏にあるあの苦しみ。
 *自分が自分と認識されない(太ったのでわからないらしい)
 *体重が増える。これは辛い。42キロや43キロでいないといけないのに45キロ。今ならわかるんです。プロセスでしかなくて、その道の後にはちゃんと50キロの世界がある。言いたい人はいってきます。太ったなーって。でも言ってくる人が必ずしも、モデル体型でもないんです。だから傷つく必要はないと私は思う。
 
 何より苦しいのは、摂食障がいが自分の防衛反応で起きていて、自分を生かすために、あえて起きていたと気づくこと。

 こんな苦しいのに、この症状克服したいって向き合った世界が案外それこそ、無意識に押しやってた世界まで呼び戻すの、というこの地獄。

 でも、治したい、って思ってしまった。

 だから、私は治そうって決めて闘ってきて、カウンセラーの資格取ったり、その瞬間も仕事でちょっと大変だったり、というか非常に大変だったりして、生きてきたんです。

 治すと決めてある程度苦しんだら、全部が去っていくわけではないけれど、ある程度は去っていきます。

 *50キロ台でも私は今平気です。
 *会食に誘われて予測外のカロリーとるのも量を食べるのも平気です。
 *1日家にいても平気(摂食障がいになると『過活動』といって、無理にカロリー消費しようとする)
 
 克服でなくても寛解です。意志があれば、挑戦していい。

 意志があれば、治る、ではなくて。また、摂食障がい以外の苦しみに置き換えると、意志だけでどうしようもない、それがわかっていて、摂食障がいに特化して考えている今日です。

 意志があれば、チャンスを。
 私は、TOEIC900を目指したい。

 

 

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