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子どもがうるさい?いいえ、あなたがうるさいだけです。

はじめに

皆さんの幼少期はどんな子どもでしたか?元気で明るい子でしたか?大人しく人見知りをする子でしたか?様々な幼少期のエピソードがあるはずです。大人になってからは絶対にできないようなことを平気でするのが子どもですよね。子どもが数人集まって遊ぶと必ずと言っていいほど騒がしくなります。幼稚園や保育園、小学校ではそういった子どもの声がたくさん聞こえるはずです。しかし、最近、困った大人(老人?)がいまして、幼稚園や保育園で遊んでいる子どもたちの声がうるさいとクレームを入れる人がいます。子どもは騒がしくてなんぼだと思います。今回は子どもが騒がしくて当然であり、そういったクレームを入れる人がいかに間違っているかについて書いていきます。

親御さんもさぞかし心配されたでしょう

子どもがうるさいとクレームを入れる人がいるというニュースを見て、最初に思ったことは。クレームを入れる人はその人の親が心配するぐらい静かだったのではないかと思ってしまうわけです。普通は、子どもが騒がしくてもある程度は暖かく見守れるはずですが、それができないということは幼少期にそういった経験をしていなかったのではないかと思うわけです。人見知りとかではなく、極度の人間嫌いで、人と関わらずに生きてきたのではないかと思うわけですよ。
子どもはうるさくて当然です。小さい子が静かに遊んでいる時はかくれんぼか缶蹴りをしているときぐらいです。2-3人も集まれば、否が応でも騒がしくなります。大半の人はそういったことを経験し、大人になっていっていくはずです。成長の過程でどこまで騒がしくしていいのかであったり、どういう時には静かにしないといけないのかであったりを知っていきます。確かに、度を超えて騒いでいると大人に注意されることもありますが、ある程度は許容されるべきです。
子どもの時に騒ぎすぎて親に怒られたり、先生に怒られたりした記憶も今となればいい思い出で、その経験があったからこそ、TPOを弁えるようになるのです。小学校の低学年の時、親戚の葬儀があり、その時に夏休みでもないのに同い年ぐらいのいとこたちに会えるので嬉しかった記憶があります。その時は葬儀がどういうものであるかとはっきりとわかっていませんでした。お通夜から参列しており、葬儀会館に泊まり、お通夜が終わってから集まったいとこたちと騒いでいた記憶があります。しかし、騒いでいたので、さすがにそれぞれの親に注意はされましたが、他の親戚から思いっ切り怒られた記憶がありません。大人になってからそのことを聞くと「どんなことであれ、小さいときに同い年ぐらいの親戚の子たちと会えるのは嬉しいし、自分が小さい時もそうだった」と覚えていました。今となってはそんな不謹慎なことは絶対にできません。そんなことをしている大人はどこかおかしいとしか思えません。思い返して恥ずかしくなるような経験をして大人になっていくのだと思いました。ただ、思い返せば返すほど恥ずかしいばかりです。子どもに対しては度を過ぎない範囲である程度温かい目で見守る必要があると思います。僕の例は極端かもしれませんが、、、、
そういった過程を経ないで成長した大人が子供の声を車や飛行機の騒音と同じように認識してしまうのだと思います。過去にそういう経験がないことと自分の思い通りにならないことがあることが気に食わないような人は自分の言うことに絶対的に従わせようとします。そして、子どもの声がうるさいからクレームを入れて黙らせるという発想になるのです。彼らは子どもを黙らせるのが目的ではなく、クレームを入れて、幼稚園や保育園の人から謝罪をされることで、自分は間違っていないし、自分が怒れば、万事を解決できるという優越感に浸りたいだけです。非常にはた迷惑な人です。そんな人の自己満足のために、未来ある子どもの成長を害さないでいただきたいです。
こういう迷惑な大人がいるから子育てがしにくくなり、子どもを産み、育てることの意義が薄れていくのです。こういう迷惑な大人は無視すべきです。迷惑な大人が生み出すものに価値はありません。子どもに厳しい社会に明るい未来はありません。子どもにはある程度寛容である必要があります。それは自らの成長過程でもそういう寛容な大人たちがいて、今の自分がいるはずです。自分が大人になるということは、次は自分たちが子どもに寛容にならなければなりません。自分たちが迷惑を掛けた分、自分たちも子どもからいっぱい迷惑を掛けられることでイーブンになるはずです。

子どもを注意しない親はダメ

電車や街中ですごい騒いでいる子どもを見かけることがあると思います。そういった子をよそ目にスマホばかり見ている親がいて、子どものことをほったらかしにしている人がいます。公共の場で騒いでいる子がいれば、注意するのは親だと思います。他の人に注意されたから、「あんたが騒ぐから怒られた」などと子どもに言うのは言語道断です。子どものしつけができていないのは親の責任です。注意すべきも親だと思います。
レジャー施設などで子どもが前を見ずにぶつかってくることがあります。こっちは子どもに対して「大丈夫?」と言いますが、たいだい、その子の親御さんは「すみません」とこちらに一言言った後、「子どもにしっかり前見て歩きなさい」と注意します。小さな子どもがするようなことで他の大人が目くじらを立ててガミガミ言うのは間違っています。された側もよっぽどことでなければ、「元気があって可愛いね」ぐらいで済みます。ただ、そういったことがあった後で子どもを注意するのが親の役目だと思います。そういったことの積み重ねで、大人へと成長していくからです。子育てに他者からの干渉は不要だと思いますが、親は子どもを見張る必要はあると思います。
周りの人が温かい目で見ているから自分たちは何もしなくてもいいというのではなく、親である以上、人に迷惑を掛けるようなことをすれば、子どもに注意する必要があります。その行為に対して相手が気にするかどうかは別問題です。相手が気にさえしなければ、注意する必要がないと考えてしまうと、倫理観の基準が他人任せになってしまいます。一人前の大人になる過程で、自分で倫理観を形成する必要があり、その基準を他人に任せるようなことをすべきではないと思います。

最後に

子どもの頃に大事に育てられることと甘やかされて育てられるのは別物です。大事に育てられることは他者への敬意がしっかり身についていることです。それに対して甘やかされて育てられることは、大きくなると自らの非を認めなくなります。絶対に自分が正しいと思うようになります。自分の思い通りになると勘違いするようになり、注意をされても絶対に改めようとしません。そして、もっと酷いのは、見下すべき相手を作り出すことです。ここまでくると親の顔が見てみたいレベルになります。そういった人が育った家庭は案外普通であることが多いですが、そういった子は親からあまり叱られた経験がないことが多いです。成長する過程で、親から怒られない=自分は正しいとなっていき、自分が気に入らない人間を見下しても許されると思うようになるからです。こういった人が大人になると自己中心的な人間になり、子どもの声がうるさいだとかキレる老人へと変貌します。幼少期に善悪の区別を身に付けずに育った人の末路は非常に悲しいものです。子どもを育てるのは親の役目ですが、その子どもや育てる親を温かく見守るのが周りの大人たちではないでしょうか?そういった温かい目を向けることができない大人は年齢だけ老いた子どもで、永遠に大人になれません。もちろん悪い意味でです。子どものはしゃぐ声が騒音と思うのであれば、そう思う人が去るべきで、自己利益のために子どもの成長を阻害させるべきではありません。子どもはこれからの日本を作っていく宝です。宝を大人が潰すようなことをしてはいけません。子育てをしやすい環境を作るのは我々、大人たちです。

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