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「入院生活」2 祈り

 12月12日、6日間続いた頭痛と高熱をみてもらおうと市民病院に出かけた私は、髄膜炎の診断を下され、即、緊急入院を命じられた。予定は2週間。何の準備もなく入院生活が始まった。


12月14日

 ついさっきベッドで泣いた。
 ねえ神さま。
 私は死んでも構いませんが、私が死んだら、先に死んだ母や妹の生はどうなるのですか? ないことになって、忘れ去られ消えてしまうのてすか?

 母も妹も、特別なところのない平凡な人間かもしれませんが、悪事を犯すことはなく、働いて働いて、真面目に精一杯生きました。家を、家族を、私を守るためたくさんのことをしてくれました。当たり前かもしれません。社会的に意味はないかもしれません。
 二人とも欠点はありました。特に、母は今なら毒親と言われるかもしれません。しかし、それに理由があることを私は知っています。

 これら全てのことを残せるのは私しかいない。神さま仏さま、あなたは言うでしょう、みんなそうだと。
 でも私は、私の家族については、そうは思えない。子や孫のいる家は、亡くなった者の人生が希釈されても残り、受け継がれていくものだから。

 天才にあらざる、私のような人間は、前の人から良いものを受け継ぎ、少し何かを付け足して、後の人に受け渡すことしかできません。だから私もそれを精一杯やってから死にたい。今死ぬのはあまりに中途半端です、神さま。

 母や妹や私のしたことが、名もなく社会のためになることも悪くはないのかもしれません。例えば、今私が死ねば、全財産は国庫に収まってしまう。それはそれで、国や社会の役に立つでしょうが、税務署員の対応をみて、自分で使い道を決めて死にたいと願います。遺言が必要ですが、それもまだ書いてない。

 しかし遺言よりも、まず私が生きて、精一杯生きて、母や妹の大事にしたものを守り、私がさらに付け足して、彼らの生をこの世に刻みつけたい。
 これは私の個人的な思いだけど、こんな私の書くものが読者に、世界が平凡に真面目に精一杯生きて、ほとんどの人に忘れられてしまう人たちに支えられていることを指し示すものになればいい。
 私も含めて、人の生が虚無に陥らなくて済むように。

 成功できなくても、愛されなくても、不幸せでも、あなたは悪くないんだよ。人生には、当たり外れがあり、運不安もあり、ちょっとしたコツもあり、社会の構造的な問題もある。
 そういうことを伝えること、世の中には色んな人がいて、いい奴ばかりじゃないけど、どこか愛すべきところがあること。

 私や、母や妹の奮闘する姿を見て、あの時の中学生は、どうにもならなかったら安楽死の方がいい、とやはり思うのだろうか?

 相当苦しくても、もう少し生きていたい。生きることには、意味も価値も責任もある。何より楽しいことなんだよ。
 それだけは伝えて死にたい。まだ、やることがある。

 神さま、どうか今しばらくの生を、私にお与え下さい。

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